今日も駅前(AKIBAオジン)

ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

「越後長野温泉」と「弥彦神社」、日本海の「寺泊」

2018年05月29日 | 露天風呂と地酒の旅

 連休明けに洟垂れの頃の仲間7名と恒例の「地酒と秘湯の旅」。今回は新潟は日本海に近い燕三条まで新幹線で行き、山側にバスで40分ばかり走った先の「越後長野温泉」である。この温泉は、ビューの「地温泉」企画で一つで塩化物泉の一軒宿「嵐渓荘」。信濃川の支流である五十嵐川の更に支流、守門岳を源流とする「守門川」の川沿いに佇む国有形文化財の宿である。

 今回は、地温泉企画に申し込むも予約できず直接予約となった。あにはかららんや、幸運にも国有形文化財の部屋二室に泊まれることとなり、川面のせせらぎを聞きながら落ち着いた旅の宿の雰囲気を満喫することとなった。

 東京駅からの上越新幹線、車内に着くや否やビールで乾杯しつつ、燕三条に昼前に到着。近くのイオン隣の蕎麦屋「小嶋屋総本店」に入る。ここは地元の蕎麦屋でも人気店だそうだ。12時前だというのに既に予約客以外は満席。席に付き、まずは酒の肴として天ぷらや玉子焼きを注文しビールと「八海山」で乾杯。へぎ蕎麦も肴に送迎バスまでの時間潰し。やや大ぶりの一口サイズに盛られた蕎麦は、つるっとした感触が「へぎ蕎麦」特有のたまらない食感。酒との相性もすこぶる良く実に旨いの一言。

 送迎バスまではたっぷり時間があり、隣接する「イオン」で宿飲みの地酒を仕入れ、近くの「燕三条地場産業センター」へと向かう。世界に誇る「職人の街」燕市の金属加工品の見物と一日早い土産品購入。爪切り、はさみ、おろし金など。さすがに包丁を買う輩はいなかった。以前センターで「スワダの爪切り」を購入し今でもよく切れて重宝している。駅前発の送迎バスに向かう途中、告示前だが、女性知事候補の演説に出会う。いまいち盛り上がっていない前知事の女性問題突然の県知事選挙の舞台でもあるが、原発再稼働と前知事の女性問題を同等に争点にする選挙は、なにかロジックが可笑しいと思いつつ再生エネルギー派としてエールを送る。

 駅前ロータリーから宿の送迎バスに乗り信濃川の支流の五十嵐川沿いに約40分走る。ハヤブサが生息する名勝の断崖「八木鼻」を横に見て五十嵐川の支流「守門川」沿いに曲がり越後長野温泉の一軒宿「嵐渓荘」に到着。国指定有形文化財の三階建ての本館に落ち着く。貸し切りタイムに宿の自慢の別棟の深湯と、露天の塩化物泉の風呂に入る。こじんまりとしているが野趣あふれる露天風呂である。30分限定なのでいまいち落ち着けない。

 夕食は、別棟の広い宴会場に我々だけで、座敷の真ん中に料理膳がおかれている。料理は自分の知る限りの山菜をそれぞれに趣向を凝らした料理のアラカルト。宿の提供する日本酒は地酒の「五十嵐川」を注文し山菜料理を堪能する。ヤマメの焼き魚、越後牛のステーキでとどめ。半端じゃない満腹感である。

  部屋に戻り、三条市唯一の酒造であり三年連続金賞を受賞している「福顔酒造」の地酒「吟醸 五十嵐川」,特別純米 福顔を部屋で飲む。五十嵐川の伏流水で仕込んだ酒はしっかりして爽やかな酒である。夜遅くまでオジン達はスマホ談議で盛り上がるが、スマホ談議の中身は、超初心者の域を出ていない。ブログ歴20年のオジンも含めて最近のSNSは当分は危険と確信した。

 翌朝、ブラリ散歩は八木鼻に向かってのウォーキング。行き止まりの市道の割りには地元の車の往来がある。どれもフル新聞を積んでいるので資源ごみの回収日であることがわかる。途中のでも子供たちが回収作業を手伝い、朝もやの中、意気揚々と軽トラの荷台に乗っていく。近くの集落の集荷場所へと行くのだろう。八木鼻へと向かう道の右手奥には烏帽子山が残雪を少し残し佇んでいる。田植えの終わった田んぼの水面に烏帽子山や八木鼻が映り込んでいる様は静かで美しい。

 朝餉も山菜料理がメインのご馳走である。食事の後、川辺に立ち守門川の美しい流れに暫し時を忘れる。

 宿に別れを告げ送迎バスで燕三条駅へ戻る。到着するなり8人乗り駅レンタカーで日本海に面した寺泊へ直行。寺泊に到着と同時に人気のランチスポット「海風亭 寺泊日本海 」に滑り込みギリギリ7名の個室を確保する。数量限定で人気の刺身ランチをゲットした。天気予報通りの雨が降り始めた。観光客で賑やかな寺泊の魚市場の見物と買い物もソコソコに「弥彦神社」へと向かう。

  先人の偉業である巨大な放水路である「分水」沿いに走ること20~30分で「弥彦神社」へ。小雨そぼ降る「弥彦神社」の駐車場から深緑の大鳥居をくぐり、樹齢百有余年の杉の並木を本殿へと向かう。三回目の訪問ではあるが、小雨の中の参道の杉並木にはただならぬ霊気を醸しだしている。深緑の弥彦山を背景にした本殿では、「二礼 四拍手 一礼」の出雲大社式の拝礼。今までは仕事で時間が無く寄ることができなかった「宝物館」、仲間からの誘いもあり初めて入る。宝物館には、絵画や5mはある寄贈の長刀、二階には約200人の歴代天皇の肖像画(佐川清寄贈)が展示されている。それにしても歴代200人の天皇陛下の肖像画を見て(拝謁か!!)、女帝の多さに驚く。男女同権、現代にこそ女帝の価値を改めて問いたい。

 燕三条への帰り道、弥彦町役場の近くにある「日本一の大鳥居」をコンビニ側の裏側から見物。コンクリート造りだがスケールの大きさには圧倒される。7~8年前、燕市に新潟営業所を開設したときにも、その大きさに驚いたものだ。予定の新幹線のいい時間に燕三条駅に到着する。新幹線内では運転の呪縛から解放されて、宿で飲み残した地酒を車内で空にする。

 来年も仲間と秘湯・地酒の旅続けられるといいが・・・

 

 


福島・高湯温泉と地酒の旅

2017年12月23日 | 露天風呂と地酒の旅

   大晦日の本日、遅くなりましたが、漸く暇ができて12月初の「温泉と地酒の旅」をアップします。アキバの地元仲間と日本の名湯の一つ福島県の高湯温泉に出かける。東京駅から新幹線で福島まで二時間弱。長くも短くもなく飲みすぎない丁度いい乗車時間である。福島駅に着き、まずは宿で飲む地酒を確保するため「きしなみ酒店」へと向かう。10年数前に「野地温泉」に同じメンバーと行った時も地酒を購入した酒店である。小さい店だが置いてある酒は地元ならではの旨い酒がずらりと揃っている。「奈良萬」、「壺中春」など福島の珠玉の酒が新聞紙にくるんで保存ケースの中に鎮座している姿はその時のままだ。前記の生酒と「純米 いい、あんばい」を購入する。駅前の蕎麦屋「西口喜多屋」では、市バスの発車時刻まで石臼で挽いた二八蕎麦やそば味噌の肴に店の地酒「奥の松」で時間を潰す。

 送迎バスを使わずに高湯温泉行の市バスで約40分の旅。スカイラインの入り口からすぐの「玉子湯」で降りるはずだったが全員がバスのブザーを鳴らすのを忘れ、次の停留所「あったか湯」で慌てて降りた。もともと宿の送迎を使わずに早めの市バスにしたのは、早めに宿に着きチェックインまでの時こ、この「あったか湯」に歩いてる入るためのこと。結局、入湯の後は「玉子湯」までは下り坂、結果オーライとなった。源泉からでるこの湯は乳青色で高湯温泉そのもののだ。ここ高湯温泉は斎藤茂吉がこよなく愛した温泉、茂吉の文献や紹介に力をいれている。

  ひと風呂浴びた後は、スカイラインを緩やかな下り道を手前のバス停「玉子湯」へ。高湯温泉他では大きな温泉旅館である「玉子湯」は開湯150年、自家噴泉が二か所あり宿の裏の小屋掛けから透明な源泉がボコボコと湧き出て湯屋へと木樋で導かれている。木樋は硫黄分が付着し見事な乳黄色、

 野天岩風呂の「天翔の湯」、「天渓の湯」は男女入れ替えだが、いずれもダイナミックな拵えと露天風呂の広さと開放感がある。源泉も風呂に注がれると青味が強くなり温度も適温、体に優しい上に解放感溢れいつまでも入っていたい気分になる。今回はすべての風呂も入る予定なのでいつまでも浸りたいが長湯は禁物と出て、この旅館の起源の自慢の「玉子湯」へ。

 旅館の裏手にあるこじんまりとした萱ぶきの湯屋「玉子湯」は、湯治場の雰囲気満載で脱衣所が湯船の脇にあり歴史と湯屋風情が満喫できる。この日は、本館内の風呂も入り、計四か所の湯に入り温泉三昧に浸った。夕食までの小一時間、部屋では福島市内で買い求めた「ひやおろし奈良萬 生酒」でスロースタート。 夕食は個室に案内され、しばし小宴。

  翌朝、野天風呂と入り残した内湯に漬かった後、送迎バスの時間まで宿の裏手の「高湯神社」へ。宿裏手の雪の山道を買ったばかりのスノーシューズで神社へと向かう。静謐なすがすがしい山道に気が洗われる。人気のない山道、足跡からは今朝は誰も来た形跡は見当たらない。「高湯・玉子湯神社」へとお参りし、宿の全景を見ながら山道を戻る。

  送りの送迎バスは宿泊客で満員、補助席をだしてなんとか出発する。福島駅に到着後すぐに駅レンタカーに直行し、七人乗りのワンボックスカーで二本松へと出発。二本松は、仲間の一人H君の父親の郷里と聞く。郡山と福島の間にあり、なかなか訪れる機会がなかったところだ。二本松の「霞が城」が目的地である。市内で人気の蕎麦屋の「鈴石屋」で昼食をとる。

 

 「二本松城」、別名「霞ケ城」は白河の丹羽光重公が二本松藩に移封されたときに築城。その後、戊辰戦争により官軍の総攻撃にあい落城。その際、板垣退助の官軍に対置した主力軍不在の12歳から17歳の少年兵の悲劇は「二本松少年隊」として語り繋がれている。現在、城は国史跡で「県立霞が城公園」となっている。昭和57年に箕輪門が復元されたが天守閣はいまだ復元されていないが、つづら織りの道と高く聳える石垣と見事な黒松が素晴らしい城跡である。天守跡へは上り坂を小半時の上り坂を汗を流す。途中、「日本の三井」と言われる、鎌倉の「星影の井」、印西の「星影の井」と、ここ二本松の「日陰の井」を見て、もう限界かと思われる頃突如として天守跡が現れる。澄み切った青空のもと安達太良連峰が眼前にして、天守跡の広場で暫し休憩、景色に見とれる。

 帰り道、二本松から下道の国道で福島駅へ向かってドライブ。途中や市内も震災の名残りは見当たらない。表向きの復興は進んでいるようだが、やや店のシャッターが気にかかる。近いうちに、福島の温泉と酒を求め、また訪れようと思う。