愛読している朝日新聞の医療・健康サイト「あぴたる」で、「のぶさんの患者道場」というブログがある。
いつもフムフムニヤリ、と興味深く読ませて頂いているが、今回はとても共感したので、以下に転載させて頂く。筆者鈴木信行さんは1969年生まれで、二分脊椎という疾患による身体障害者認定2級。精巣腫瘍を20歳で発症し、再発、転移も経験されている。医療系企業や学校などでの講演活動、専門誌への執筆に追われる傍ら、東京都文京区でカフェを経営しておられる。
今日ご紹介するテーマは「賢い患者って何さ」(2012.7.4)
※ ※ ※(転載開始)(冒頭略)
「賢い患者」を簡単に言えば「自分の身体を自分で管理できる人」だと私は考えています。
賢い患者になるために、一所懸命に講演会に行くなどして、勉強する方もいます。医療の専門書を買って、自分の病気を勉強する方もいます。それはそれで止めはしませんが、勉強が苦手な私としてはもう少し簡単に考えたいのです。
他の分野で考えれば、野菜炒めを作るのに必要となる食材を考え、八百屋に行き、店員の意見を参考に野菜を買いますが、それぞれの野菜の育て方や細かい品種は知らなくても大丈夫ですよね。賢い方は、店員の意見によって、野菜炒めではなく八宝菜にメニューが変わるかも知れませんが、それは自分で納得して変更しますよね。
医療の分野で考えれば、自分の病気を治すために必要な検査や治療法は把握し病院へ行き、医師の意見を参考に受診しますが、それぞれの細かなデータの意味合いや手術の方法までは知らなくても大丈夫でしょう。医師の意見によって、治療法が変わるかも知れませんが……さて、それは自分で納得して変更したのでしょうか?
そこで、納得できなければ、自分でなんとかして納得するように努力してほしいのです。そのためには、インターネットで調べるという手もあるでしょうし、医療者へ聞いて教えてもらうこともあるでしょう。その根底にある考えが「自分で管理する」です。
医療者があなたの身体を管理するのならば、医療者の言いなりになっていればいいのです。でも、あなたが今日何をやりたいか、今後どういう生活を送りたいかは、医療者が考える話ではありません。あなたにしかわからないことです。それがわからずして、どのような医療を受ければいいかは、本来わからないはずです。つまり、医療者は、あなたが送りたいと考えている生活を医療的な知識や技術からサポートしてくれるスタッフです。八百屋はあなたの夕食のメニューを考えないのと同じく、医療者もあなたの明日を決める人ではありません。
(中略)
「賢い患者」……それは、自分の生き方を自分で決めるという、人間が本来必要とされている考え方を見直すということでもあると私は考えています。
(後略)(転載終了)※ ※ ※
まさに、そうなのだ、と膝を打った。
自分の体は自分で管理する。この当たり前すぎることが、どうもお医者様相手となると、おんぶにだっこになってしまうのは頂けない。「お任せします。」という丸投げは、何であれ決していい話ではない。他でもない自分の体なのだから。
いくつかの治療の選択肢を示された後、最終的にはあなたが決めて、と言われた時に患者が迷うのは当然だ。
だから少しでも医療者の言うことを理解し、それに対して自分の考えをきちんと伝えることが出来るように努力したい。いつでも真っ向からの真剣勝負だ。
“自分の生き方を自分で決める。”―判り易くはっきりしたことだ。
そして、決めた結果起こったことは潔く受け容れる。誰の所為にもしない。きちんと必要な部分を勉強して、しっかりと自分の生き方を見据えて、どういう明日が過ごしたいのか、その都度自らに問いながら治療を続けられること、それが出来れば文句なく賢い患者ではないかと思う。
今日も蒸し暑い一日だった。会議が長引きいつもより遅い帰宅となった。息子は塾で夫も寄り道をしてくるという留守電が入っていたので、とりあえず一番先に帰宅することが出来たけれど。
今週もあと1日。もうひと頑張りだ。週末、今年の七夕は織姫と彦星の出逢いが叶うだろうか。
いつもフムフムニヤリ、と興味深く読ませて頂いているが、今回はとても共感したので、以下に転載させて頂く。筆者鈴木信行さんは1969年生まれで、二分脊椎という疾患による身体障害者認定2級。精巣腫瘍を20歳で発症し、再発、転移も経験されている。医療系企業や学校などでの講演活動、専門誌への執筆に追われる傍ら、東京都文京区でカフェを経営しておられる。
今日ご紹介するテーマは「賢い患者って何さ」(2012.7.4)
※ ※ ※(転載開始)(冒頭略)
「賢い患者」を簡単に言えば「自分の身体を自分で管理できる人」だと私は考えています。
賢い患者になるために、一所懸命に講演会に行くなどして、勉強する方もいます。医療の専門書を買って、自分の病気を勉強する方もいます。それはそれで止めはしませんが、勉強が苦手な私としてはもう少し簡単に考えたいのです。
他の分野で考えれば、野菜炒めを作るのに必要となる食材を考え、八百屋に行き、店員の意見を参考に野菜を買いますが、それぞれの野菜の育て方や細かい品種は知らなくても大丈夫ですよね。賢い方は、店員の意見によって、野菜炒めではなく八宝菜にメニューが変わるかも知れませんが、それは自分で納得して変更しますよね。
医療の分野で考えれば、自分の病気を治すために必要な検査や治療法は把握し病院へ行き、医師の意見を参考に受診しますが、それぞれの細かなデータの意味合いや手術の方法までは知らなくても大丈夫でしょう。医師の意見によって、治療法が変わるかも知れませんが……さて、それは自分で納得して変更したのでしょうか?
そこで、納得できなければ、自分でなんとかして納得するように努力してほしいのです。そのためには、インターネットで調べるという手もあるでしょうし、医療者へ聞いて教えてもらうこともあるでしょう。その根底にある考えが「自分で管理する」です。
医療者があなたの身体を管理するのならば、医療者の言いなりになっていればいいのです。でも、あなたが今日何をやりたいか、今後どういう生活を送りたいかは、医療者が考える話ではありません。あなたにしかわからないことです。それがわからずして、どのような医療を受ければいいかは、本来わからないはずです。つまり、医療者は、あなたが送りたいと考えている生活を医療的な知識や技術からサポートしてくれるスタッフです。八百屋はあなたの夕食のメニューを考えないのと同じく、医療者もあなたの明日を決める人ではありません。
(中略)
「賢い患者」……それは、自分の生き方を自分で決めるという、人間が本来必要とされている考え方を見直すということでもあると私は考えています。
(後略)(転載終了)※ ※ ※
まさに、そうなのだ、と膝を打った。
自分の体は自分で管理する。この当たり前すぎることが、どうもお医者様相手となると、おんぶにだっこになってしまうのは頂けない。「お任せします。」という丸投げは、何であれ決していい話ではない。他でもない自分の体なのだから。
いくつかの治療の選択肢を示された後、最終的にはあなたが決めて、と言われた時に患者が迷うのは当然だ。
だから少しでも医療者の言うことを理解し、それに対して自分の考えをきちんと伝えることが出来るように努力したい。いつでも真っ向からの真剣勝負だ。
“自分の生き方を自分で決める。”―判り易くはっきりしたことだ。
そして、決めた結果起こったことは潔く受け容れる。誰の所為にもしない。きちんと必要な部分を勉強して、しっかりと自分の生き方を見据えて、どういう明日が過ごしたいのか、その都度自らに問いながら治療を続けられること、それが出来れば文句なく賢い患者ではないかと思う。
今日も蒸し暑い一日だった。会議が長引きいつもより遅い帰宅となった。息子は塾で夫も寄り道をしてくるという留守電が入っていたので、とりあえず一番先に帰宅することが出来たけれど。
今週もあと1日。もうひと頑張りだ。週末、今年の七夕は織姫と彦星の出逢いが叶うだろうか。