ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.3.19 5カ月ぶりの更新

2012-03-19 20:06:43 | 日記
 10月半ばから更新が途絶えていたひよこさんのブログが、5カ月ぶりにご本人の文章で更新されていた。
 10月以降、一回も更新がなかったが、応援、励ましのコメントは200を超えていた。ご家族がコメント欄に彼女の様子を伝えてくださると、またコメントがつく・・・、が繰り返されていた。

 今回のタイトルは「残された時間」。なんとも重い主治医の言葉から始まった。
 「抗がん剤の辛い副作用で、今より苦しい時間を耐えるより、残された時間を有意義に過ごされるのも、Betterな選択かもしれません。」 =早朝、眠れない病室から・・・とあった。

 私も機会あるごとに、更新されただろうかと訪れていたが、今回は見逃していて、プチ虹のサロンでKさんから更新されていることを伺った。
 Kさんたちは、患者会のスペシャルゲストとして講演をされた時にひよこさんにお会いになっている。私はその後、メールのやりとりはさせて頂いていたが、いまだ実際にお目にかかったことはない。

 誰だって残された時間などわからない。
 震災のようなことがあれば、生と死は本当に紙一重なことだ、と思う。こうして生きていることは自分の意思を超えた力が働いているのだ、と。
 けれど、そうは言ってみても、病気を抱えていなければ、自らの残された時間をリアルに考える私たち世代はいないだろう。平均余命まであと35年も残して、残された時間も何もあったものではないだろうから。

 朝日新聞のネット記事で、“東京・臨海副都心の日本科学未来館で「世界の終わりのものがたり」という少し風変わりで興味深い企画展が始まりました。”という中に、「危機到来までの残り時間の過ごし方」があった。
 30年=「いつもと同じ」
 1年=「逃げる」「大切な人とすごす」「普通に暮らす」
 2日=「しずかに待つ」「大切な人とごはん」
 1時間=「人生を振り返る」「親に電話」
 3分=「家族をだきしめる」「神にいのる」
だそうだ。

 いろいろなコメントがあった。
 十人いれば十人十色。いろいろな考え方がある。

 私に残された時間はわからない。私の主治医も上のような発言をする日が来るのだろうか。
 けれど、誰の残された時間もわからない。

 だからこそ、やはり一瞬一瞬を大切に自分に恥じないように過ごすしかないのだ、と思う。

 今は減量して新しい抗がん剤治療を開始した彼女の快復を心から祈りたい。

 さて、新しい1週間が始まった。気圧のせいなのかお天気のせいなのか、また頭が痛い。
 今日は早く休んで明日のお見舞いに備えなくては・・・。



コメント (3)
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