ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.7.27 患者であることに夢中になってはいけない

2012-07-27 20:30:29 | 読書
 与謝野馨さんが「全身がん政治家」という本を出されたのは新聞広告で目にした。
 何とも凄い題名をつけることよ・・・と思ったが、実際に書店で手に取ってみたわけではなかった。

 紹介文には“初当選翌年の39歳で悪性リンパ腫を発症以来、4度のがんを乗り越えてきた政治家の闘病の記録──。初めての「がん告知」から35年の間に、直腸、前立腺、下咽頭…。妻と秘書にも秘めていた闘病のすべてを明かす。” とある。
 数日前、読売新聞の書評で特別編集委員の橋本五郎さんが「平常心と壮絶な死生観」と題して、この本を紹介していた。

 与謝野さんは「治るんだ」という強い意志の一方で、“患者でいることに夢中になってはいけない”と思い続けてきたそうだ。長く患者をしていると、本当にそのとおりだと思う。
 私は、今は「治るんだ」というよりも、普通の暮らしが続けられるように、ずっとうまく折り合いをつけていこう、とは思っているが。
 そして、長年がんと付き合い、「三重人格」になったと書いているという。「病気と闘っている私」、「仕事をしている私」、「それを冷ややかに見ているもう私」という三人が自分の中にいるようになった、という部分にはとても頷けた。私にもそれと同じような沢山の自分がいるからだ。

 書評を書かれた橋本さん自身も12年前に胃がんを患い、今なお再発に怯えているとのこと。
もちろん12年の間、一時たりとも病気のことが頭を離れない、ということではなかっただろうけれど、何かの加減でふと不安になり、悶々とした眠れぬ夜を過ごし、検査の結果が判ってようやくほっと胸をなでおろす、その繰り返しだったのだろう。
 それほど初発の人たちにとって再発は恐ろしいものなのだな、と今更のように思う。

 再発しても、進行がゆっくりで長い闘病生活を送ることになるがんと、そうではないがん。初発の部位により人により、辿る道は本当に千差万別なのだろう。けれど、そうなるか否かの違いは一体どこから来るのだろう、と“神のみぞ知る”ことについて、ついつい考え込んでしまう。
 けれど、日々を送る上で患者ばかりを演っているわけにはいかない。
 もちろん“患者であること”はもはや私の人生の一部だけれど、病気のことばかり考えていても、決して他のこと全てがうまく転がってはいかないように思う。

 与謝野さんが、偽名で通院までして長年隠し続けてこなければならなかったのは、氏が著名人だから、政治家だからということもあっただろう。でも、この病と闘い続けながらもなお数十年にわたって職業人として充分に職責を果たしてこられたことを、もっと早い段階で社会に知ってもらう必要があったのではないだろうか。それがこの病に対する社会の認識を改めさせていくことになったのではないか。

 もちろんどんな方に対しても是非カミングアウトして、とまで過激なことを言うつもりはない。けれど、社会的な地位が高いあるいは社会への影響力の大きな人ほど、カミングアウトする責任があるのではないか。
 そもそも2人に1人がかかる病である。カミングアウトしたことで周囲が引いてしまうというナンセンスな事態にならない“Know more Cancer”の社会になってほしい、と心から思う。
 “知らない”ということは、哀しいかな、差別と偏見を生みだすものだと思うから。
 がんになっても、今や薬でコントロールを続けながら普通に暮らせ、普通に仕事が出来るのだから。
 そして、生が有限であることは、誰しも同じなのだから。

 ハードカバーの本はなかなか手を出さないようにしているのだけれど、この「全身がん政治家」は読んでみようかな、と思う。
 こんな多重がんを抱えながら病と共存し、ずっと現役でいる人がいる、ということを是非もっともっと沢山の人に知ってもらいたい。

 今日も朝から厳しい暑さ。昼食のため外に出た時、ほんのちょっとの間無精をして日傘を差さずに直射日光を浴びたら、本当にクラクラした。
 折しも今日は土用丑の日。思えば鰻の高騰で、かなり長いこと我が家の食卓に登場することはなかったが、夏バテ防止のために思い切って準備した。
 なにはともあれ明日から休日である。

コメント (2)
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