ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.5.13 車内にて

2011-05-13 20:20:23 | 日記
 先日、病院に行く電車内でなんとなく聞こえてしまったこと。

 60歳くらいの女性が、80代半ばすぎくらいの高齢女性と一緒に電車を待っていた。私はいつものように本を読んでいたので、特に耳をそばだてて・・・ということではなかったのだが、若い方の女性の声がとても大きかったので、どうしても聞こえてしまう。

 会話からするとお二人は母娘の様子。これから娘さんがお母様を親戚の家(?)に連れていく途中のようだった。私が通っている病院の最寄り駅は新幹線の停車駅であり、そこまで送って行くか同行するかのように窺えた。
 お母様がバックに手をかけると、「私と一緒なのだから、人前で財布は出さなくてよい。」とか、「ただ私に付いて来ればいいから、何もしなくていいから。」などと、娘さんが実にテキパキと説明しているのだが、お母様の方は座席に腰掛けてもなかなか落ち着かず、ちらちらと外を見ながら大分手前の駅で、「もう降りるのよね。」と何度か聞いておられた。

 旅行先では、お母様のお姉様(?)が90歳を超えて御存命の様子。そのお見舞いなのかどうか詳しくはわからないが、既にお姉様は周りのことがよくわからないようで、どうも容態もあまり良くないようだ。
 お母様が何やらもぞもぞとおっしゃった後に、娘さんが「でもまあ、90まで生きたんだから、もう何があったって、たとえ亡くなったって全然残念なことじゃないわね。十分よ。まあそう言っちゃあ悪いけど・・・。」と言い放った。

 先日の義母の卒寿お祝い会でのことを思い出してしまい、何やらとても居たたまれない気持ちになった。お母様の方は、痩身の娘さんに比べ、体の大きな方だったけれど、なんとなく背中を丸めて小さくなっておられた。
 そして、義母のように丁丁発止で娘の言葉に対して何か言い返す、という感じではなく、黙ったまま表情もなくぼんやりと聞いておられた。まあ、嫁の立場だったらあれほど率直な言葉を発することはできないと思うけれど、実の娘だからかどうなのか、正直よくわからない。

 10年後。もし母も私も元気で動き回っていたとしたら、私も母を連れて叱咤激励(?)しながら伯母(母の姉)のお見舞い等に連れていくのだろうか。

 とても他人事ではない、と聞いていた私は思った。
 自分もあと少し齢を重ねて周りのことがよくわからなくなり、ひいては寝たきりにでもなったら、ただの金食い虫の迷惑な生き物でしかなくなるのだ、とお母様は暗に言われているように感じてしまったのではないだろうか。(少なくとも私は娘さんの物言いにそう感じてしまった。)

 私はまだ高齢者ではないけれど、この後いつかはやってくるであろう終末(ターミナル)期を迎えた時には、少なからぬ期間=3カ月程度が平均と言われているが=寝たきりの状態でフルにケアをしてもらいながら過ごさなければならないことになるかもしれない。

 ただの金食い虫の迷惑な生き物と思われつつ生きていくことになるなら、いっそ舌を噛んで死んでしまいたい、と正直思う。誰しもそんな存在になりたくてなる人はいないだろう。ただ、哀しいかな、間違いなく言えることは、どんな人も生まれ落ちたからには、年老い、病を得るか、寿命かは別として、亡くなるわけだ。そして亡くなる間際、どんな亡くなり方をするかは誰にもわからない。苦しまずにぽっくり死ねるなんて、どんなに希望したところで神様は叶えてくれるとは限らない。
 元気にお母様を叱咤していた娘さんだって生身だ。極端なことを言ってしまえば、明日不慮の事故で突然命を落とすかもしれないし、それこそ不本意ながらそれによって寝たきりになるかもしれないのだ。

 あの人、一体いつまでこのまま生きているのかな、まだ生きているよ・・・、と言われるような最期を迎えるのは余りに哀しい、と思わされた数十分間の車内であった。

 ようやく1週間が終わった。今日も今日とて気持ちが悪い。さすがに嘔吐するところまではいかないけれど、お腹をかき回されている感じはとれない。生唾と生あくび、倦怠感。明日お休みになれば、気持ちの持ち方でまた変わるのかもしれないけれど。

コメント (2)
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