今日は曇りのち雨という予報だったが、思いのほか穏やかでよいお天気。陽射しも立春らしい柔らかなものだった。
8年前の今日が初発の手術の日だった。2月2日の入院の前日までずっと残業続きで、新しいパジャマを買うことすら出来ないまま、2月2日、朝一番で病院入り。必要な入院グッズは夫に頼んで買ってきてもらった記憶がある。
あれから8年。5年生存率に至る前に再発転移はしたけれど、その再発後5年を何とか生き延びることが出来た。
そして、明日からは乳がん9年生ライフが始まる。もちろん、ごく普通の日常を淡々とそして大切に過ごしていくまでだ。この後、何年生まで行けるかわからないけれど、少しでも細く長く共存していければ、と思う。
さて、今日の本の紹介は、美濃吉10代目主人・佐竹力総さんの「三百年企業 美濃吉と京都商法の教え」((株)・商業界)。
「老舗の多い京都を、大いに企業継続のための参考にしていただきたい。そのヒントを京料理の当代がつまびらかにしてくれました」という日本フードサービス協会顧問・奥住正道さんの推薦文が帯にある。
インタビューに答える形で、話し言葉で綴られているので読みやすく、あっという間に読破した。
「美濃吉」はよく行く百貨店のレストラン街にもあり、何度か食事をしたことがあるが、ここが東京での第一号店だったとは全く知らなかった。
著者の佐竹さんは江戸時代享保元年(1716年)創業「美濃吉」の10代目である。まえがきにあるとおり、老舗といわれる目安は「百年三代」だというが、その3倍にあたる年数を京都の地で続けてきたというのだから、恐れ入る。
が、その歴史を読み進むにつれて、伝統は決して安穏として平坦なものではない、と痛感させられた。特に著者の祖父が戦後の混沌の中、料理屋として復活させ、その後、父が官庁を退職し、民間企業に就職しつつその傍ら「美濃吉」の経営を見始めたところから「美濃吉」の近代化はパワーアップしている。外食産業を目指した事業展開により、ファミリーレストラン調の店舗を展開していたことは知らなかったが、新宿の高層ビル内に高級京懐石のお店があった(今もある。)のは記憶している。
京料理は「有職料理」(王朝の新嘗祭に代表される大饗料理)、「本膳料理」(武家社会の正式の饗応料理)、「精進料理」、「懐石料理」という4つの料理系統を総称したものだそうだ。これが料理屋(料亭)の料理で、これに加えて昨今「おばんさい」として供される京都の家庭料理(おぞよ)があるという。私の“京料理”の捉え方といえば、なんとなく4つめの懐石料理のイメージが強かったけれど。
この齢になっても、料亭などとはとんと縁遠い庶民派の私だけれど、京都では料亭のことを「料理屋」というそうだ。「割烹」と「料亭」は根本的に異なる。料亭は食に特化したスペースではなく、座敷、庭などのハード面が充実しており、日本文化が凝縮された空間、文化を楽しむ食空間を提供できる場所であり、主人は経営者である。一方、割烹は主人が料理をするオーナーシェフ型で、カウンターだけでも営業出来るものだという説明で、すっきり頭に入った気がする。
何年か前、朝の連続テレビ小説で、芸妓さんのお茶屋を舞台にしたお話があったが、この本を先に読んでいればそうしたシステムもすんなり理解出来たのだろうなと思う。そしてお客様に合わせてあらゆるサービスを提供する料亭が「一見さんお断り」とするのもやむなしなのだな、と思った。
そもそも、この本はある方から頂いたものだ。「基本、ビジネス書なのでそのテイストが入っていますが、京都独自の文化とか、料理屋の歴史とか、老舗とはどんなものかというあたりをパラパラ見て頂ければ、そのあたりに関してはそれなりにおもしろいかと・・・」というお便りを頂いた。
その通り、写真もふんだんで、ビジネス書というよりも読みやすい歴史書という印象だった。
300年の歴史を守るには保守路線だけでは決してやっていけない、常に時代の先を読む経営力が必要なのだ、と思う。
8年前の今日が初発の手術の日だった。2月2日の入院の前日までずっと残業続きで、新しいパジャマを買うことすら出来ないまま、2月2日、朝一番で病院入り。必要な入院グッズは夫に頼んで買ってきてもらった記憶がある。
あれから8年。5年生存率に至る前に再発転移はしたけれど、その再発後5年を何とか生き延びることが出来た。
そして、明日からは乳がん9年生ライフが始まる。もちろん、ごく普通の日常を淡々とそして大切に過ごしていくまでだ。この後、何年生まで行けるかわからないけれど、少しでも細く長く共存していければ、と思う。
さて、今日の本の紹介は、美濃吉10代目主人・佐竹力総さんの「三百年企業 美濃吉と京都商法の教え」((株)・商業界)。
「老舗の多い京都を、大いに企業継続のための参考にしていただきたい。そのヒントを京料理の当代がつまびらかにしてくれました」という日本フードサービス協会顧問・奥住正道さんの推薦文が帯にある。
インタビューに答える形で、話し言葉で綴られているので読みやすく、あっという間に読破した。
「美濃吉」はよく行く百貨店のレストラン街にもあり、何度か食事をしたことがあるが、ここが東京での第一号店だったとは全く知らなかった。
著者の佐竹さんは江戸時代享保元年(1716年)創業「美濃吉」の10代目である。まえがきにあるとおり、老舗といわれる目安は「百年三代」だというが、その3倍にあたる年数を京都の地で続けてきたというのだから、恐れ入る。
が、その歴史を読み進むにつれて、伝統は決して安穏として平坦なものではない、と痛感させられた。特に著者の祖父が戦後の混沌の中、料理屋として復活させ、その後、父が官庁を退職し、民間企業に就職しつつその傍ら「美濃吉」の経営を見始めたところから「美濃吉」の近代化はパワーアップしている。外食産業を目指した事業展開により、ファミリーレストラン調の店舗を展開していたことは知らなかったが、新宿の高層ビル内に高級京懐石のお店があった(今もある。)のは記憶している。
京料理は「有職料理」(王朝の新嘗祭に代表される大饗料理)、「本膳料理」(武家社会の正式の饗応料理)、「精進料理」、「懐石料理」という4つの料理系統を総称したものだそうだ。これが料理屋(料亭)の料理で、これに加えて昨今「おばんさい」として供される京都の家庭料理(おぞよ)があるという。私の“京料理”の捉え方といえば、なんとなく4つめの懐石料理のイメージが強かったけれど。
この齢になっても、料亭などとはとんと縁遠い庶民派の私だけれど、京都では料亭のことを「料理屋」というそうだ。「割烹」と「料亭」は根本的に異なる。料亭は食に特化したスペースではなく、座敷、庭などのハード面が充実しており、日本文化が凝縮された空間、文化を楽しむ食空間を提供できる場所であり、主人は経営者である。一方、割烹は主人が料理をするオーナーシェフ型で、カウンターだけでも営業出来るものだという説明で、すっきり頭に入った気がする。
何年か前、朝の連続テレビ小説で、芸妓さんのお茶屋を舞台にしたお話があったが、この本を先に読んでいればそうしたシステムもすんなり理解出来たのだろうなと思う。そしてお客様に合わせてあらゆるサービスを提供する料亭が「一見さんお断り」とするのもやむなしなのだな、と思った。
そもそも、この本はある方から頂いたものだ。「基本、ビジネス書なのでそのテイストが入っていますが、京都独自の文化とか、料理屋の歴史とか、老舗とはどんなものかというあたりをパラパラ見て頂ければ、そのあたりに関してはそれなりにおもしろいかと・・・」というお便りを頂いた。
その通り、写真もふんだんで、ビジネス書というよりも読みやすい歴史書という印象だった。
300年の歴史を守るには保守路線だけでは決してやっていけない、常に時代の先を読む経営力が必要なのだ、と思う。