ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.2.1 再発治療開始から今日で5年経過

2013-02-01 20:26:28 | 日記
 今年も2月1日がやってきた。―これは去年の今日のブログと同じ書き出しだ。
 5年前の今日は、息子の中学受験本命校の日だったのと同時に、セカンドオピニオンのために、今通っている病院を初めて訪れた日である。
 切りの良いファースト・デーだからというわけでもないけれど、ダブルでヘビーな思い出の日。一生忘れることはないだろう。

 5年間こうして色々な治療を続けながらも命を繋げたこと・・・、ただ生き長らえているのではなくこうして普通の生活が続けられ、仕事も継続出来ていること・・・が、本当に有難く、心から嬉しい。

 考えてみれば、これは私のがんがHER2強陽性であることと無関係ではない。最近、「ハーセプチン(という分子標的薬)が使えなければ、きっと今頃3回忌の法要も終わっていたわよね。」と、同じ治療を続けている友人と話したこともある。
 というのもかつてHER2強陽性の乳がんは特にその悪性度が高く、予後が悪いものと言われていた。その後、瞬く間に研究が進み、今では、複数の新薬がその出番を待っている状態で、HER2強陽性患者の生存期間は延び続けている。
 けれど、その一方でHER2強陽性以外の多くの患者さんたちがハーセプチンに匹敵するような薬を待ち望んでいることも事実だ。こちらもどうか頑張ってほしいと思う。

 さて、息子の受験に際して「中学・高校という時期は、お子チャマの僕ちゃんから男に変わっていく時期なのです。」と、色々な男子校の説明会で教頭先生や校長先生が言われたけれど、本当にそうだ。
 息子はこの5年間で身長が30㎝近く、体重に至っては30㎏以上増え、私どころか夫までもあっという間に追い越してしまった。そろそろ身体面では打ち止めかな、と思う。もちろん、精神面はまだまだ発展途上だけれど、その成長していく姿を間近で見ることが出来たのだから、母としては至極満足だ。
 これが、仮に寮のある学校に通うことになっていたら、それはそれで淋しかったかもしれない(夫は、どんどん変わっていくであろう楽しい6年間を手放してしまうのは絶対もったいない、と言って寮のある学校への進学を反対した。)、と今では素直に思える。
 最初で最後の子育ても、いよいよ概ね終盤戦に差しかかってきたのだと思う。

 今頃、あの青いNバックを背負った沢山の小学校6年生が一生懸命問題を解いているのだろう、と想うと今でも鼻がツンとしてくる。
 今年も、今日のこの日に電車に乗ることがなかったから、受験生親子とは遭遇しなかったし、昨日までもそれらしい姿の子供たちも目にすることはなかった。
 お天気が良く、都内では13度まで気温が上がるということで、コンディションは良かったのではないか。
 この数年間、色々なことを我慢して頑張ってきた全ての子どもたち。その子にとって一番良い結果が一日も早く届きますように、と静かに願いたい。

 息子は、例年通り通学している学校の入試期間で、今日からお休み(いや、自宅学習期間である。)。来年の今頃は、自分が大学受験真っ只中。果たしてどんな日々を送っているだろうか。

 親がかり・塾主導の中学受験と違って、今度は本人主体。未来を切り開くために自力で乗り切ってもらうしかない。
 せめて何とか今の体調のまま、“母の不調”で彼の足を引っ張ることがないように、心静かに伴走してあげられたら・・・と願っている。
コメント
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