ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.5.25 お二人に逢いに・・・

2011-05-25 21:20:54 | 日記
 今日は水曜日だが、今週は休薬週にあたるため、通院日ではない。本来ならば出勤して、いざという時のための有給休暇を少しでも温存するところなのだが、思い切って休暇をとって、普段なかなか逢うことのできない二人の方に逢いに出かけてきた。
 天気が良かったので、出かける前には掃除・洗濯ついでに夕食の支度まで頑張ってこなしてから。

 一人目は高校時代の同級生で、私の再発治療にあたり、本当に言葉には尽くせぬほどお世話になっている医師である。彼女が今年1月、研修医時代から長年勤めた病院から、請われて新しい病院へ移った、ということについてはこのブログでも書いたことがある。早くも5ケ月が過ぎようとしているが、本当に忙しそうで、先日は体調を崩したと聞き、とても気になっていた。再発以来、ずっとパソコンメールでやりとりしていたが、今や自宅でパソコンを開く時間もないようで、最近では、もっぱら携帯メールだけのやりとりとなっている。

 そして二人目は、あけぼの会事務局のTさんだ。先日の講演会の記事に書いたとおり、Tさんは先週から再び緊急入院中。3月末のあけぼのハウスで司会をされてから2カ月。その後、4月は殆ど病院で過ごされ、治療日記を何度か更新されていたが、会長さんのエッセイや先日のお話から、ずっと気になっていた。
 容態が良くない状態で、果たして本当にお見舞いに伺っていいものかどうか・・・、もし自分だったらどうなのか。私程度のお付き合いの者がお見舞いに伺ってよいものかどうか、正直とても悩んだ。けれど、夫から「気になるなら行ってきた方がいいよ。」と背中を押してもらったこともあり、そして何より、やはり、お目にかかっておきたい、という気持ちが勝った。

 奇しくも二人が同じ病院、ということ。これも「行っておいで」という神様の思し召しかもしれない、と思った。

 友人は、午前中は当日外来、午後も禁煙外来ということで、「本当は一緒にランチが出来ればいいのだけれど、いつも合い間の10分くらいで済ませる状況なので、ごめんね。」という超多忙の中、昼休みに30分弱もの時間を作ってくれた。
 友人と会うのは、3年前の七夕、ハーセプチン初回投与の入院時にお見舞いに来て頂いて以来。早くも3年が過ぎようとしている。あの時、高校卒業以来の再会だったのに、私はパジャマ姿で頭痛も発熱もあり、すっかり病人然としていた。けれど、こうして元気に命を繋げているのも、他ならぬ彼女に転院をサポートしてもらったからこそ。改めて感謝、である。
 彼女の仕事中に、まさにドクターのいでたちでお会いするのは初めてだったが、元気な私の姿を見て目を潤ませて、「最近、涙腺が緩んで・・・」と本当に喜んでくれた。私も、こうして元気な姿を見せることが出来て言葉にできぬほど嬉しかった。

 一方、Tさんは2年前に初めてあけぼの会のイベントに参加の申し込みメールをした時に、返事をくださった方。副会長にして広報担当であり、その後、治療日記や乳がんディクショナリー、講演会の報告書作成等、会のお手伝いをした際、一番お世話になった方だ。何より私とほぼ同じ年齢で発症し、再発し、その後ずっと果敢に治療を続けてこられた再発患者の希望の星だと思っている、ということも何度も書いた。全国多数の再発患者をどれだけ励ましてこられたかしれない。
 友人と別れてから、病棟に上がり、看護師さんがいらっしゃるまで15分ほどの面会だった。ベッドに横になっておられたけれど、すっかりお痩せになり、小さくなってしまわれた。以前このブログで書いたように「お母さんは嫌いです」と息子に言われたことを心配してくださったことがあるが、その息子の写真をお見せすると、体を起こして嬉しそうに見てくださった。お会いできて良かった、と思った。
けれど、あんなに頑張って頑張って治療を続けても、結局はいつの日か病気に負けてしまう日が来るのかもしれない、と悔しく切ない思いが残った。
 病院を出て、帰宅するまで、とても沈んだ気持ちになってしまった。電車の中で本を読み始めたけれど、結局字面を追うだけで全く頭に入らなかったので、諦めた。覚悟して伺ったつもりだったのに、本当に情けないことだ。

 それでも、何より今日は欲張ってお二人に会うことが出来た。
 こうして悔いのない一日が送れたことを、あらためて感謝したい。

 帰宅すると、お花が届いていた。今日はピンク、オレンジ、肌色のガーベラが4本ずつ12本、ソリダスターと玉シダ。それぞれ花言葉は「神秘」、「知識」だそうだ。
 沈んでしまった気持ちが、ちょっぴり癒された。けれど、精神的なものかどうか、このところ無かった胸部の痛みがまた出てきてしまった。重苦しく押される感じ。今日は早く休みたい。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011.5.24  「かたみ歌」と“本の力”

2011-05-24 19:52:17 | 読書
 先日、朱川湊人さんの「かたみ歌」(新潮文庫)を読んだ。
 朱川さんの作品とは初めての出会いだった。そしていきなり朱川ワールドに引き込まれた。
 裏表紙には、「不思議なことが起きる、東京の下町アカシア商店街。昭和という時代が残した“かたみ”の歌が、慎しまやかな人生を優しく包む。7つの奇蹟を描いた連作短編集」とある。7編の短編小説なのだが、主人公はそれぞれ、不思議な体験をする。それはすべて「死」にまつわるもので、なぜかという答えは一篇ずつ読み進むごとに明らかになっていく。どれもこれも実に巧く、ラストの「枯葉の天使」で様々な謎が一気に解ける。圧巻であった。
 特に第2話の「夏の落し文」のラスト一行=兄の帰りを待ちわびる弟の姿=には涙が滲み、第3話の「栞の恋」では、携帯がない時代の古書店での恋の切なさに胸キュンになり、第6話の「朱鷺色の兆(しるし)」の中の「まあ、怯えようが悩もうが、笑おうが呑気にしようが、死は来るときには来るさ。いつともしれないそいつを気に病んで、縮こまっているのは愚の骨頂ってもんだ」の台詞に著者からのメッセージを受け取った。

 解説で作家の諸田玲子さんが書いておられるように「どうしてこんなにも、切々と胸にしみいるのだろう。もの哀しいけれどほのぼのとした、ぞくりとさせながらも郷愁を誘う<朱川ワールド>を満喫した。」のは私も全く同じだった。
 昭和の香りが全編に漂い、私もよく口ずさんだ懐かしいヒットソングが出てくる。朱川さんも1963年の早生まれだから、学年は1つ下。やはり通じるものがある。平成も23年になったというのに、やはり私は昭和生まれ、昭和育ちであることを実感する。

 本との出会いはいつもとても新鮮で、とても幸せな瞬間だ。

 昨日の読売新聞で“作家 自著売って寄付 ネットに「復興書店」”という記事があった。被災者支援のため、作家の島田雅彦さんがインターネット上に「復興書店」を開設し、作家から無償で著書を提供してもらって販売し、利益は義援金として寄付するものだという。
 その「復興書店」のHPに寄せられた作家からのメッセージの一部として、青山七恵さんのコメントが紹介されていた。とても心動かされたので、以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

 「本は、悲しい現実からの人の心を守ってくれる盾のようなものでありながら、その現実へ向かって優しく背中を押してくれるもので あると思います。被災された方々の心の平安を祈っています。」

(転載終了)※  ※  ※

 まさにそうだ、と思う。私も初発以来、さらには再発以降、かなりの濫読だが、貪るように本を読み始めた。
 これはきっと、無意識のうちに、本というものが、私の弱っている心を守ってくれる盾であることを感じ、さらには当時、下向き加減で猫背になっていたであろう私が、再び顔を上げて現実に立ち向かえるように背中を優しく押してくれるものであるという“本の力”に、知らないうちに動かされていたからではないか、と今、改めて思う。

 当時、生きているうちにあと1000冊読めるだろうか、と思った。なぜ1000冊だったかはわからないが、先日、初発以来6年半弱かかって1000冊はクリアした。
 だが、今年は3.11の影響が大きく、読書できない日が続いた。その日以降かなり読書のスピードが落ちている。
 昨年の今の時期に比べて読んだ本が50冊以上少ない。

 だが、こうして初めて出会って、また別の作品を読んでみたい、という著者に出会えることは何より本当に嬉しいものだ、と思う。またもや本の力が働き始めた予感がする。

 昨夜の頭痛はやはり観念してロキソニンを服用し、なんとか眠ることが出来た。今朝はひどい雨で、出勤途上でびしょ濡れになったが、これまた予報通りに午後から青空が広がった。
 明日もお天気のようだ。それだけで嬉しい。何とも単純な私だ。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011.5.23 第32回あけぼのハウス 講演会参加

2011-05-23 21:06:45 | あけぼの会
 昨日のこと。朝はまるで夏のような暑さでとても良いお天気だった。すっかり気を良くして朝から3回も洗濯機を回し、大物を干す。そして、毎月恒例のあけぼのハウス講演会に向かった。夫と息子は、都庁舎でパスポート受領の後、東京ドームで野球観戦の予定だったので、家族そろって出かけた。

 途中、乗り換え駅で別れ、私は講演会開始前にSさんとランチタイム。1ケ月ぶりのお喋りに花を咲かせた。
 これまでは開始時間が午後1時だったが、今日は1時半から講演会ということで、1時過ぎまで話しこみ、15分ほど前に到着したが、既に会場は満席で、一番後ろの席に2人でなんとか滑り込んだ。今回は申し込み者多数で、締切間際に申し込んだ多くの方が聴講出来なかったそうだ。

 会場では、既に会長さんの治験のお話が終わったところのようだった。ほどなくして講師の中村清吾先生(昭和大医学部教授・乳腺外科診療科科長)のご紹介があり、お話が始まった。

 中村先生ご本人からのお話をナマで聴くのは初めて。いつかも書いたけれど、2年ほど前に放映されたNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、「乳がんになる年齢の女性は公私ともに働き盛り、そうした中での発病と闘病のストレスは、それは本当に大変なものなのです。まず、それを認めてあげないと・・・」という台詞を聴いたときに、テレビの前でしばし呆けてしまい、本当に癒された記憶がある。それまでの数年にわたる闘病の間に、そうしたことを真正面から言葉にしてくださったドクターはいなかったのだ。
 そして、昨年の今頃、あけぼの会のニュースレターとともに送付されてきた小冊子に掲載されていた先生のエッセイで、再発治療は富士山でなく桜島を目指す、というものがあり、その内容にもとても共感したこともこのブログで書いた。
 そんなわけで、今回、テーマ自体は「知っておきたい6つの基礎ポイント-予防と治療―」ということだったから、既に学習済みの内容ではあったが、是非直接先生の謦咳に触れたい、ということで参加申し込みをした。

 前半の30分強は「世界統計でみる乳がんについて」から始まって、日米の食生活の変化や、緑茶の効用、ホルモン補充療法の変遷などのお話、休憩を挟んで後半は乳がんの成り立ち、発症過程から手術、デジタルマンモの進歩、無再発生存期間、ハーセプチンやタイケルブの作用、オンコタイプDX等による個別化治療に至るお話まで、スクリーン上の豊富な画像とともに多岐にわたった。

 最後の「転移性乳がん治療における新しいパラダイムの出現」で、再発の心構えに関するお話の後、富士山と桜島の写真が出て、桜島のふもとにも普通の生活がある、5年、10年経てば頂上にも昇ることが出来るようになる、というお話をされた。さらに「絆」という一文字がスクリーンに大きく映し出された。先生がおっしゃるには癌になったり、再発したりすることは大変なことだけれど、とても大きなことは「支援してくれる人が周りにどれだけいるかということであること。そしてそのことはこれまでの人生の鏡のようなことである。」とのお話に、本当にそうだ、と感じた。
 そして今、私には幸せなことに支援してくれる人が周りに沢山いてくださるのだ、と改めて有難く思った。

 その後、数人からの質疑応答を終えた後、先生は拍手の中で退場(・・・されずその場でお立ちになっていた。)。
 会長さんから、先生への御礼と副会長Tさんのご報告があった。Tさんは1ヶ月間の入院の後、ご本人の強い希望でいったん退院されたが、先週また緊急再入院されたこと、会いたい人は今のうちに行ってほしい、とのお話だった。福島の支部長さんからは今日お見舞いに行ってこられたお話もあった。
 Tさんには、このブログでも何度も書いた通り、私も大変お世話になり、また、励まされたことは数知れない。会長さんや福島の支部長さんのお話を聞くと、決して良い状況ではなさそうで、とても気になる。

 そしてお開き。外はいきなりの土砂降り。あんなに良いお天気だったのに、まさに天気予報どおりだった。いきなり10度くらい温度が下がったのではないか、と思うほど冷えこんでいた。帰り道はいつものようにプチ虹のメンバーとお茶をすることができた。

 延長戦となった野球観戦が終わった、とメール連絡の入った夫と息子とターミナル駅で無事合流でき、自宅の最寄駅に戻ったのは7時過ぎになってしまった。そのまま夕食をとり、買い物をして帰宅した。

 今日は朝からどんよりとした曇り空、予報通り昼過ぎから雨模様になった。気圧の関係かやはり頭が痛い。梅雨の時期に生まれたくせに、滅法雨に弱い。ロキソニンを飲もうかどうか、迷っている。
 九州は梅雨入り、だそうだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011.5.22 新しいサブタイトルで、再スタートです !

2011-05-22 07:22:53 | 日記
 一昨日お伝えしたサブタイトル変更、表題のとおり「再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる」としました。

 読んでくださっている皆様からすれば、サブタイトルなんかどうでも・・・と仰られるかもしれない。けれど、ブログを発信する私の心構えと、皆様にお伝えするメッセージの基礎となるものだから、おろそかにはできないものと思っている。

 これまで、タイトルからは乳がん患者の再発治療日記、ということが直ぐには分からないようにしてきた。
 そもそも治療日記が発端になったブログだから、治療が大きな柱になっていることは違いない。けれど、日々綴っていくブログは治療や病気のことばかりに言及しているわけではない。
 それ以外に仕事を持ち、家族も友人もいて、日々暮らしている中で心を動かされたこと、嬉しかったこと、趣味の読書や映画、合唱についても書いておきたい・・・と、自分のため、そして家族のためにどんどん欲張って書いてきた。
 しかし、タイトルに興味を持って見てくださる方の中には、治療や病気のことが比重を占めていることで、違和感を感じる方もおられるかもしれない、とも思っていた。

 そこで、これを機に、再発乳がん治療者のブログであることを明らかにし、乳がんの再発治療について知りたいと検索し、辿り着いてくださる方にとって、少しでもお役に立てるようにした。

 新しいサブタイトルは、「あせらず、あきらめず、頑張りすぎず、再び誇り高く美しく、を目指す日々」という生き方に通じるようにとの思いを込めて「再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる」とした。

 もちろん、本タイトルはそのままに「ロッキングチェアに揺られて」。
 
 ということで、これまでお読み頂いていた方々、サブタイトルは変わりましたが、これからも引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 そして、新しいサブタイトルの文言検索からこちらを訪れてくださった方、こんな感じのブログです。何かのご縁でこれからもお読み頂ければ、とても嬉しいです。

 あわせてどうぞよろしくお願いいたします。
 応援を頂き、本当にありがとうございます。心から感謝しております。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011.5.21 14年ぶり、友来たる

2011-05-21 18:45:47 | 日記
 今日は14年ぶりに友人との再会が叶った。

 彼女とは今を遡る26年(!)前、1ケ月にわたる新任研修で机を並べた仲だ。(実際には私が前、彼女が後ろの席だった。)
 職種は違って、薬剤師の資格をお持ちの彼女は技術系。私はただの事務屋なので、研修後は、全く違う畑を歩いていくことになった。当時、大卒程度の新規採用職員はとても少なかったし、彼女も私も、女性の職員が珍しい職場だったから、お互い、先輩達にとても可愛がってもらった記憶がある。そして、暇だったし若かった(?!)私は、彼女のお誘いに乗っかって、ずうずうしくも彼女の職場の先輩にテニスを教えて頂いたり、若手のスキーツアーに連れて行ってもらったりした。夏休みをとって2人で保養所に1泊2日で遊びに出かけたこともあった。

 半年ほどしか間が空いていなかったお互いの結婚披露宴に出席しあったりもしたけれど、その後、2人とも昇任試験に合格した後は、彼女が私より一足先にお母さんになり(息子より4つ上のお嬢さんと1つ上の坊ちゃんのお母様だ。)、なかなかお会いすることが出来なくなった。
 それでも、私が海外研修中には滞在先に手紙をくださったり、帰国後、坊ちゃんの出産後間もなくだったのに、お嬢さんを連れて職場を訪ねてくださったり、私の出産後、2人の小さなお子さんたちを連れて、わざわざ自宅まで遊びに来てくださったこともあった。

 以来、10余年。
 息子のベビーカーを嬉しそうに押してくれていたお嬢さんが大学2年生、坊ちゃんが高校2年生、というのだから年をとるわけである。よちよち歩きだった息子も電信柱のような高1になっているし・・・。

 ずっとお目にかかることはなかったが、年賀状だけはやりとりを続けていた。
 考えてみれば、当時の新任研修クラスの仲間は、研修終了後もしばらくの間はアフターファイブに集まったりもしたものだけれど、その後も個人的におつきあいを続けさせて頂いているのは今や彼女一人だけだ。看護師さん、保健師さん、栄養士さんなど、クラスの中に女性があと数人はおられたけれど(圧倒的に男性が多かった。)皆さんどうしていらっしゃるのだろう。

 年賀状で近況報告はしていたので、3年前に再発したこと、翌年、治療専念のため休職中であることだけはお伝えしていた。その後、もし体調が許せばお見舞いに行きたいのですが・・・などとお葉書を頂いたりしたのだが、さすがに体も万全でなく、かつらを被り、眉もまつ毛も抜け落ち、爪も剥がれ落ち、浮腫んだ状態で再会する勇気がなかった。
 だが、去年の5月、第九の合唱に出演する、とブログに書いたところ、チケットを手に入れたので聴きに行きます、とメールをくださった。当日はお会いしてお話することはできなかったが、確かに舞台に乗っている私の姿を観てくださったのだった。

 それから1年が経った。
 今も、私のブログを読んでくださっていて、3月下旬に「大学内のレストランに行ってみたい。」とのメールを頂いた。「暖かくなったら、ご案内しますので、是非どうぞ。」とご返事を返して今回の再会になった。

 出会った頃は、当然のことながら2人とも20代前半だった。それからお互い結婚し、母になり、そして四半世紀以上勤め続けてきた。彼女も最初から定年まで働きたい、とおっしゃっていた。結婚する時、ご主人にそう言ったところ「無理じゃない?」と言われた、と憤慨されていたけれど、私は、おそらくこの後もしなやかに働いて、きっちり定年まで勤めあげられるのではないか、と思っている。

 私はあと10年・・・ちょっと厳しいかもしれないけれど。

 昨日の夜までは気持ちが悪かったので、今朝は体調調整のために、朝ヨガで汗を流してさっぱりしてから彼女と会った。おかげで体調もほぼ復活し、レストランのオープンからクローズまでランチとデザートで3時間半。14年の空白はどこへやら、仕事の話も子どもの話も・・・と、話は尽きなかった。その後、緑の眩しい夏の日のような学内を簡単にご案内してから、アウトレットパークでお買い物。さらにはカフェでまた1時間半話し込み、あっという間に6時間が過ぎた。

 成人式の早撮りをした、というお嬢さんの振り袖姿を拝見し、こちらも先日の誕生日の息子の写真をお見せした。そして次回はお嬢さんも連れてショッピングにどうぞ、とお別れした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする