いつからか「昨日の」通院日、「一昨日の」通院日、が「先週の・・・」という冠がつくようになってしまった読書日記である。
先週は1冊半しか読めなったが、それを読み終えた後の1冊を加えてご紹介したい。
1冊目は「yom yom 」編集部編 「作家の放課後」(新潮文庫)。
帯には「人気作家が己の限界に挑戦する、爆笑体験記!」とある。裏表紙を読むと「人間だから、得手不得手はある。出来ない、やりたくないと決めつけて、今まで目を背けてきたこともある。大人になった今だからこそ、勇気を出してチャレンジしてみようじゃない!現代を代表する人気作家が、時に及び腰になりながらも、持ち前の情熱と根性で登山や断食など未経験の分野に挑む。」とある。
なるほど、そういう企画である。そして、さすが22人の作家の方たちのクライミング、断食、富士登山、麺打ち、椅子づくり等の描写には22編、全編唸らされた。中でも印象に残ったのは辛酸なめ子さんの「お茶会女修業」、有吉玉青さんの「本は有機的工芸品だった」、角田光代さんの「そなえよつねに。」、乃南アサさんの「おっとっと」だろうか。
とりわけ有吉さんの「革製本」の筆致の正確さと美しさにはうっとりした。そして角田さんの「ボーイスカウト」体験。達成感の嬉しさが伝わってきた文章からははるか昔の小学生の頃、カブスカウトから頑張っていた同級生が今頃どうしているだろう、などということまで思い出してしまった。乃南さんの「陶芸」体験は、徳利と御猪口の思い出から語られているが、やはり是非一度ろくろを回してみたいという思いを新たにした私である。
2冊目は福田和也さんの「死ぬことを学ぶ」(新潮新書)。
帯には「避けて通れない、人生における最後の大問題 和辻哲郎、大宅壮一、乃木希典、江藤淳…先達が教えてくれる『死に方読本』」とある。表表紙裏には「生きるも難儀、死ぬのも難儀―。敗戦後、日本人は自らの本質について思い煩わなくなった。しかしバブル崩壊から東日本大震災に至る日々の中で、「哲学」の不在を痛感している人は多い。だからこそ「死ぬこと」を学ばなければならないのだ。当人は決して見ることが出来ない人生の決算表はいかにあるべきなのか。大往生、殉死、暗殺、自殺…先人たちのさまざまな死の様相を眺め、味わい、思いを致す。福田流『死に方読本』」とある。もちろん福田さん自身まだ51歳、辞世の句どころかまだバリバリの現役なのだから、死に方読本を書くのはどうか、という気もするのだが。
のっけから「ある人から、『ガンはいい病気だ』という話をきいたことがあります。ガンは、死ぬまでに時間がかかる。もう治らない、と判ってから、死ぬ支度が出来るというのですね・・・と。」始まる。
まあ、私もこうして、あぁだこうだと死にまつわる本を読んでいるのもそういうことかもしれないのだけれど。
第3章“自殺の国の死生観”の中の、転移性脳腫瘍で亡くなった奥様とのことを「妻と私」として上梓した江藤淳さんの、その後についての追想がとても印象に残った。(江藤)先生は自殺なさるとは思っていなかった、と。
3冊目は宮本みち子さんの「若者が無縁化するー仕事・福祉・コミュニティでつなぐ」(ちくま新書)。
帯には「帰る家がない、アルバイトもできない、誰も助けてくれない…貧困よりも厳しい現実」とある。表表紙裏には「若者が幸福なんて誰が言った!若者に関する議論が見落としている点、それは彼らが社会から見捨てられているという現実である。フリーター、ニートは、いまだ甘えた若者と思われがちだが、それは幻想に過ぎない。高校中退し、アルバイトにさえ就くことができない。家族と離れ、路頭に迷い、ホームレスになる。どこに助けを求めて良いかわからず、孤立する。そのような若者の急増に対して、私たちはなにをなすべきか?若者の実態を明らかにし、彼らを孤立させない方法を提示する。」とある。
第1部「追いやられる若者たち」で、抜け出せない貧困、働きたくても働けない、崩壊する若者の生き方、を第Ⅱ部「若者と労働を問い直す」で、若者を包摂する雇用政策、働くためのゆるやかなステップ、いま若者にとって自立とは何か?を、第Ⅲ部「解決への道」で、システムとコミュニティで包摂できる環境へ、若者にとっての生活保障の再検討について、が書かれている。
以前読んだ別の新書でも、若者に限らず全ての世代において、格差が拡大し、恵まれない人々が社会から排除される様相が強まっている、という指摘があった。あとがきで宮本さんが述べておられる通り、被災地での取り組みのノウハウは、被災地に限らず全国に応用できる、つまり被災地の復興は全国の貧困、無鉛化に苦しむ人々との支援と無関係ではない、と思う。
今日は予報通り、朝のうちは雨が残ったが、昼前からいいお天気になった。昨日と気温差は10度以上だという。いきなり汗ばむほどでは、体調管理も難しい、と思う。
さて、体調だが、昨夜からクリニックで処方された薬は飲んでいるが(飲んでいるせいもある?)、とにかく眠い。だるさと鼻水、喉の痛みは相変わらず。鼻のかみ過ぎでゴミ箱はティッシュの山だし、本当に絶不調だ。
とりあえず朝、2人の夕食の支度はして出かけたので、今晩は自分の世話だけ焼けばよい。何も構わず、さっさと寝てしまうに限る、ということか。
先週は1冊半しか読めなったが、それを読み終えた後の1冊を加えてご紹介したい。
1冊目は「yom yom 」編集部編 「作家の放課後」(新潮文庫)。
帯には「人気作家が己の限界に挑戦する、爆笑体験記!」とある。裏表紙を読むと「人間だから、得手不得手はある。出来ない、やりたくないと決めつけて、今まで目を背けてきたこともある。大人になった今だからこそ、勇気を出してチャレンジしてみようじゃない!現代を代表する人気作家が、時に及び腰になりながらも、持ち前の情熱と根性で登山や断食など未経験の分野に挑む。」とある。
なるほど、そういう企画である。そして、さすが22人の作家の方たちのクライミング、断食、富士登山、麺打ち、椅子づくり等の描写には22編、全編唸らされた。中でも印象に残ったのは辛酸なめ子さんの「お茶会女修業」、有吉玉青さんの「本は有機的工芸品だった」、角田光代さんの「そなえよつねに。」、乃南アサさんの「おっとっと」だろうか。
とりわけ有吉さんの「革製本」の筆致の正確さと美しさにはうっとりした。そして角田さんの「ボーイスカウト」体験。達成感の嬉しさが伝わってきた文章からははるか昔の小学生の頃、カブスカウトから頑張っていた同級生が今頃どうしているだろう、などということまで思い出してしまった。乃南さんの「陶芸」体験は、徳利と御猪口の思い出から語られているが、やはり是非一度ろくろを回してみたいという思いを新たにした私である。
2冊目は福田和也さんの「死ぬことを学ぶ」(新潮新書)。
帯には「避けて通れない、人生における最後の大問題 和辻哲郎、大宅壮一、乃木希典、江藤淳…先達が教えてくれる『死に方読本』」とある。表表紙裏には「生きるも難儀、死ぬのも難儀―。敗戦後、日本人は自らの本質について思い煩わなくなった。しかしバブル崩壊から東日本大震災に至る日々の中で、「哲学」の不在を痛感している人は多い。だからこそ「死ぬこと」を学ばなければならないのだ。当人は決して見ることが出来ない人生の決算表はいかにあるべきなのか。大往生、殉死、暗殺、自殺…先人たちのさまざまな死の様相を眺め、味わい、思いを致す。福田流『死に方読本』」とある。もちろん福田さん自身まだ51歳、辞世の句どころかまだバリバリの現役なのだから、死に方読本を書くのはどうか、という気もするのだが。
のっけから「ある人から、『ガンはいい病気だ』という話をきいたことがあります。ガンは、死ぬまでに時間がかかる。もう治らない、と判ってから、死ぬ支度が出来るというのですね・・・と。」始まる。
まあ、私もこうして、あぁだこうだと死にまつわる本を読んでいるのもそういうことかもしれないのだけれど。
第3章“自殺の国の死生観”の中の、転移性脳腫瘍で亡くなった奥様とのことを「妻と私」として上梓した江藤淳さんの、その後についての追想がとても印象に残った。(江藤)先生は自殺なさるとは思っていなかった、と。
3冊目は宮本みち子さんの「若者が無縁化するー仕事・福祉・コミュニティでつなぐ」(ちくま新書)。
帯には「帰る家がない、アルバイトもできない、誰も助けてくれない…貧困よりも厳しい現実」とある。表表紙裏には「若者が幸福なんて誰が言った!若者に関する議論が見落としている点、それは彼らが社会から見捨てられているという現実である。フリーター、ニートは、いまだ甘えた若者と思われがちだが、それは幻想に過ぎない。高校中退し、アルバイトにさえ就くことができない。家族と離れ、路頭に迷い、ホームレスになる。どこに助けを求めて良いかわからず、孤立する。そのような若者の急増に対して、私たちはなにをなすべきか?若者の実態を明らかにし、彼らを孤立させない方法を提示する。」とある。
第1部「追いやられる若者たち」で、抜け出せない貧困、働きたくても働けない、崩壊する若者の生き方、を第Ⅱ部「若者と労働を問い直す」で、若者を包摂する雇用政策、働くためのゆるやかなステップ、いま若者にとって自立とは何か?を、第Ⅲ部「解決への道」で、システムとコミュニティで包摂できる環境へ、若者にとっての生活保障の再検討について、が書かれている。
以前読んだ別の新書でも、若者に限らず全ての世代において、格差が拡大し、恵まれない人々が社会から排除される様相が強まっている、という指摘があった。あとがきで宮本さんが述べておられる通り、被災地での取り組みのノウハウは、被災地に限らず全国に応用できる、つまり被災地の復興は全国の貧困、無鉛化に苦しむ人々との支援と無関係ではない、と思う。
今日は予報通り、朝のうちは雨が残ったが、昼前からいいお天気になった。昨日と気温差は10度以上だという。いきなり汗ばむほどでは、体調管理も難しい、と思う。
さて、体調だが、昨夜からクリニックで処方された薬は飲んでいるが(飲んでいるせいもある?)、とにかく眠い。だるさと鼻水、喉の痛みは相変わらず。鼻のかみ過ぎでゴミ箱はティッシュの山だし、本当に絶不調だ。
とりあえず朝、2人の夕食の支度はして出かけたので、今晩は自分の世話だけ焼けばよい。何も構わず、さっさと寝てしまうに限る、ということか。