ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.7.10 “その時”を受け容れるために

2012-07-10 21:08:55 | 日記
 いつかもこのブログで、朝日新聞の医療サイト「アピタル」から日野原重明先生の連載を紹介した。10年日記を書かれていて、その効用についての内容だったと記憶している。
 そして、昨日の記事がとても考えさせられるテーマだったので、以下転載させて頂く。
 たまたま、日曜日に合唱の練習で「河口」という歌を歌ったばかり。上流で誕生し、最後には海に注ぐという川の一生を混声合唱組曲とした、その終曲(フィナーレ)の歌だった。

※  ※  ※(転載開始)

生と死が混じり合う人生の河口( 100歳 私の証 あるがまゝ行く 2012.7.9)

 近ごろホスピス医療が大きく変わってきました。以前はがんの手術をした後、再発して全身に転移すると、それ以上施せる治療がなく、ホスピスでは痛みをやわらげ、安楽な死を迎えるしかありませんでした。しかし医学が進歩し、がんの化学療法や放射線療法などにより、全身に転移しても、数カ月かそれ以上、生きられる事例が増えてきました。
 こうした中で有意義なのは、ホスピスやPCU(緩和ケア病棟)に短期間(1~2週間)入るという新しい発想「レスパイト(respite)」入院です。英語で「現場を離れた一時的な精神の休養」という意味で、つまり患者は一時的な休息のために入院・入所し、そこで気持ちを整理して、いつでも死を迎えられる心の備えをするのです。
 英語にリトリート(retreat)という言葉もあります。日々の雑事から一時的に離れ、自然の中で心を洗い、生きる意義を感じることです。米国の飛行士チャールズ・リンドバーグの妻アン・リンドバーグには、『海からの贈り物』という名著があります。5人の子どもの母親でもあった彼女は、ひととき家庭を離れ、海辺の家を借りて、浜辺で貝殻を拾って持ち帰っては毎夜、思索にふけります。これこそリトリートの精神です。
 36歳の女性が、私の設立したホスピス、ピースハウス病院にレスパイト入院をしてきたことがあります。乳がんの手術を受けた後、肝臓などに転移し、自分の命はそう長くはないと知ってのことでした。残される7歳と9歳の2人の男の子がそれぞれ20歳になるまで、毎年自分の誕生日に「ママからのメッセージ」を渡せるように、それを書く準備のため、10日間入院したのです。彼女は2カ月後、自宅で亡くなりました。前日には、美容院で髪をセットしてもらったそうです。
 人生という川の流れの行き先は、死という海です。河口の淀(よど)みは流れも緩やかで、海水が逆流し、生と死が混じり合います。ホスピスに入った患者は淀みの中で人生を振り返り、その先の死と向き合い、「まだやって行けそうだ」と思ったら、ホスピスから出て「自分の終わりを作る」ことが可能です。レスパイト入院が日本で更に普及することを願っています。

(転載終了)※  ※  ※

 穏やかに自分の最期を受け容れ、迎え入れるため、人はどんな準備が出来るのだろう。
 冒頭の文章のとおり、以前なら、乳がん遠隔多発転移の私だってこんなに何年も治療を続けることなく、とっくにホスピスで河口に達していたのかもしれない。人生を川の流れに譬えると、最終地点である海は死。なるほどそこでは、生と死の分岐点はすっきりと線が引けるものではなく、淀み、逆流し、混じり合う場所なのだろう。

 「レスパイト(一時休止、休息)入院」という言葉がこうした意味を持つことを初めて知った。“在宅介護で介護者がバーンアウトしないために一時的に患者を移す”ということだけではなく、“ターミナル期のがん患者が自分の終わりを自分で納得したものにするため、自らの来し方を振り返り、迫りくるフィナーレを自分らしく演出するために自ら準備する”ための入院でもあるのだ、ということを。

 私は“その時”が近づいてきたことを感じたら、潔く心穏やかに準備が出来るだろうか。先生が例に出された36歳のお母さんのように、冷静に成人に達しない息子に向けたメッセージを書くことが出来るだろうか。
 リンドバーグ女史の「海からの贈り物」は、ちょうど入院中に病院の文庫棚から借りて読んだが、私が、この「リトリート」の精神を持って生きる意義を考えることが出来るだろうか。
 きっと見苦しくもジタバタオロオロしてしまうのだろうな、と思う。今は体調が落ち着いていることもあり、自分がそうなるのだ、とリアルに想像が出来ないけれど、だんだんと衰弱し、自分で出来ることがひとつずつ減っていけば、その現実を受け容れざるを得ないのだろう。
 欲張り出したらきりがないとは思うけれど、日々やりたいことをきちんとやって、日々伝えたいことをしっかり伝えて、神のみぞ知る“その時”がやってきたら、「いい人生だった、ありがとう。」と最後の息をしたいものだと思う。

 明日は早朝都心会議のため、今日もいつもの宿に前泊する。一人で考える時間・・・、この前泊も私にとって一種の「リトリート」である。

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