今日は勤務する大学の卒業式・学位記授与式の日だ。
春らしい色で出かけようと、昨晩のうちにクローゼットからのスプリングコートを出しておいたが、天気予報によると、今日は冷たい北風で2月下旬の陽気とのこと。それにめげて、いつもの通りのダウンコートにした。また風邪をひいてはたまらない。ブーツを脱いで、タイツとパンプスにしたことだけが春の装い。
昨年は東日本大震災のため、卒業式・入学式とも中止となった。そして修了生の学位記は、事務室で事務職員が渡すだけの簡単なものとなった。
一方、息子が通う学校では、高校の卒業式は震災前だったので恙無く執り行われたが、中学校は、震災翌日から約1カ月登校禁止となり、当然のことながら卒業式も中止。
先週の土曜日、1つ下の学年が無事に卒業式を終えたことを知り、息子はポツリと「自分たちも一緒にやってほしかったなあ・・・。」と言った。確かに、けじめの式だったから、形だけでもやってあげたい、と誰もが思っていたのだろうけれど。
仕方のないことだとは頭では分かっているが、親子ともどもなんとも中途半端な幕切れとなった。
そんなわけで、今日は2年ぶりの卒業式・学位授与式だ。
午前中に全学合同の式典が都心の大ホールであり、午後からは学部・研究科ごとに各キャンパスに分かれ、都合2回執り行う形になっている。さながら都内横断、縦断の民族大移動で、和装の女子学生は朝から大忙しの大変な日でもある。
午後の式典での学部長挨拶と来賓祝辞で心に響いたこと。ここは医療人養成の学部・研究科である。
学部長からは、「私は患者さんを治すことは出来ない。しかし共に歩むことは出来る」という恩師の言葉を借り、白衣を着る者は患者さんの心の支えとなれること、ハンディも持っても楽しく意義ある人生を送るサポートをすることが出来ること、決して上から目線にならず“患者さんから教えて頂く”という姿勢を忘れないこと、病む人、苦しんでいる人、その家族はもっと苦しんでいることを理解せよ、一生勉強である、白衣を着る者として、その重さを忘れずにあれ、というはなむけの言葉。
そして、私がかつてサードオピニオンを取った都立病院の院長からの祝辞。
現在、医療は経済に負けている。効率化、マニュアル化、無駄を省くことばかりが言われているが、目指すのはその上を行くこと、なぜなら命を、人間を扱う仕事であるから。マニュアルどおりでは決して満足は得られない。「生きる」ということを考える時、学生時代には、ただ生きているだけではダメだ、目的をもって人の役に立つ人生を送らなければ、と思ってきたが、抗がん剤治療を専門とし、2,000人以上の末期がん患者を看取ってきた今、目的をもってスキルアップすることは確かに大事だが、もっと大事なのは「生きている」ことだと思うようになっている。
寝たきり老人を生かしておいて何になる、役に立たないのではという人もあろうが、何の役にも立っていないことはない。「生きている」ことは、本人も気づかなくとも周りの人の役に立っているのだ、と。かつて“一人の命は地球より重い”と言われたが、今やそんなことはすっかりどこかに行ってしまっている。しかし、「生きている」ことこそ大切だ、と。
多くの患者さんたちが死んでいく悔しさを目の当たりにされてきたからこそ出た、重い言葉だった。
若き医療人たちの心に、これらの言葉がどれほど響いたかわからないが、大学職員としてと同時に、一人のがん患者として、彼らの門出を暖かく見守りたい、と思った。
昨夜、義母のお見舞い帰りに、ターミナル駅にあるお花屋さんで、心ばかりの薔薇の小さな花束を予約しておいた。私が担当する修了生は7名、男性が2人、女性が5人だ。今日、それを修了生にプレゼント。もはや母親の気分、といったところ。お花を手にして怖い顔をする人はいないものだ。
昨日は往復6時間、今日も往復5時間弱。さすがにドラえもんの“どこでもドア”でもあればな、と思ってしまう。いや、“ワープ”が出来てもよいのだが・・・。
明日の往復3時間の通院がいつもより短く感じそうな春の日である。
帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。オレンジのグラジオラス3本、ピンクとラベンダーと白のストック1本ずつ、黄緑色のスプレーマム2本、それぞれ花言葉は「愛の祈り」「思いやり」「清らかな愛」だという。
春らしい色で出かけようと、昨晩のうちにクローゼットからのスプリングコートを出しておいたが、天気予報によると、今日は冷たい北風で2月下旬の陽気とのこと。それにめげて、いつもの通りのダウンコートにした。また風邪をひいてはたまらない。ブーツを脱いで、タイツとパンプスにしたことだけが春の装い。
昨年は東日本大震災のため、卒業式・入学式とも中止となった。そして修了生の学位記は、事務室で事務職員が渡すだけの簡単なものとなった。
一方、息子が通う学校では、高校の卒業式は震災前だったので恙無く執り行われたが、中学校は、震災翌日から約1カ月登校禁止となり、当然のことながら卒業式も中止。
先週の土曜日、1つ下の学年が無事に卒業式を終えたことを知り、息子はポツリと「自分たちも一緒にやってほしかったなあ・・・。」と言った。確かに、けじめの式だったから、形だけでもやってあげたい、と誰もが思っていたのだろうけれど。
仕方のないことだとは頭では分かっているが、親子ともどもなんとも中途半端な幕切れとなった。
そんなわけで、今日は2年ぶりの卒業式・学位授与式だ。
午前中に全学合同の式典が都心の大ホールであり、午後からは学部・研究科ごとに各キャンパスに分かれ、都合2回執り行う形になっている。さながら都内横断、縦断の民族大移動で、和装の女子学生は朝から大忙しの大変な日でもある。
午後の式典での学部長挨拶と来賓祝辞で心に響いたこと。ここは医療人養成の学部・研究科である。
学部長からは、「私は患者さんを治すことは出来ない。しかし共に歩むことは出来る」という恩師の言葉を借り、白衣を着る者は患者さんの心の支えとなれること、ハンディも持っても楽しく意義ある人生を送るサポートをすることが出来ること、決して上から目線にならず“患者さんから教えて頂く”という姿勢を忘れないこと、病む人、苦しんでいる人、その家族はもっと苦しんでいることを理解せよ、一生勉強である、白衣を着る者として、その重さを忘れずにあれ、というはなむけの言葉。
そして、私がかつてサードオピニオンを取った都立病院の院長からの祝辞。
現在、医療は経済に負けている。効率化、マニュアル化、無駄を省くことばかりが言われているが、目指すのはその上を行くこと、なぜなら命を、人間を扱う仕事であるから。マニュアルどおりでは決して満足は得られない。「生きる」ということを考える時、学生時代には、ただ生きているだけではダメだ、目的をもって人の役に立つ人生を送らなければ、と思ってきたが、抗がん剤治療を専門とし、2,000人以上の末期がん患者を看取ってきた今、目的をもってスキルアップすることは確かに大事だが、もっと大事なのは「生きている」ことだと思うようになっている。
寝たきり老人を生かしておいて何になる、役に立たないのではという人もあろうが、何の役にも立っていないことはない。「生きている」ことは、本人も気づかなくとも周りの人の役に立っているのだ、と。かつて“一人の命は地球より重い”と言われたが、今やそんなことはすっかりどこかに行ってしまっている。しかし、「生きている」ことこそ大切だ、と。
多くの患者さんたちが死んでいく悔しさを目の当たりにされてきたからこそ出た、重い言葉だった。
若き医療人たちの心に、これらの言葉がどれほど響いたかわからないが、大学職員としてと同時に、一人のがん患者として、彼らの門出を暖かく見守りたい、と思った。
昨夜、義母のお見舞い帰りに、ターミナル駅にあるお花屋さんで、心ばかりの薔薇の小さな花束を予約しておいた。私が担当する修了生は7名、男性が2人、女性が5人だ。今日、それを修了生にプレゼント。もはや母親の気分、といったところ。お花を手にして怖い顔をする人はいないものだ。
昨日は往復6時間、今日も往復5時間弱。さすがにドラえもんの“どこでもドア”でもあればな、と思ってしまう。いや、“ワープ”が出来てもよいのだが・・・。
明日の往復3時間の通院がいつもより短く感じそうな春の日である。
帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。オレンジのグラジオラス3本、ピンクとラベンダーと白のストック1本ずつ、黄緑色のスプレーマム2本、それぞれ花言葉は「愛の祈り」「思いやり」「清らかな愛」だという。