以前にも書いたかもしれないが、夫は息子が3,4歳の保育園児だった頃のビデオを見るのが好きだ。
まさに親ばか丸出しなのだが、実に野放図で、伸び伸びと屈託のない息子の姿に心洗われるのだと思う。
確かに、今は見上げるほど大きくなった息子は、いったいどこの誰だろう、この子と同じ子なのかしら、と思ってしまうほど。その本人ですら、ちょっと頬を赤らめながら「これが自分だなんて・・・」とテレまくっている。
そうして大量のビデオをボーッと見ていると、何時間あっても足りないし、ああ、こんなに可愛かったのに、今は・・・と思うのもなんだかなあ、だ。なので、私はあまり没頭しないことにしている。
けれど、とびとびに見ながら、可愛い声や喋りっぷりを耳に挟むと、寸暇を惜しんで国内はもとより、海外にも足を延ばして実に色々な所に連れて行ったあの頃は、文句なしに楽しかったな、と思う。
息子の底抜けの笑顔を見る、ただそれだけのために一体どれだけの気力、体力、財力を使ったことか。
ふと、夫が「この頃は本当に一番幸せな家族の時代だったかなあ」と漏らした。「お母さんも健康そのものだったし、○○(息子)は勉強の“べ”の字も関係なかったし・・・」と。
本当にそうだ。ラッパをプーッと吹いてみせるだけで、皆から拍手喝采されて「偉い!凄い!」と言われていた息子も、今では「微分積分、対数が分からないとは何事だ!」と何とも気の毒な事態になっている。
かくいう夫も12年前の画像を見ると、お腹の“お”の字も出ていないし、白髪の一本もない。本当に若い。私も硬い髪の毛がふさふさで、眉毛もげじげじ、睫毛もたっぷりなので、今と比べ物のないほど眼力がある。
あの頃は目立った心配事もなく、文字通り幸せだったのだろうけれど、では今は不幸なのか、と言えばそんなことはない、と思う。負け惜しみでもなんでもなく、素直に。
現実には、毎週の病院通いが欠かせなくなった。いつまでという期限すら、ない。そして一度脱毛した髪の毛はすっかりコシがなくなり、ヘニャヘニャで、いまだに眉毛も睫毛もろくに生えてこない。また、いつそういう治療に移行するかもわからない。
けれど、今はこうしてまだ普通に働けて、自分の足で行きたいところに行ける。
この年になって新しい友人も出来て、ちょっとした新しいことにチャレンジする気持ちも残っている。
だから、夫には「あの頃が一番幸せな時代だった」と言われるのはちょっと哀しい。
そして、今も幸せだな、と言ってもらえるように、やはり私も笑顔でいなければな、と反省するのだ。
さて、体調。昨夜は昼食が遅かったので、夕食時には食欲もなく、ナウゼリンを飲んでからごくごく少しだけお腹に入れた。やはり既にモタモタ感があった。2人が豪快に食べているのを横目で見つつ、のいつもの投与日の夕食風景だ。せっかく夫が買ってきたケーキも手をつけられずじまい。
それでもマイスリーに頼らずなんとか眠ることが出来た。
今朝も食欲はなく、ナウゼリンを飲んで半分ほどお腹に入れ、イメンド80㎎、デカドロン3錠、ロキソニン、マグラックスを飲んで家を出た。出勤後、たまった仕事を全速力で片づけて午前中をやり過ごす。
昼もナウゼリンを飲んでから少しだけお腹に入れて、ロキソニンとマグラックスを飲む。
今日は4月1日の異動内示。来年度も今のポストに留め置いてもらえることが分かってほっとした。とりあえず1年間は、今までのペースで働かせて頂けることが何より嬉しい。それにしてもやはり、内示が出てしまうとなんだか職場がそわそわして落ち着かない。今のメンバーで仕事をするのもあと数日となった。
夕食を作るのもいまいちノリが悪いが、これは早く帰宅した方の義務、ということで台所に立つ。ナウゼリンを飲んでみたが、結局2人と一緒に食べることが出来ず、冷たくなったものを一人ぼそぼそと押し込んだ。
気持ちが悪い中での炊事は拷問だ。それでも2人がいるから何とか作るのであって、一人だったら食事さえも作らずじまいかもしれない。
木曜日通院とすると、投与翌日だけ頑張って仕事をして、土日は具合が悪くても家でダラダラ出来る、というのはある意味良いかもしれないけれど、そうなると土日は単なる休養でリフレッシュのお楽しみを入れるのは難しい。
やはり水曜日通院で、なんとか木金とやり過ごし、土曜日くらいはダラダラしても日曜日は自分の元気度アップのために使えるこれまでのパターンが続けられると良いな、と思う。
まさに親ばか丸出しなのだが、実に野放図で、伸び伸びと屈託のない息子の姿に心洗われるのだと思う。
確かに、今は見上げるほど大きくなった息子は、いったいどこの誰だろう、この子と同じ子なのかしら、と思ってしまうほど。その本人ですら、ちょっと頬を赤らめながら「これが自分だなんて・・・」とテレまくっている。
そうして大量のビデオをボーッと見ていると、何時間あっても足りないし、ああ、こんなに可愛かったのに、今は・・・と思うのもなんだかなあ、だ。なので、私はあまり没頭しないことにしている。
けれど、とびとびに見ながら、可愛い声や喋りっぷりを耳に挟むと、寸暇を惜しんで国内はもとより、海外にも足を延ばして実に色々な所に連れて行ったあの頃は、文句なしに楽しかったな、と思う。
息子の底抜けの笑顔を見る、ただそれだけのために一体どれだけの気力、体力、財力を使ったことか。
ふと、夫が「この頃は本当に一番幸せな家族の時代だったかなあ」と漏らした。「お母さんも健康そのものだったし、○○(息子)は勉強の“べ”の字も関係なかったし・・・」と。
本当にそうだ。ラッパをプーッと吹いてみせるだけで、皆から拍手喝采されて「偉い!凄い!」と言われていた息子も、今では「微分積分、対数が分からないとは何事だ!」と何とも気の毒な事態になっている。
かくいう夫も12年前の画像を見ると、お腹の“お”の字も出ていないし、白髪の一本もない。本当に若い。私も硬い髪の毛がふさふさで、眉毛もげじげじ、睫毛もたっぷりなので、今と比べ物のないほど眼力がある。
あの頃は目立った心配事もなく、文字通り幸せだったのだろうけれど、では今は不幸なのか、と言えばそんなことはない、と思う。負け惜しみでもなんでもなく、素直に。
現実には、毎週の病院通いが欠かせなくなった。いつまでという期限すら、ない。そして一度脱毛した髪の毛はすっかりコシがなくなり、ヘニャヘニャで、いまだに眉毛も睫毛もろくに生えてこない。また、いつそういう治療に移行するかもわからない。
けれど、今はこうしてまだ普通に働けて、自分の足で行きたいところに行ける。
この年になって新しい友人も出来て、ちょっとした新しいことにチャレンジする気持ちも残っている。
だから、夫には「あの頃が一番幸せな時代だった」と言われるのはちょっと哀しい。
そして、今も幸せだな、と言ってもらえるように、やはり私も笑顔でいなければな、と反省するのだ。
さて、体調。昨夜は昼食が遅かったので、夕食時には食欲もなく、ナウゼリンを飲んでからごくごく少しだけお腹に入れた。やはり既にモタモタ感があった。2人が豪快に食べているのを横目で見つつ、のいつもの投与日の夕食風景だ。せっかく夫が買ってきたケーキも手をつけられずじまい。
それでもマイスリーに頼らずなんとか眠ることが出来た。
今朝も食欲はなく、ナウゼリンを飲んで半分ほどお腹に入れ、イメンド80㎎、デカドロン3錠、ロキソニン、マグラックスを飲んで家を出た。出勤後、たまった仕事を全速力で片づけて午前中をやり過ごす。
昼もナウゼリンを飲んでから少しだけお腹に入れて、ロキソニンとマグラックスを飲む。
今日は4月1日の異動内示。来年度も今のポストに留め置いてもらえることが分かってほっとした。とりあえず1年間は、今までのペースで働かせて頂けることが何より嬉しい。それにしてもやはり、内示が出てしまうとなんだか職場がそわそわして落ち着かない。今のメンバーで仕事をするのもあと数日となった。
夕食を作るのもいまいちノリが悪いが、これは早く帰宅した方の義務、ということで台所に立つ。ナウゼリンを飲んでみたが、結局2人と一緒に食べることが出来ず、冷たくなったものを一人ぼそぼそと押し込んだ。
気持ちが悪い中での炊事は拷問だ。それでも2人がいるから何とか作るのであって、一人だったら食事さえも作らずじまいかもしれない。
木曜日通院とすると、投与翌日だけ頑張って仕事をして、土日は具合が悪くても家でダラダラ出来る、というのはある意味良いかもしれないけれど、そうなると土日は単なる休養でリフレッシュのお楽しみを入れるのは難しい。
やはり水曜日通院で、なんとか木金とやり過ごし、土曜日くらいはダラダラしても日曜日は自分の元気度アップのために使えるこれまでのパターンが続けられると良いな、と思う。