先週は久しぶりに3冊読んだ。
1冊目は石田衣良さんの「6TEEN」(新潮文庫)。
裏表紙には「あれから2年。テツロー、ナオト、ダイ、ジュンは高校生になった」とある。そう、これは「4TEEN」のその後、四人組が駆け抜ける16歳の青春である。
自分の16歳の頃を思い出すと、高校時代は友人にも先輩にも恵まれて本当に楽しかったし、部活だ文化祭だ、体育祭だ、と退屈なんかしている暇はなかった。すっかり過去が美化されているのかもしれないが、帯にある「16歳。セカイは切ない。中学生のころはすべてぼんやりとした灰色の雲のようだったのに、十六歳になると憂鬱も退屈も不安もずっと具体的になるのだ。この社会のなかにぼくの生きる場所はあるのだろうか。」という気持ち-ちょうど息子と同い年の少年たちの気持ち-が分かりたくなって一気に読んだ。
舞台は月島。もんじゃ焼きが有名な街。高層マンション、聖路加病院、築地や銀座等、土地勘もあるし、リアルに情景が迫ってくる。
解説で瀧井朝世さんが書いておられる「このシリーズの特徴の一つが、家や学校でのシーンが少ないことなのだが、そこから飛び出していくだけで、こんなにも世界はワクワクすることに満ちていると教えてくれている。」には、本当にそうなのだろうな、と思う。家では親に、学校では教師に管理されている彼らは、マグマのようなエネルギーを持て余しているのだから。
それにしてもテツロー君の語りに惹きこまれつつ、頑張れ!とドキドキしながら応援してしまう読者としての私と、うーん、こんなこと自分の息子にされては大変かも、と思う母の私が混在して、最初から最後までなんだかとっても忙しかった。
次回作「8TEEN」を期待して待っていて良いのだろうか。今から楽しみである。
2冊目は川上未映子さんの「オモロマンティック・ボム!」(新潮文庫)。
帯には「話題の芥川賞作家による『週刊新潮』の人気コラムの待望の文庫化。【笑いとロマンティックがボムッと爆発。】」とある。“オモシロいのとロマンティックなのと爆発が一緒になった感じ”ということで、連載の通しタイトルからそのままついた題名だという。
裏表紙には「恋人の隠し事に突然ひらめくピッコン!の謎。原稿料を巡る文筆業界の秘密。大破したタクシーで血まみれ運転手が見せた驚きの行動―。ときにゆるり、ときにぴーんと。いろんな視点で眺めれば、日常が隠す不思議のタネは、みるみる哲学に育つ。」とあるが、毎週ひとつずつコラムを書き続けるなんてこと、とてもできるわけがないやないの、と言いつつも、とても軽々と書いている感じ(実際はそうではないのだろうけれど)がなんとなく癒された1冊だった。出産後となる第2弾の文庫も、おそらくうんとオモロマンティックな視点が増えているに違いない。
3冊目は荻野文子さんの「ヘタな人生論より枕草子 美しい生き方ができる大人になるために-」(河出文庫)。
荻野先生といえば、予備校の古文講師でマドンナ先生との誉れ高かった方。私は習ったことがないが、今はフリー講師として活躍中だという。
帯には「日々の振舞い、仕事、恋愛…『品性』を貶めない生き方をするには?」とある。裏表紙には「インテリ女性が好き放題書いたエッセィ、しかし、「枕草子」を荻野流に読み解くと別の顔が浮かび上がる。それは・・・どれほど現実が酷くても「みっともなく、みじめなこと」を忌み、「打鵜が」のなんたるかを忘れなかった清少納言の美意識から、私たちが学ぶことは多い。」とあるとおり、ああ、高校時代、何もわからず古典の授業を聞いていたけれど、齢50にしてようやく読むに足りる年になったのか、という感想をもった。
省みる、躾ける、磨く、交わる、修める、の5章から成り、それぞれにくきもの、人ばへするもの、めでたきもの、いとほしげなきもの、うれしきもの、から始まりその意味、現代訳文の後に、荻野先生の鋭い視点のエッセィが続く。ハンサムウーマンを地で行くような、甘ったれた人たちに対する一刀両断な物言いに胸がすく思いだ。
特に印象深かったのは、「いとほしげなきもの(気の毒な感じがしないもの)」にあった先生の体験談から「同情心ほど、バランスのとりにくい感情はない。「かわいそう」と思えるのは、人間関係に一定の距離を保っていられる間で、相手が無遠慮に覆いかぶさってくると、一瞬のうちに「迷惑」に転じる。逆に、こちらが必要以上に手を差し伸べると、その「愛情」は支配的となり、知らぬ間に相手の自尊心を浸蝕する場合もある。」のくだりだった。
もう一度、古典に触れるのもいいかな、と思える一冊だった。
梅雨の季節とは思えないほど朝から青空の眩しいいいお天気・・・というのは、涼しい部屋の中から外を見ている時の感想で、朝も昼も外は暑くて、ぐったりした一日だった。7月も中旬に入ったのだから、もう夏本番でもおかしくないのだが。昨年のうだるような蒸し暑さの事務室とうってかわって、今年は空調が効いているので、羽織る物が必須だ。
上野動物園で24年ぶりに生まれたパンダの赤ちゃんが、肺炎で死んでしまったという。パンダのぬいぐるみと一緒に寝ていたくらいパンダ好きの息子は、冬になったらうんと可愛いだろうから会いに行こうと楽しみにしていたのだが・・・。痛ましいことだ。
1冊目は石田衣良さんの「6TEEN」(新潮文庫)。
裏表紙には「あれから2年。テツロー、ナオト、ダイ、ジュンは高校生になった」とある。そう、これは「4TEEN」のその後、四人組が駆け抜ける16歳の青春である。
自分の16歳の頃を思い出すと、高校時代は友人にも先輩にも恵まれて本当に楽しかったし、部活だ文化祭だ、体育祭だ、と退屈なんかしている暇はなかった。すっかり過去が美化されているのかもしれないが、帯にある「16歳。セカイは切ない。中学生のころはすべてぼんやりとした灰色の雲のようだったのに、十六歳になると憂鬱も退屈も不安もずっと具体的になるのだ。この社会のなかにぼくの生きる場所はあるのだろうか。」という気持ち-ちょうど息子と同い年の少年たちの気持ち-が分かりたくなって一気に読んだ。
舞台は月島。もんじゃ焼きが有名な街。高層マンション、聖路加病院、築地や銀座等、土地勘もあるし、リアルに情景が迫ってくる。
解説で瀧井朝世さんが書いておられる「このシリーズの特徴の一つが、家や学校でのシーンが少ないことなのだが、そこから飛び出していくだけで、こんなにも世界はワクワクすることに満ちていると教えてくれている。」には、本当にそうなのだろうな、と思う。家では親に、学校では教師に管理されている彼らは、マグマのようなエネルギーを持て余しているのだから。
それにしてもテツロー君の語りに惹きこまれつつ、頑張れ!とドキドキしながら応援してしまう読者としての私と、うーん、こんなこと自分の息子にされては大変かも、と思う母の私が混在して、最初から最後までなんだかとっても忙しかった。
次回作「8TEEN」を期待して待っていて良いのだろうか。今から楽しみである。
2冊目は川上未映子さんの「オモロマンティック・ボム!」(新潮文庫)。
帯には「話題の芥川賞作家による『週刊新潮』の人気コラムの待望の文庫化。【笑いとロマンティックがボムッと爆発。】」とある。“オモシロいのとロマンティックなのと爆発が一緒になった感じ”ということで、連載の通しタイトルからそのままついた題名だという。
裏表紙には「恋人の隠し事に突然ひらめくピッコン!の謎。原稿料を巡る文筆業界の秘密。大破したタクシーで血まみれ運転手が見せた驚きの行動―。ときにゆるり、ときにぴーんと。いろんな視点で眺めれば、日常が隠す不思議のタネは、みるみる哲学に育つ。」とあるが、毎週ひとつずつコラムを書き続けるなんてこと、とてもできるわけがないやないの、と言いつつも、とても軽々と書いている感じ(実際はそうではないのだろうけれど)がなんとなく癒された1冊だった。出産後となる第2弾の文庫も、おそらくうんとオモロマンティックな視点が増えているに違いない。
3冊目は荻野文子さんの「ヘタな人生論より枕草子 美しい生き方ができる大人になるために-」(河出文庫)。
荻野先生といえば、予備校の古文講師でマドンナ先生との誉れ高かった方。私は習ったことがないが、今はフリー講師として活躍中だという。
帯には「日々の振舞い、仕事、恋愛…『品性』を貶めない生き方をするには?」とある。裏表紙には「インテリ女性が好き放題書いたエッセィ、しかし、「枕草子」を荻野流に読み解くと別の顔が浮かび上がる。それは・・・どれほど現実が酷くても「みっともなく、みじめなこと」を忌み、「打鵜が」のなんたるかを忘れなかった清少納言の美意識から、私たちが学ぶことは多い。」とあるとおり、ああ、高校時代、何もわからず古典の授業を聞いていたけれど、齢50にしてようやく読むに足りる年になったのか、という感想をもった。
省みる、躾ける、磨く、交わる、修める、の5章から成り、それぞれにくきもの、人ばへするもの、めでたきもの、いとほしげなきもの、うれしきもの、から始まりその意味、現代訳文の後に、荻野先生の鋭い視点のエッセィが続く。ハンサムウーマンを地で行くような、甘ったれた人たちに対する一刀両断な物言いに胸がすく思いだ。
特に印象深かったのは、「いとほしげなきもの(気の毒な感じがしないもの)」にあった先生の体験談から「同情心ほど、バランスのとりにくい感情はない。「かわいそう」と思えるのは、人間関係に一定の距離を保っていられる間で、相手が無遠慮に覆いかぶさってくると、一瞬のうちに「迷惑」に転じる。逆に、こちらが必要以上に手を差し伸べると、その「愛情」は支配的となり、知らぬ間に相手の自尊心を浸蝕する場合もある。」のくだりだった。
もう一度、古典に触れるのもいいかな、と思える一冊だった。
梅雨の季節とは思えないほど朝から青空の眩しいいいお天気・・・というのは、涼しい部屋の中から外を見ている時の感想で、朝も昼も外は暑くて、ぐったりした一日だった。7月も中旬に入ったのだから、もう夏本番でもおかしくないのだが。昨年のうだるような蒸し暑さの事務室とうってかわって、今年は空調が効いているので、羽織る物が必須だ。
上野動物園で24年ぶりに生まれたパンダの赤ちゃんが、肺炎で死んでしまったという。パンダのぬいぐるみと一緒に寝ていたくらいパンダ好きの息子は、冬になったらうんと可愛いだろうから会いに行こうと楽しみにしていたのだが・・・。痛ましいことだ。