ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.1.13 旅行最終日、パーク再び、帰路は「しまかぜ」個室満喫

2020-01-13 23:57:37 | 

 昨夜も夫と息子の鼾にもめげず、朝までぐっすり6時間以上連続して眠れた。やはりよく動くとよく眠れるということか。2日とも朝風呂に行かずじまいだったのはちょっと残念だったけれど。
 窓の外は昨日と打って変わっていいお天気。朝焼けが美しい。BSで朝の連続テレビ小説を視てから足湯を済ませる。夫は起きたが、寝坊助息子は全然起きない。なんとかお尻を叩いて起こし、朝食会場へ向かう。

 夫がお腹を壊したという。この2日間かなりの飽食続き。昨夜も息子と私は握りずし会席にしたところ、夫はもっとがっつり食べたい、とすき焼きがついているコースにしていた。私はお腹が緩いのがデフォルトだが、“今日も元気だご飯が美味い”を地で行く夫がお腹を壊すのは珍しい。

 朝食会場は昨朝よりもさらに混んでいる。15分ほど待って、ようやく案内された。お腹を壊している時はとにかく食事は控えめに、が原則である。ついつい調子に乗って頂きすぎて、私は何度痛い思いをしたことか。夫は大分少な目にした、と言っていたけれど・・・。

 部屋に戻り、荷物を整理してパッキングを済ませる。帰りの特急時間に合わせて乗り継ぐバスの時間を逆算し、頭に入れる。相変わらず夫は下痢が続いているようで、イマイチ元気がない。
 チェックアウトを済ませ、荷物をロッカーに預ける。ホテルの噴水が美しいパティオで写真撮影を済ませ、再びパークへ向かう。

 一昨日よりも混雑している。3連休最終日、お天気も良くなったせいだろうか。夫のことを考えると、とてもハードなアトラクションは無理だろうと、座っていられるマイルドなものからスタート。レーザー銃を打ち、園内一周の汽車に乗る。ところが、ティーカップに乗ったのが運の尽き。息子が調子に乗ってグルグル回すものだから、私たちはすっかり酔ってしまう。さらには息子が、私は一昨日は遠慮申し上げたスプラッシュコースターに乗ろうよという。幸いフード付きのコートも着ているし夫が一昨日付き合ったので、付き合うことに。ヴァイキングにまで乗らされて、結構ヨレヨレな私である。

 夫はとてもではない、と撮影班に回るが、その頃から急に元気がなくなったようだった。座っていられるからと3Dシアターに入ったが、そこから出たらもう限界だったようで、お茶をして待っているから2人で行ってきてという。一度は夫から離れて息子に付き合おうかと思ったが、心配なので夫が入ったレストランに戻る。丁度食事の時間帯で他のお客さんたちは皆食事中だが、夫はスープを飲んでじっとしている。とりあえず持っている整腸剤を渡す。風邪かもしれないというので、葛根湯も飲んでもらう。このまま無理にここにいるより、ホテルに戻ってソファでゆっくりしている方がいいでしょう?、と戻ってもらうことにした。

 残り時間はあと2時間弱。息子を放置するのも可哀想だし、と再び息子と合流し、一昨日回っていないちびっこゾーンを回って、大人二人でちょっとどうよ、という感じのアトラクションを制覇した。息子がコースターをあれこれ乗っている間は、20年近く前にも買い求めたと記憶している、スペインでは“幸福のお菓子”と呼ばれているポルボロンを買い、メインエントランスや広場で写真撮影。本当に空いていてTDL のエントランスとは雲泥の差である。

 最後に、また乗るの、というほどしつこく息子が吊り下げ式コースターへ。そこから降りたところで合流し、気球ライドに乗って園内を見渡しておしまい。ホテル専用出入口からパークを後にした。
 ロビーで待っている夫と合流して、荷物をピックアップ。シャトルバスと路線バスを乗り継ぎ、鵜方駅まで向かった。帰りのしまかぜの出発まで30分弱は待合い室で時間調整。

 夫は相変わらず元気がないので、ここは私が頑張らねばと、いつもはお任せの荷物持ちも買って出た。定刻に「しまかぜ」が入線し、3号車、洋風個室に入る。
 これは快適である。4人ゆったり座れるソファに大きなテーブルが備え付けられている。さらに“電車でGO!”さながら前方カメラの様子が個室内で観られ、窓もとても大きい。(まあ、その後どこの停車駅でも色々な人から見られることになるのだけれど・・・)発車まもなくアテンダントさんがご挨拶に見えて、暖かいおしぼりと乗車記念証を持ってきてくれる。息子はもうすっかりハイテンションである。

 夫はとてもランチどころではなかったし、私たちも時間が惜しくパークでウロウロしていたので、お昼は抜きだった。さすがにお腹ぺこぺこ。遅いお昼を頼む。松阪牛カレーや松阪牛重等を注文すると個室まで運んでくださる。夫は整腸剤を飲むために少しサンドイッチをつまみ、後はちょっぴりのお菓子と珈琲だけ。息子はほぼ2人前をペロリ平らげた後、さらにスイーツセットも難なくクリア。私はちょっと遠慮気味にあれこれ味見をし、スイーツと紅茶だけは美味しく頂いた。

 そんなわけで鵜方から名古屋まで2時間ほどの乗車時間は食べて飲んで、車内グッズを買って、ちょっとカフェ車両等を見学しているうちにあっという間に終了。辺りはもう真っ暗になっていた。
 名古屋での新幹線乗り換え時間は私たち上り組が20分、息子が30分弱。無事にホームに上がり、息子は私たちが出発するまで見送ってくれた。車内でのお伴は有川ひろさんの「倒れるときは前のめり」(角川文庫)。有川さんの初のエッセイ集!ということで興味深く読んだ。

 新幹線の乗車時間は上りの私たちは1時間半弱。下りの息子は1時間弱。とはいえ息子は新幹線降車駅=自宅最寄り駅だが、私たちは新幹線の降車駅から在来線、私鉄乗り換えと1時間はプラスされる。結局、息子が帰宅した、と連絡があった5分後に新幹線を降りた私たちが帰宅出来たのは、それから優に1時間以上かかってからのことだった。

 昼からろくに何も食べていなかった夫はさすがに空腹だったようで、私鉄乗換駅でカップ麺を買いたいと言い、そういえば私もお腹が空いていると同調した。最寄り駅からはタクシーに乗って帰宅し、大車輪で片付けをし、洗濯機を回す傍ら買ってきたカップ麺の遅い夕食を摂った。

 帰宅すると今年初めてのお花が届いていた。ピンクの薔薇が6本、センニチコウ草2本、ソリダコ1本、ミスカンサスの葉。草臥れていたけれど、そのままにも出来ず、ガラスの花器に投げ入れた。花言葉はそれぞれ「愛らしい」「色褪せぬ愛」「用心」「変わらぬ想い」だという。

 あと9時間もしないうちに新しい1週間で仕事を始めているかと思うとクラクラする(そう思うなら無理してブログを書くことなんかないのに、と夫は言う。ごもっとも。)。

 こうして飽食し過ぎて、最後にはお腹を壊してしまったというオチがついた真珠婚式記念旅行は、息子も参加してくれて終了。
 本当の結婚記念日は明日である。夫が元気になってくれると良いのだけれど・・・。蛇足ながら私は腹八分目を通したことで、今回酷い下痢には見舞われずに済んだ3日間だった。


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2020.1.12 旅行2日目 クルーズ、水族館、終日海を満喫

2020-01-12 23:11:18 | 
 昨夜、温泉から戻った後、夫はあっという間にマスクをかけて(鼾防止策だそうだ。)眠ってしまった。私もかなり眠かったが、隣で息子がスマホを見ていたので、真っ暗にしてもらうわけにもいかず。そうこうしながらも、日付が変わる前にはなんとか眠りに落ちることが出来た模様。

 5時半頃お手洗いで目が覚めたけれど、温泉には入れるのは6時から。部屋から結構距離があるので、どうしようかと逡巡しつつベッドでうだうだするうちになんとなくまたウトウトしたようだった。
 モーニングコールで起き出し、外を見ると、ショック。ポツポツと雨が降っている。昨日の夕焼けはなんだったのだろう。テレビの天気予報では曇り、午後の降水確率は40%だと言っているのに。いつもはよほどのことがない限り旅には折りたたみ傘を持参するのだけれど、今回は夫がわざわざ現地の天気予報を印刷して「晴れ、大丈夫!」というのであえて持ってこなかった。晴れ女の力及ばず・・・である。

 足湯もせず身支度を終え、寝坊助息子を起こして、朝食会場へ向かう。
 混雑しており、10分ほど待ったか。テーマパーク隣接のホテルだけあってちびっこ連れの家族が大半。私達は家族とはいえ、その中ではかなり珍しい大人3人組である。お腹を壊すのが心配なので、食べ過ぎに注意しつつ、ゆっくり朝食を終える。ひとまず今朝は下痢を免れている。

 部屋に戻って態勢を立て直し、バスの時間をチェックしてからロビーに降りる。フロントで傘を借りようとしたところ、「売店で買ってください」と言われ、しょんぼり。急ぎ売店に行くと、ビニール傘が飛ぶように売れている。3本なんとか掴んで購入し、ホテル前のバス乗り場へ走った。

 今回ゲットしたデジタルフリーパスは4日間区域内の電車は乗り放題、特急も4回乗車可能、さらに色々なアトラクション、観光施設の入場料もついた優れモノである。
 まずは2駅先の終点、賢島まで贅沢に特急で移動する。やはり傘なしではちょっと歩けない雨降りである。
 ここは息子が数年前に来たばかりなので詳しい。20年近く前に家族揃って訪れているのだが、情けないことに私は殆ど思い出せない。駅前には息子がその時ランチをしたという、彼と同じ名前のお店も。

 息子お薦めの英虞湾遊覧・エスパーニャクルーズへ向かう。スペイン語で“希望”を意味するエスペランサ号は芦ノ湖の海賊船に似た250人乗り3本マストの帆船。大航海時代のカラック船をモチーフにしているそうだ。30分ほど待って傘を差して乗船場に向かう。湾には海猫が優雅に泳いでいる。夫が2階の特別船室に行こうとプラスアルファの乗船料を奢ってくれた。クラシカルなインテリアに囲まれて快適な船旅である。真珠の養殖場や2016年の伊勢志摩サミットの舞台となった豪華ホテルなどの説明もあり、50分のクルーズのラストには真珠モデル工場見学付き。養殖真珠の核入れ作業の実演を見せて頂き真珠製品を眺めて下船した。
 駅前には明治38年創業の由緒正しき真珠店があった。店内はとてもクラシカルで素敵。買い物には踏み切れなかったけれど、すっかり目の保養をさせて頂いた。4月には東京で展示会もあるという。

 次なる目的地は飼育種類数日本一、日本で唯一ここだけで飼育しているジュゴンに会える鳥羽水族館である。再び賢島から特急で鳥羽駅を目指す。駅には明日乗車する予定のしまかぜ、赤い伊勢志摩ライナー、ビスタカーが3台並んでいて壮観。鉄男の息子は当然そこで3台バックに写真撮影である。特急発車時間まで30分ほどあったが、駅ナカにあったサミット記念ホールを見学。各国首脳の直筆のサイン等が見られてなかなか興味深かった。それにしても3年半前から続投しているのは我が国とドイツの首相くらいか。ちょうど良い時間調整が叶った。

 特急に乗ること30分弱。お昼は鳥羽に到着してから、ということで小腹を満たすために夫が買ってくれた名物赤福と伊勢茶で車中人心地つく。この頃には空がやや明るくなり、雨が大分小やみになってきていた。うーん、ビニール傘3本ただの荷物になり下がるのはちょっと微妙である。

 水族館までは徒歩で10分ほど。途中鳥羽湾めぐりとイルカ島を巡るクルーズ乗り場もあり、こちらもデジタルチケットでOKだという。気にはなるが残念ながら最終便は早く、両方欲張るのはちょっと無理そう。
 昨日パルケエスパーニャが余りに空いていたのですっかり高をくくっていたが、水族館はかなりの混雑でびっくり。雨が止み、皆お出かけに繰り出したといったところか。

 まずは館内のレストランでランチ。14時近いというのになお列を作っていた。暖かい天麩羅うどんを頂き、見学開始である。順路のない水族館ということで、どこから見てもOKである。息子についてコーラルリーフダイビング、伊勢志摩・日本の海ゾーンの見学を続ける。
 いつかも書いたけれど、水族館が好きである。ぼーっと魚のお腹を見上げているとなんだかとても癒やされる。けれど今日はとにかく人が多く、ちびっこたちの熱気が凄くてかなり疲労困憊。

 初めて見たスナメリの噴気孔が開くのは実にインパクトがあったし、ラッコの仕草は相変わらず可愛い。パンダイルカ(イロワケイルカ)も気持ちよさそうに泳いでいたし、ペンギンたちの動きはいつもながらキュート。セイウチの牙の立派さにものけぞった。

 そして、なぜにあの生き物を人魚と間違えたのか、人魚伝説のモデルとされるのがいまいちよくわからない風貌のジュゴン、齢34歳というセレナちゃんに会えたのも嬉しかった。大量の草をお食事中だったのだが、じっと待っていたらしっかり顔を拝むことが出来た。小さな目、○を二つ描いた鼻の穴、なんともユニークな顔つきである。呼吸するときには内方向に穴が開く仕組みだそうだ。上手く出来ている。

 海獣王国ゾーンを見る頃にはかなりぐったり。お茶して一休みしたい夫と私に反して、息子はジャングルワールドやら奇跡の森やらのゾーンへとどんどん歩き続けていく。更に古代の海ゾーンにも行くと言うけれど、閉園まで30分もなく、私達夫婦はお茶しながら息子一人で廻ってもらうことに。元気一杯の23歳に付き合うのは病弱の身、なかなか大変である。

 残り5分でショップに駆け込みお土産を買って、さて帰ろうとしたところ、出口ではフクロウに触れさせてくれている。フクロウカフェでそのモフモフを楽しんだ息子に薦められて、私もちょっとなでなでさせてもらった。可愛い。本当にふわふわでびっくり。すっかり興奮しつつ最後の贈り物に満足して水族館を後にした。

 あたりはもう暗くなり始めている。ホテルの灯が海に映って綺麗である。
 帰りの特急の時間まで30分ほどあったので、駅前でおやつやら何やらを買い込んで、再び特急で鵜方駅まで戻ってきた。
 既にパルケエスパーニャ閉園時間から1時間を過ぎているので、路線バスは最終便が終わっている。タクシーがいなかったらどうしようと不安だったが、1台待っていてくれてラッキーだった。10分ほどで順調にホテルに戻り、無事部屋に戻ってきた。

 今晩は和食レストランで夕食。お寿司懐石を頂き、伊勢エビの活け造りを夫が追加でご馳走してくれた。思わず息子は動画を撮っている。お刺身を愉しんだ後は、赤だし味噌汁にして頂けた。伊勢物語という地酒を飲んだ二人は赤い顔で今日もご機嫌。
 今日も温泉の大きなお風呂へ。露天風呂にサウナ、打たせ湯も寝湯もとコンプリートしてきた。後は眠るだけ。
 明日は出発までパークで遊んでから帰京する予定である。
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2020.1.11 祝!真珠婚 伊勢志摩・パルケエスパーニャ2泊3日の旅へGo!

2020-01-11 21:25:39 | 

 結婚記念日旅行を始めたのは何年前だったか・・・。今年は記念すべき30周年、真珠婚式である。真珠は6月生まれの私の誕生石でもある。ならば真珠の故郷への旅がいいなあと考えていた。そんな話を夏、研修中だった息子にしたところ、僕も行きたい!ということで、帰宅して早速ホテルを予約。今回は家族揃って3連休を過ごすことにした。

 息子が小さかった頃、全国津々浦々のテーマパークを巡り、各地の特急に乗ることそのものが目的の旅を繰り返していた(若かったし、まだ病気にもなる前のこと。その後病を得てからは長く生きることは叶わないと思ったので、夫と息子で仲良く暮らしていってもらうために、2人旅を後押ししてきた。)。
 この志摩スペイン村にも今から20年近く前、息子が保育園児だった時にビスタカーやら伊勢志摩ライナーやらACEやらに乗るために、そして遊園地で遊ぶために訪れたことがある。息子に訊けば当時のことは殆ど覚えていないとのことで、ホテルも「へえ、ここに泊まったんだ」ということだったが。

 今回は夫と息子が頑張ってネットを駆使し、当時はまだなかった「しまかぜ」の個室や「伊勢志摩ライナー」のサロンカーの予約が叶った。パルケエスパーニャの開業に合わせて走行開始した伊勢志摩ライナーは25周年とのこと。早いものである。
 
 その電車に乗るため、普段より1時間も早く起きて(まだ真っ暗!)、新幹線の駅に向かうことになった。息子とは名古屋で合流。ところが、出発の1時間程前、利用する私鉄が人身事故のため遅延中とのバッドニュース。やむなくJR乗換駅までタクシーで向かった。結果、渋滞もなくスイスイと10分ほどの所要時間で済み、予定したより1台早いJRに乗ることが出来た。土曜日のため席も難なく確保出来、予約した新幹線の発車30分前に到着してしまったが、20分早いのぞみ号に変更してもらえ、ロスタイムなく発車。

 読みかけの文庫を読んでいる間に名古屋駅に到着。新大阪から乗車し、私達より1分早い名古屋駅到着だった息子と無事合流出来た。名古屋駅に降りたのは前回お伊勢参りに訪れた10年近く前以来か。

 予約した伊勢志摩ライナーの発車まで30分。近鉄の駅に到着すると、息子がリュックから「2人に渡したいものがある」という。なんとお手製のカラー版・旅のしおりが出てきて、びっくり。昨夜仕事帰りにネットカフェで作成してくれたそうな。その題名がずばり、今日の記事の題名なのである。

 駅には足湯列車も入線してきて、皆珍しそうに写真を撮っている。湯の山温泉駅まで冬季の週末のみ運行するという観光列車「つどい」である。
 その観光列車を見送って、私達は予約した伊勢志摩ライナーに乗り込む。36席しかないサロンカーは明るい暖色の大きなソファーで、3人以上は4人のボックスシートを使えるようになっている。テーブルも大きく、実に快適である。2人は早速ビールで乾杯。私はお腹が心配で暖かいチャイをちびちびと啜る。

 家を出てきたときには雲が厚く、いまいちのお天気だったのに、こちらは打って変わって青空のいいお天気だ。やはり晴れ女だな、と一人ほくそ笑む。刷毛でさっと描いたような美しい白い雲。他の車両より断然大きな窓から見る景色はとても開放的だ。何度も「空が綺麗!」と繰り返して言ってしまう。

 途中お伊勢参りの乗車客が降りていく。続いて車窓一杯に広がる英虞湾の美しい海。息子は学生時代にお友達と鳥羽や松阪を旅しているので、お喋りしながらあれこれ教えてくれる。2時間ほど揺られたが、その長さを全く感じさせない快適な旅だった。定刻通り志摩スペイン村の入り口・鵜方駅に到着。20年近く前はこの駅からホテルに向かったのではなかったような・・・と言ったところ、やはりそうだった。覚えていないようで覚えているものである。

 バスで宿泊するパーク隣接のホテルまで向かい、まずはチェックインの手続きと今日・明日の夕食の予約を済ませる。ロッカーに荷物を預け、パスポートを頂いていざホテル専用入り口からパークへ入園である。
 今回の3連休が終わると、長期休園になるとのことであるが、信じられないくらいの人の入り。少ない! どのアトラクションも待ち時間などというものは存在せず、申し訳ないくらいのストレスフリー。とはいえ、閉園が17時ということで、今日遊べる時間は4時間ほどである。

 息子は早速吊り下げ式ジェットコースターに走る。さすがに空中一回転どころか捻られて延々と逆さのまま引き回されるなんて、かつらが落ちたら洒落にならないし、夫も心臓麻痺でひっくり返ったら大変なので、息子一人にお任せする。こうした絶叫マシーンに一切待たずに乗れるなんて凄いよ、と息子は大はしゃぎである。まあ、二十歳を超えて両親と遊園地に来るとは思わなかったけれど、とのことだが。

 絶叫系のアトラクションは敬遠して、小さなキッズ用コースターに乗ったり、カルーセルに乗ったり、すっかり童心に帰る。その後遅いランチを摂り、人心地つく。
 お天気が良く、暖かいのが何より。夫は前回来たときに息子がびしょ濡れになって憮然としたスプラッシュコースターに付き合う。かつらを濡らしたくないし、私はご遠慮申し上げた。息子曰く、これに乗ったのは思い出した、とのこと。

 その後も皆でレーザー銃を撃ってみたり、空飛ぶ船やボートに乗ってみたり。室内コースターだから大丈夫だよ、と言われて乗ったものは結構横に揺られ、かなり怖かった。「何か落としても取ることは出来ません。」と脅され、思わず頭を押さえて絶叫する羽目になった。息子にはアラ還の女性とは思えない高音だったと言われたが、一応メゾソプラノですから!

 園内はスペインの各地方を模した広場や通りがあり、インスタ映えする景色が沢山。キャラクターグリーティング等もあったけれど、音と光のショーやパレード等は年末年始限定だったようで、残念ながら今回はなし。
夫が「疲れた、お茶したい・・・」と言うがあと1時間ほどで閉園だから、と頑張ってもらう。息子は最終的に全てのコースターを制覇し、最初に乗った吊り下げ式のコースターには閉園間際2回連続でチャレンジしていた。23歳、怖い物なしである。前回は身長が足りなくて乗れなかったものも沢山だったから、リベンジというところか。
 夫がお茶をしている間、私は気球型ライドに一人で乗った。高いところから見た夕焼けが真っ赤でとても美しかった。明日も晴れるだろう。

 ホテルに戻って、キーをもらって部屋に入って、皆でお茶で一服。窓の外にはピレネー山脈をイメージした山々に分け入るコースターのレールと、空 にはまん丸な大きなお月様。夫はあっという間に鼾をかいている。お疲れ様である。
 夕食はパエリヤや伊勢海老や鮑など魚介類をふんだんに使ったスペイン料理フルコースに舌鼓。2人はワインやスペインビールでご機嫌さんである。
満腹になったところで、これから“ひまわりの湯”というネーミングの天然温泉で手足を伸ばしてくることになっている。
 明日は一日、今回のお助けマン、“デジタルフリーパス”というお得な切符を駆使して、楽しむ予定である。
 
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2020.1.10 閲覧500万頁達成御礼と体調のこと、母のこと

2020-01-10 21:39:23 | 日記

 2020年、明けたと思ったらもう10日である。最初の1週間が何とか収束しそうでほっとしている。
 さて、今朝アクセスカウンターを見ると、閲覧500万頁を超えたのに気づいた。400万頁を達成したのが2018年3月8日のことだから1年10か月ほどである。この時の記事によれば相変わらずお腹は緩め、とある。記憶にある限りここ数年ずっとお腹は緩いままだと苦笑する。

 2016年3月初旬、300万頁を達成した折、このままの勘定で行けば、500万頁達成には3年弱かかることになる、と書いている。そして400万頁達成の折、大分ゆっくりとしたペースになっているので、あと2年はかかりそうと修正している。結果として300万頁から200万頁上乗せに4年弱かかったことになる。自分に甘めの採点ではあるが、ここまで生き延びるとともに書き続けられてきたことは十分及第点ではないかと思う。

 ひたすら長いだけの文章を綴り、旅行記に写真を載せるということもなく、ただただ文字だけの地味なブログである。それでも、長きにわたり読んでくださる方がいらっしゃるということが、大きな励みになっている。
 いつものことながら振り返れば、思えば遠くへ来たものだといった心境である。

 次の願いは600万頁が叶うことか。あと2年書き続けられるかどうか。患者会での瞑想ヨーガの講師も丸2年続けさせて頂けている。これ以上何をか望まん、であるが、私なりに静かに穏やかに進化を続けていけたらと思う。
 命ある限り終わることのない治療を続け、あと2年3か月で迎える定年まで仕事を続ける、という就職した時からの目標も見据えながら、日々少しでもひと様の役に立ちながら進化を続けていきたい。そして、日々の小さな幸せや感謝の気持ちを綴り続けていきたいと思う。
 これからも引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、体調のことを少し。昨日は東京横断出張。起床時は快腸だったが、朝食後出かける前にはやはり下痢。ドキドキしながらの道中だったが、昼食まで一滴の水分も摂らず(あまり良いことではないが)なんとか事なきを得た。それでもお昼にポットの紅茶を飲んだら、帰路はやはりドキドキだった。ああ、心臓に悪い。

 心臓に悪いといえば、年末の造影CTで泌尿器科の主治医から「大腸に何かがあるので急ぎ外科で診てもらうように」と新年早々予約が入った母のこと。外科の主治医は、10月末には何もなかったし、4年検診での内視鏡検査でも異常なしだったので、今回のことに首を傾げたという。とはいえ、少し腫れている部分があるのは事実だという。小さなポリープならその場で取るという承諾書にサインして、来週また内視鏡検査に挑むのだそうだ。あいにく仕事の関係で付き添えないのだが、本人は大丈夫、とのこと。これでまた新たに開腹手術などということになったら可哀想過ぎる。何もないことを祈りたい。
 今日は父の月命日でもある。一人でバスを乗り継いで墓参りに行ったという健気な86歳である。



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2020.1.9 笑う門には未来が来たる

2020-01-09 22:58:20 | 日記

 大学時代のお友達がカードリーディングを始めたと聞いた。彼女が自分のために引いたというカードの説明がfacebookで紹介されており、とても気になっていたところ、次の記事で「先着10名様限定の新年お楽しみ企画で、『この一年自分の本質を生きるために心に置くべきカード』を一枚引いて、メッセージと共にプレゼントします」というお知らせがあるではないか。もしまだ枠があれば是非!と名乗りを上げたら、ラッキーなことに一番乗りだった。

 「1枚引きなのでシンプルだけれど、この1年の象徴と捉えるも良し、何かあったときに自分らしさを思い出すヒントとして捉えるも良し、心の片隅において、この1年に向けて歩き出して頂ければと思います。」という彼女からのメッセージによると、遠隔ヒーリングの要領で、“カードからのメッセージを受け取ります”と意図するだけでOKとのことだった。

 新年の抱負なんて大それたものはないけれど、干支のトップの子の年、初心に戻って日々を大切に、丁寧に生きていきたいと書いた私だったが、彼女からのメッセージを読んで、もしかしたら今年は何かついているのかも!という嬉しい予感がしていた。
 昨夜通院から戻ると、彼女からのメッセージが届いているのに気づいた。ブログで紹介させて頂いてもいいかしら、と訊いたところ、もちろんOK!と快諾頂いたので、記事にさせて頂く。

 まず飛び込んできたのは、宇宙空間に浮かぶびっくりするほどの大きな笑う口、斧、斧によって掘り出された木が描かれているカード。64 The Last Laugh/The Future(最後の笑い/未来)とあった。
 彼女からのメッセージは以下の通り。
「笑うことが、生きる力を呼び起こす。今まで生き延びるために外側からくっつけてきたものを削ぎ落とし、自分の本質を掘り出すときが来た。あなたは、宇宙で唯一のあなた。良く笑い、よく食べて、生命を味わい、あなたという唯一無二の生命の「原型」を掘り起こせ!」と。

 このカードはダキニオラクル64枚の最後の一枚だといい、「どんな状況でも(病気でさえも)、意識の持ち方で変容させられる、良く笑い、ユーモアを持つことによって、未来は容易に書き換えられる、という意味を持っています。生まれ変わり、全てが報われる、などの意味もあります。」とのこと。
 そして、「すごくパワフルなカードが出ました。そのものずばり、「未来」。キーワードは「笑い」。どうかこの一年、笑いのエネルギーを存分に使ってみてください」と結ばれていた。

 単純な私は「とても励まされました。一年頑張り抜きます!」と応じたら、「頑張りはほどほどに、力抜いてスマイル~楽しんで生きましょう」と返って来た。いや、本当にそうなのだと思う。頑張り過ぎず・・・、と常に自分に言い聞かせながら、気づけばついつい頑張ってしまう哀しい性である。

 加えて彼女は「自分にも言われている気がする、無理に大笑いしなくてもいいから、小さく、『でもよくやっているよなあ』って自分に微笑みかけるところからでいいと思う。お互い唯一無二の自分の人生味わっていこうね」と書いてくれていた。

 そう。穏やかな気分で自分に微笑みかけて生きていくこと。なるべく笑顔で日々を送ること。人の脳は結構お馬鹿さんだから、嬉しいとか楽しいから笑うというわけではなく、笑うと嬉しい、ハッピーだと勘違いする、とも脳科学が実証している。うんと無理して笑うことはないけれど、出来れば少しでも長い時間笑顔でいられたら、と改めて思う。

 2020年子の年、改めて私のキーワードは笑いと未来。笑う門には未来来たる、ということで今年も細く長くしぶとくをモットーに進んで行けたらと思う。Mちゃん、ありがとう!

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