ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.7.18 ひよこさん、さようなら・・・から2年~今日が三回忌

2014-07-18 06:57:04 | 日記
 一昨年の7月23日、ひよこさんのご主人により更新された訃報記事を受けて、「ひよこさん、さようなら」の記事を書いた。
 昨年7月18日、「ひよこさん、さようなら・・・から1年」という一周忌の記事を書いた。
 そしてまた、1年が経った。
 今日でひよこさんが旅立たれてから丸二年。ひよこさんの三回忌である。

 今も私のブログ記事ランキングでは、ベスト10に「ひよこさん、さようなら」の記事が上がってくることが多い。
 旅立たれて2年を過ぎても、沢山の方がひよこさんのことを忘れずにおられるということだろう。実際にお会いになった方はそう多くはないだろうと推察するが、お会いになったことがなくても、彼女のことを大切に想い続けている方がいる、ということの凄さを改めて思う。

 ご主人による更新は昨年11月の月命日で途絶えていた。が、一昨日、まこさんのコメントに応える形で三回忌を無事済ませたというご報告がされていることに気付いた。
 体調を崩されることなく、恙無く暮らしておられるだろうか。三回忌のご準備を粛々とされていたのだろう。
 ひよこさんから高校進学おめでとうございます、のメッセージを頂いた我が家の息子が大学生になったのだから、お嬢さんはこの春には大学を卒業されて社会人となられていることだろう。坊っちゃんも就職活動中であろうか。

 ひよこさんが旅立たれた後、半年後にsakuraさんが、そしてここを訪れてくださっていた方たちのうち、判っているだけでも、初夏から秋にかけて、つばゆうさん、ながながさん、アッピアさんが相次いで逝かれ、今年4月にはたぁさんが、亡くなられた。
 それ以外にもコメントが途絶えている方で、天に召された方は少なくないのかもしれない。なんとも厳しい現実だ。

 こうして命日に想いを寄せる方たちが増えるにつれて、また姿勢を正す。
 今はおかげさまで体調が落ち着いている私も(だからといって、いちいち書いてはいないけれど、痛みと無縁というわけではないし、副作用から全くフリーであるわけでもない。)、いつどうなるかわからない。

 だからこそ、実際にはお目にかかったことがなくても、私がこの世からいなくなった後、(そういえば、ロッキングチェアさんという人がいたね~)とちょっぴりでも思い出して頂くことが出来るなら、とても嬉しい。
 改めてこれからの日々を大切に、私らしく暮らしていきたいと誓う今日、ひよこさんの命日である。
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2014.7.16 7月折り返し点に想うこと

2014-07-16 20:43:42 | 日記
 梅雨明けはまだのようだけれど、週明けから暑い日が続いている。
 今日も湿度が高い真夏日。日傘を差していてもジリジリと照りつける太陽光線とアスファルトの照り返しに、生気を吸い取られそうな1日だった。

 早くも7月折り返し点を過ぎた。小中学校は今週末から夏休みに入る。ワーキングマザーたちは夏のお弁当作りで大変な季節である。
 保育園に通っているうちは食事もおやつも、食については文字通り“心配ご無用”だったけれど、この有難みが身に沁みたのは、息子が学童クラブに通うようになってから。
 いざ、小学生になってみれば、給食がある期間は限られており、短縮授業の間はお休みだし、夏冬等の長いお休みに入れば、当然学童クラブにはお弁当持参がお約束である。
 寒い時期ならまだしも、暑い季節、冷蔵庫に保管しておいてもらえるわけではないお弁当、毎朝頭を悩ませたものである。お弁当箱の四方を保冷剤でガチガチにくるんで保冷バックに入れても、涼しいところに置いてくれなかったら、はたして・・・と心配し始めたら切りがなかった。

 過ぎてみればあっという間のことであるし、幸いなことにお弁当が原因でお腹を壊したこともなく、無事に過ごしてくれた。
 学童クラブを卒所後、小学校高学年になってからの長期の休みは、とりあえず朝作ったお弁当を冷蔵庫に保管しておくことが出来た。
 塾に行くようになってからは、朝作ったお弁当を夕方迄冷蔵庫に保管し、出かける時に持参させて夜に食べてもらっていた。そのことはかつてこのブログで書いたけれど、冷えて硬くなったお弁当は哀しくなるくらい美味しくなくて、可哀想だったな・・・と今もチクリと胸が痛む(とはいえ、勤務後、自宅に帰ってお弁当を作って塾まで届ける等という離れ業は出来ようもなかったので、仕方なかった。)。
 そして、中学・高校の6年間。終盤は青息吐息になりながら、冷凍食品頼みではあったが、毎日お弁当を持たせ続けた。

 もう息子のお弁当を作ることもおそらくはないだろう。そんな季節もあったものだ、と今は懐かしくも有難く思うのみである。

 さて、勤務する大学では月末が試験週間。京都在住の息子も概ね同じようなスケジュールだ。先日、珍しく先方から連絡があったと思ったら、「(試験に備えて)栄養ドリンクを送ってほしい」とのこと。
 親馬鹿の過保護と言われるだろうけれど、「自分で買いなさい」とは言わず、早速、送りましたとも。栄養ドリンクだけでなく熱中症予防の飲み物もおまけにして。
 うんでもすんでもないので痺れを切らしてLINEで「2つとも着いたの?」と連絡したところ、ようやく「2ことも。ありがとう」と返事が来た。

 今、私が出来ることはこのくらいだ。せめて水分補給をたっぷりと、京都のうだるような暑さにめげずに、しっかり試験勉強してください、と言いたい。

 帰宅すると、今月2回目のお花が届いていた。赤いグラジオラスが3本と淡いクリーム色のスプレーカーネーションが2本、可愛らしい紫の花をつけたベロニカが2本、そしてサンデリアーナの葉。花言葉はそれぞれ「愛の祈り」、「素朴」、「人のよさ」だそうだ。こう暑いとお花にとっては受難の季節。そんなわけで来月は例年通り1週目に鉢物のお届けだけになる。切り花は9月の第1週迄お休みだ。
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2014.7.15 取材を受けて想うこと

2014-07-15 20:47:24 | 日記
 先週金曜日の午後、休暇を取ってある新聞社の取材を受けた。
 今月の初め、ブログのコメント欄から取材申し込みがあったのだ(コメント欄が事前承認形式だと、こうした連絡をするとき便利だな、と思う。)。
 記者さんご自身も同じステージⅣ(遠隔転移がある)の乳がん患者さんだという。
 彼女は、私のように早期発見の後、術後補助療法を経たうえでの再発ではない。6年前の11月、腰痛で歩けなくなった折り、既に多発骨転移しているⅣ期の乳がんが発覚した。手術は出来ず、休職してゾメタ、ハーセプチンや各種抗がん剤治療を経て、骨にはまだ残っているものの乳房やリンパ節の腫瘍は画像上消えたという。1年後に無事仕事に復帰され、今も3週おきにご実家近くの関西の病院で治療を続けながら、元気に出張もこなしてお仕事を続けている。
 先週の初めにも京都迄出向き、他のブロガーさんの取材をされてきたとのことだった。

 思えば、再発進行乳がん患者というプロフィールで取材を受けたのは2回目のこと。最初は4年半ほど前。がんの専門誌だったから、大きな顔写真、実名入りで4頁にわたる掲載だったけれど、これについては知る人ぞ知る、だっただろう。
 が、今回はなにぶん全国紙である。インタビューの最後に「匿名にした方がよいですよね」というお気遣いを頂いた。が、顔写真の掲載はない。もちろんステージⅣのがん患者であることを吹聴する必要はないけれど、特に隠すこともないので「本名で構いません」と応じた。
 来月、8月18日の週に、ご自身が5年前に体験談を掲載したことを振り返りつつ、今も元気で仕事をしているという報告から始めて、他の部位の患者さんや医療関係者のインタビュー等を盛り込んだ「ステージⅣのがんを生きる」という6回シリーズのうち、1回の紙面を割いてくださるという。

 気付けば2時間、ほぼノンストップで話し続けてしまった。普段は自分がメモをとりながら相手からのお話を伺うことが多いのだけれど、今回は喋りっぱなし。
 もちろん、記者さんとは初対面だったのだけれど、同年代、同病という気安さのせいか、全く緊張することもなく(かなりずうずうしい?)、話したいことを話したいだけ、聴いて頂いた感じだ。

 がんと戦わずに無治療を選んでいる方、治癒を目指して徹底的に叩くというキツい治療を果敢に続けている方、私のように仕事を続け、なるべく長く今のQOLを落とさないようにがんと共存するのが第一目標、と身体と相談しながらキツすぎず、緩すぎずの治療を続けている者もいる。
 100人の患者さんがいれば100人のストーリーがある。
 たとえどんな治療方法を選択しようとも、何が正解かは誰もジャッジ出来ないのではないか。何より患者さん本人が納得し、そして患者さんの大切な人たちがその選択を受け容れ、支持してくれるならば、それこそがその人にとっての最良の選択に違いない。

 1ヶ月後、どんな記事にまとめて頂けるのか、今からとても楽しみである。掲載が判ったら、またこのブログでご紹介させて頂きたいと思っている。

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2014.7.13 電車の中はいつから・・・

2014-07-13 20:54:58 | 日記
 昨日ヘルプマークのことを書いたついでに、今日は車内マナーについて、思うところを書いておきたい。

 ここのところ、電車に乗りながら、一体いつから車内はプライベートな空間になったのだろう、と感じることが多い。
 車内でお化粧をするとか、食事をするとかは既にもうすっかり認知されているのだろうか。はしたない、とか恥ずかしい、とかいう気持ちはもはやなくなっているのだろうか。もう誰もそんなことは言わないのだろうか。他人には無関心ということだろうか。
 化粧品やらパンやおにぎりやらの匂いが充満した車内はなんだかなあ、である。特に今は汗や体臭の匂いも混じって、普段電車に乗りなれない身としては、具合が悪くなりそうである。
 
 それも若い人が・・・、というところではないところがちょっと唖然とする。
 私と変わらないくらいの年格好の女性。隣に座り、当然のように膝の上にポーチを出してスッピンからあっという間にフルメイクを完成させていく図には目を見張った。そして15分ほどして、メイクが完成すると、何事もなかったようにポーチはバックの中に治まり、颯爽と電車を降りて行った。本を読みながら、チラと横目で見たところ、すっかり変わった容貌にあっけにとられてしまった。これは休日の午前中だったか。満員ではなかったけれど、椅子には8割がた人が座っていた時のことだ。

 そして、やはり休日の夕方。これもまたそこそこ席が埋まっていた時のこと。
 私より年上の60代、多分70にはなっていないだろう男性が、ずーっと、携帯で話をしているのだ。ひと駅で済む用事で、やむなくかかってきてしまった電話に出ているのかと思いきや、そうではなさそう。全然終わらない。停車した駅で降りることなく話は続く。手で口元を押さえて小声で、でもない。延々と、普通のトーンで、である。なぜ、車内だから後からかけ直す、と言えないのだろうか。特急電車だから、次の停車駅まで、こちらも逃げ場がない。そんな大声で話され続けては本も読めない。一体どういうことなのだろう。私の理解の範疇を超えている。

 繰り返すが、若い人が、ではない。十分分別もあるべき年代の人たちが、この状況である。これでは見本にならないではないか。いったいどうしてしまったのだろう。車内は公の場ではなかったか。

 憤慨しながら、毎朝毎夕満員電車に揺られて通勤している夫に「通勤電車の中ではさすがにそんなことはないのよね?」と訊いたところ、「さすがにその時間帯には(携帯の)最低限のマナーは守っているけれど、化ける・食べるはいるよね・・・」だそうだ。そうなんだ・・・・。

 それでも、化粧をしたり、食事をしたり、携帯で通話をするならば、それは一旦降りるべきでしょう、と思うのは私だけだろうか。

 今日も、昨日に引き続き暑さを覚悟していたが、思ったより雲が厚く風もあったので、大分楽に過ごせた。
 ちょっぴり朝寝坊をした後は、午前中断捨離に励み、ずっと気になっていた所がスッキリした。午後からはヨガスタジオへ。ホットピラティスのクラスに参加して体幹を鍛え(?)、その後、夫と待ち合せをして買い物。結局、またしても外食になってしまった。

 そしてまたあっという間に土日も終了。メンテナンスもリフレッシュも家事も、ある程度こなすことが出来、佳い二日間であった。

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2014.7.12 ご存じですか、ヘルプマーク

2014-07-12 17:56:50 | 日記
 先日、都バスに乗った時に、ヘルプマークの吊り広告を見て、思い切って頂いてきた。
 一昨年10月末から、既に都営大江戸線各駅で配布が始まっていたが、普段該当路線に乗ることも殆どなく、これまで付けている方を見たことはなかった。優先席付近にはステッカーも標示しているという。世間的な認知度はどのくらいなのだろう。
 
 今月8日から都バスをはじめ全都営交通で拡大実施するという告知を見て、ちょっと気になっていた。ヘルプマークとは、「義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、援助や配慮を必要としていることが外見からは分からない方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助が得やすくなるよう、作成したマークです。ヘルプマークを身に着けた方を見かけた場合は、電車内で席をゆずる、困っているようであれば声をかける等、思いやりのある行動をお願いします。」というもの。
 頂く時、何か申出書のようなものを記載するのですか、と窓口で尋ねると、「いいえ、大丈夫ですよ。」とすっと手渡された。確かに、どうしてこのマークが必要なのか根掘り葉掘り訊かれたり、何か書かされるとしたら、ハードルが高くなって絵に描いた餅になってしまうだろう。ただでさえ、外見からはわからない、という前提のマークなのだから。

 赤いプラスチックの長方形タグには上半分に十字が下半分にハートマークが白抜きされている。「こんなのをもらってきたんだ」と夫に見せたら、「これは、スイス・ラブ、って感じだね」と。確かに上半分だけ見ればスイスの国旗でもある。裏表同じマークだが、片面にシールを貼って必要情報を伝えることも出来るようになっている。
 なぜ、私がヘルプマーク?と思われるだろうけれど、抗がん剤治療の帰り等、具合が悪くて優先席に座りたい時も、見た目が元気な50代なのでなかなか憚られる・・・というのがそのココロだ。もちろん立っていられないほど体調が悪い時には、通院等どうしても行かなければならない場所以外、敢えて電車に乗って外出するつもりもないし、基本的にまだ優先席のお世話にはなりたくはない。けれど、これはお守りとして持っておくつもりだ。もちろん今は大丈夫。
 そして、これからも出来るだけ長い間、このマークのお世話になることがないようにありたいが、私たちのような病気を持つ身のために、「お腹に赤ちゃんがいます」のマークのように、都内だけでなくもっと全国的に認知されるようになったらいいな、と思う。

 今日は久しぶりに青空の土曜日。これは!と早起きして、大洗濯に勤しむことに。大物も含めて3回洗濯機を回し、ベランダには洗濯物が大漁旗のようにたなびく。そして、朝一番にはお愉しみのマッサージに出かけ、全身すっかりリセットして頂く。
 その足で、3か月ぶりに父も揃って両親と私たち夫婦4人で昼食会。16日の母の誕生日祝いと先月の京都旅行のアルバムを渡し、いつものホテル内中華レストランでの時間を過ごした。

 義母の新盆にお花を買って帰宅すると、患者会のあけぼのニュースが届いていた。5月のパネルディスカッションの記事が沢山。私の原稿や写真もそこかしこに掲載されており、ちょっぴり面映ゆく拝見する。
コメント (4)
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