今日も駅前(AKIBAオジン)

ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

葬儀の段取り

2011年10月21日 | 出来事

 仕事場に自宅から携帯電話。長期入院中の妻の母親が危篤とのこと、夕方から夜半にかけ一度は持ち直したので自宅に帰る。ひとっ風呂との矢先、病院から再度電話。家族全員で再び駆けつけたが深夜に静かに息を引き取る。度重なる入院の末の92歳の大往生である。

 妻は一人娘のため葬儀段取りはすべて二人で行わなうことなる。覚悟を決めていたので葬儀社にすぐ連絡、病院からの移送を済ませた後、親族葬と決めてあった葬儀社との深夜の段取も二時過ぎに及ぶ。夜更けであるが義母の遺体に連れ添ってきた妻と子たちにも今後の経験のため打ち合わせに立ち合わせる。

 祭壇、飾り、遺影飾り、御棺、納棺儀式、火葬、お寺さん等のさまざまなグレードの選択を強いられる。今回は以前から覚悟をしていたため心構えはしていたが、いざとなると迷うものだ。基本的な料金はあるがそれでは葬儀の用には足りず必要なものの多くは入っていないことがわかるが、オプションとはいっても必要なものである。以前の見積もり書の2倍近くになった。30数年前の自分の父母のときは町会や請負師であった父の下職会などが仕切ってくれたせいか、細目はお任せで不義理も多少はあったと思いがする。記憶が朧である。年月の経過で中味も大きく変わっている。

 不明の不部分は参列者と数とお返し、通夜ぶるまい、お清めのグレードと数。火葬場での控え室の費用。導師への謝礼、火葬場や霊柩車の運転手のチップは予め設定されている。

 その他もろもろは当初には入っていない。祭壇も生花祭壇と当初見積もりを大幅にオーバーする。しかし、妻や娘たち(孫)の気持ち、故人から受けた生前の恩を思うと至極自然に追加。

 深夜、2時過ぎにようやく葬儀の交渉一段落。火曜日深夜に亡くなったため、金曜日が友引の関係で水・木の通夜・葬儀が時間的に困難となり金・土の親族中心の葬儀と決定。あらかた取り決めたらほ゜っかり二日間の空白。やることは多いがとりあえず当日の金沢での仕事予定はけりをつけようと予定通り金沢へ。喪主とはなったが親族葬なので会社にはすべて辞退を告げる。

 当日朝から片道予約で金沢、長野、群馬と三日間の客先との打ち合わせ予定が入っていたが、金沢だけでキャンセルし日帰り。「黒帯」、「手取川」など酒を呑む機会がないまま空港へ。

 金沢駅で名産のふぐの卵巣の塩漬け「ふく子」と「ごりの佃煮」を購入し岐路に着く。いずれ落ち着いたら酒の肴でいっぱいやることにする。

 

 都内に戻り、親族葬儀も滞りなく済ませる。予定オーバーも一般的なこと。義母らしいすばらしい見送りの会であったとは思う。


信州安曇野も酷暑の夏

2011年07月17日 | 出来事

 「スーパーあずさ」に乗り、ひたすら「数独」に挑戦。小一時間したところで体調がおかしいことにきずく。冷や汗がでて気分が悪い。すわっ!!いよいよ脳梗塞かとぞっとする。よくよく考えると「乗り物酔い」である。今までは殆ど新幹線なので揺れないため、下を向いての「ひたすら数独」でも酔わなかったことに気づく。

 まずは原因が判明しほっとして松本に到着する。少しは涼しいと思いきや夕刻近くの松本も酷暑だった。打ち合わせを終えたら7時近くになっていた。打ち合わせのメンバーと夕食を兼ねて一杯てなことで、まずは安曇野のビジネスホテルにチェックイン。

 安曇野市穂高駅近くの「勝味庵」。いわし料理とトンカツ料理が売りの店とのこと。9時閉店と早めの店だが、久しぶりの「あずさ」で揺られたせいか些か疲れた。丁度いい按配である。

 店はコの字の厨房を囲むようにテーブル席や小上がりと座敷がある。小上がりに落ち着き、まずは生ビールで喉を潤す。自慢のいわし料理はあまりにも暑いせいかパスし、肴はトンカツ料理の梅ヒレカツ巻と馬刺し、冷奴などを注文。生ビールを追加した後は、焼酎に切り替え話に花が咲く。

 気がつくと既に9時を回ている。早速、仲間は自車なので運転代行を呼び、我々をホテルで落としてもらう。

 さて翌日は、アルプス山間を縫う中央高速で飯田へ。抜けるような夏空ではあるが車外に出るとオーブンレンジに炙られているような暑さだ。早い梅雨明けといい今年は異常な暑さだ。飯田は今のところ心配はないが、その後の水不足が心配だ。現地で打ち合わせの後、山間の施設へと向かう。進入禁止のゲートを開錠し車で沢筋まで入る。鬱蒼とした沢筋の施設の確認のため入ったが涼しいと思いきやまだまだ暑い。この地でかくも酷暑とは、何処の避暑地も同じかと憂う。

 思った以上に時間がかかり、諏訪あたりのお客へ寄ろうかと考えたが時間がなく、松本発の「あずさ」での帰京となる。帰りの車内では当然に「数独」を控える。


放射能・風評被害の元凶

2011年06月13日 | 出来事

 オジンの幼少時代、東京都内では1950年代から1970年代前半までチェルノブイリの対数的に一桁上のすなわち10倍近い放射能を浴び続けていた。当時、黒い雨と騒がれていた。現在、関東、東京地区ではその数値が一桁少ない数値の何が問題なのかも明らかにされていない。問題が時間軸を無視して報道されているからだ。当時の同級生は皆元気である。当時、今の基準で問題といわれている放射能汚染といわれているお茶を10数年間毎日飲み続けていたのだ。

 このことは、今のマスコミ報道では伝えていない。そして、過去との原爆時代との比較など政府は認識しているが積極的に情報を伝えていない。もし政府が報道したら、言い訳としかマスコミは報道しないし袋叩きに会うのが落ちだ。今では、いかにも幼児や妊婦など庶民の立場だとマスコミに出場して大声で騒ぎ立てる者の声ばかり、論理を放射能の恐怖を煽り立てるばかりである。出演料は持てはやされた彼らの懐に入る。

 しかして、スーパーでは関東近県の野菜は売れず、太平洋沿岸の魚は世の中のおばさん達には振り向きも去れない。市場ではまともな値段がつかない。元気出して立ち直ろうなどは掛け声だけだ。風評被害は、拡大するばかり、かくも無知とマスコミ受けする恐怖の暴論がまかり通り、無知故の被害を拡大再生産している実情を見ると嘆かわしい。

 ネットユーチューフ゛で、外国気象庁発の毎日の動画データは、いかにも派手派手しく放射能が拡散しているような印象を与えている。放射能の単位が何故か分かりずらくしている。現時点ではまったく問題外の数値を真っ赤に表示している。他国の意図的な操作であると感づくのは正常な感覚だろう。飲み水はすでに安全宣言されている。3月のいち時期だけのデータを意図的に振り回している地下水メーカーがいるからだ。滅菌されていないボトルウォーターほど危険なものはないのは常識だ。

 政治の世界は復興で一丸であるべきところ足の引っ張りあい。原発張本人の自民党、政府内で団結すべき民主党内で足を引っ張る面々。その他の政党も同罪、嘆かわしいと思う毎日である。復興一本、一丸となるべき時期に「不信任案提出」信じられない暴挙。狂っているとしか思えない。この国の亡国が見え始めた。さもありなん、政治家を家業とした苦労知らずの世襲宰相の継続の成れの果ての付けである。

 そのな世の中、オジン達は放射能を気にせず空いている居酒屋を席巻する。そして、放射能を浴びながらプールも海水浴も運動会も、そして宿題もせずに毎日外で遊んでいた頃を思い出そう。被害地を憂い、復興を願い、そして、浅草橋「明よし」で樽が半分無事だったという「福島の栄川」を飲みながら、地の産物を肴に大いに盛り上がった所である。

 


震災でブログ中断、再開「寸又峡温泉」

2011年04月03日 | 出来事

 震災直前の温泉旅行。買い換えたばかりの仲間のアルファードで、地元仲間といつもの旅行。東日本大震災は、この旅行の一週間後に発生。今思えば早くでよかったか?震災時は房総半島の突端での会議中。会議中止で東京へと一目散。津波注意報の東京湾岸沿いにコンビナートの火災を避けつつ夜中の三時近くに自宅へ。以降、管理しているプラントの面倒などブログ書き込みの暇なく今に至る。

 さて、思い出しつつ徒然に本文。いつものように、アキバ中央口でクーラーボックスにビールと氷を仕込んでいざ出発。いつもと違うのは今年正月に亡くなった仲間が参加していないことだ。どこか世話がかかるが昔からのくったくのない個性的なキャラクター。そこにいないなりに寂しいものだ。今回の旅は車では珍しく相当に長距離である。東名高速に乗り、御殿場ICを過ぎ、相良牧野原ICで降りる。それでも所要時間は2時間半はかかったか。

 Img_1914 SLで名高い大井川鉄道と併行する国道沿いに走ること小1時間、12時前に川根茶で有名な川根温泉に到着する。大井川鉄橋を渡るSLの勇姿が自慢の立ち寄り温泉である。露天風呂に入りながらのSL見物は醍醐味だが、露天風呂は当然に混んでいる。飲み食いがメインの我々は早速2階の食堂の窓際に陣取り、つまみと生ビールなど酒類、そして茶蕎麦を注文。二階でSLを見物した後にひとっ風呂といく算段だ。SLが鉄橋の向こうから白い煙を上げて近づいてくる。アキバ育ちの仲間たちにとっては懐かしい思いは持たないが、それなりに良い眺めである。列車が去った後、早速に露天風呂に直行。晴れた空の下、無色透明なツルツルとしたいい湯だ。美人の湯とも言われている。

 川根から大井川を上流に向かう前に、売店の女性から教わった地元の酒屋で地酒を購入する。アプト式鉄道の始点「千頭」まで国道を遡り、寸又峡への分岐を入る。車一台がようやく通れる狭い崖道をひたすら奥地へ。今思うと走行中や到着後に見舞われたら空恐ろしい思いがする。

 温泉街の一番奥の「求夢荘」に到着し浴衣に着替えた後、早速に町営の浴場に行く。坂の上の一番の高台にあり、受付もある。湯番兼受付のおじさんに100円を支払い、暫し、湯の由来と温度差についての講義を聴く。粗末ではあるが湯質は極めてよい。川根温泉もよいが数少ない利用者と掛け流しの故か、さらに清潔感に溢れ湯質も素晴らしい。秘湯の所以でもある。

 Img_1943 求夢荘の木の露天風呂は狭いが素朴でいい。清潔なのだが湯質のためヌルヌルすぎて木枠につかまないと滑って溺れてしまう。落ち着いて入るには内風呂がよいだろう。

 食事時に、川根の酒屋で購入した地酒「吟醸 のもり」、「純米大吟醸 志太泉」、「吟醸おんななかせ」の持ち込み。ご主人から快く受け入れてもらいカラオケセットのある大広間へ。燗酒とビールをそれぞれ各人一つづつ注文し、恒例の購入地酒の利き酒会。 山菜料理のほか、猪鍋、鹿刺、山女焼など沢山の料理が追加料理を断られたのも頷ける。宿お薦めの冷酒「吟醸寸又峡」を注文。飲み終わってから持ち込みの利き酒はいつものこと。

 Img_1984 朝はメンバー4人と「夢の吊り橋」ハイキング。トンネルを抜け、ダムサイトから階段を下り吊橋へ。吊橋では寒風が吹きすさび水面は白浪である。一人分の通路しかない橋が風でユラユラと揺れる。少しスリルはあるが面白い。橋を渡った先は展望台への登りで一汗をかく。旅館からぐるりと約3km、小一時間のハイキングである。「求夢荘」の女将と旅館前で記念撮影してさようなら。

 10時過ぎに寸又峡温泉に別れを告げ、東京への帰路へ。寄り道せずに大井川沿いに下り、静岡空港近くの吉田ICから高速に乗る。昼食のため焼津ICで降りて焼津魚市場へ。昼時、どこも混雑のピーク。ようやく見つけた魚料理専門の食堂に入り、海鮮丼に白魚の刺身と地酒を注文。ナビ役割で運転からは開放されているため気楽に一杯。魚市場で土産のシラスと干物を買い込み、いよいよアキバへの帰還の途。


南栗橋の駅前での発足式

2010年04月03日 | 出来事

 某所で3年間の公共施設の管理業務を受託した。いよいよ4月1日スタートを前に本社と現地事業所との間のコミニケーション兼ねての発足式。現場近くでは適当なところが見当たらないので南栗橋まで足を伸ばす。駅前は寿司屋と居酒屋が2軒ぐらいしかないようだ、宴会できそうなのは寿司屋の「はつ花」だ。寿司屋といっても居酒屋に近い。

 本社責任者挨拶の後、奥の座敷に10数人が入っての無礼講。コース料理で飲みの代金は別料金。日本酒の銘柄も少ないが銘柄名は忘れたが発泡日本酒があり、これが案外といける。中々飲む機会が少ない中、我々への耳に痛い注文も多い。現場に苦労掛けた分いたし方なしである。事業所の職員のことを考えると、まずは3年間の業務確保にホットする。小規模施設とは言えインフラの根幹業務を請け負ったことに身が引き締まる思いだ。「これからもお願いね」と注ぐ徳利についつい力が入る。

 たまには飲みましょうとの現場の声も嬉しい。連中が気楽に寄るという、もう一軒の居酒屋でやろうと約して東武線となりの幸手まで。大阪から来た仲間二人と幸手からタクシーでビジネスホテルへ。ホテル目の前の焼肉屋で焼肉と仕上げのマッコリニッコリ。


もう一軒の「甚八」と掛川城

2010年02月03日 | 出来事

 掛川市うなぎの名店「甚八」は鰻の二段重で前に紹介した。ところがもう一軒、駅近くに「甚八」があった。月一回の工場での会議の後、新幹線での東・西に分かれる前の腹ごしらえ兼打ち合わせのため飲み屋を探す。浪速のドクターがいい店があると言うので駅前に向かうが生憎の満席。そこでぐるりと見回すと通りの反対の派手な看板が目に入る。「甚八」とある。派手な店は好みでないが、知らない土地でウロウロするわけにいかない。店に入るなり聞くと鰻屋とは無関係とのこと。チェーン店だそうだ。

 店に入ると客が見当たらない。すべて個室で宴会が主のようだ。どの部屋も予約のセットがしてある。これからだそうだ。6人で丁度位の奥の部屋に案内される。ビールに合わせて定番のメニューの中からB級グルメのシロコロホルモンを発見、併せて湯豆腐などを注文。食べ物のメニューは豊富で何でもありそうである。日本酒は宣伝でよく見る定番ものの冷酒、燗酒、焼酎も10種類ほど芋では4種類くらいか。定番の日本酒の冷酒と芋のボトルを注文。新幹線の時間まで久々の交歓会。π(円周率)とe(自然対数の底)の謎めいた話で盛り上がるが頭も痛くなる。予定の8時で東・西への暫しの別れ。閉店準備の駅売店に駆け込み掛川茶を購入してこだまに飛び乗る。

話は違うが、掛川という土地は山内一豊が初めて一国一城の主となった地。今は坂本龍馬ブームで土佐藩主のイメージが強いが、この地で礎を築いたことは、数年前の大河ドラマで知られている。幕末の土佐藩士の大きな格差は少なくとも掛川時代にはなかったようだ。今の城は、近年に復元されたものだが、昨年、仕事の合間に寄った高知城も築城技術には秀でたものがある。近畿の藤堂高虎や加藤清正が築城の名人であったことは知られているが、案外に山内一豊もそうであったようだ。

掛川もご多分に漏れず、バブル崩壊と併せて大河ドラマの一豊・千代ブームも去り、今はシャッター商店街となっている。しかし、他の地方都市と違うのは会社の工場や研究所などが多くあり、新幹線乗降客の乗り降りも結構多い。そういうオジンも月一回の工場での会議での一員、昼・夜のミーティングにと商店街の一角に世話になってはいる。どちらかというと景気回復が現実的になれば、真っ先に元気になる街のようだ。ビジネスホテルが増えているいるのが表れか。一泊して掛川城でものんびりと見物したいものだ。


連続花金、親父新橋「烏森」

2009年12月10日 | 出来事

 新橋はニュー新橋ビルの交差点のすぐ近く、一昨週の花金にちゃうねんが口癖の仲間と寄った「しばてん新橋店」。土佐の日本酒と焼酎、食べ物は鳥料理がメインの店である。

 2週続きの新橋「しばてん」で恒例の学生時代の同級会を開催。一応幹事ということにはなっているが、すべて代表幹事のS君にお任せ。1970年代の「全共闘」真っ盛りの2~3学年のノンポリ、活動家をともに過ごした仲間達。思い悩み、それぞれ思いでメモリアルな時代を過ごした懐かしい連中だ。

   数名の実業家はいざ知らず、殆どが、元の職場を退職はしたが、そこは系列会社での再就職や、公務員は再任用。なかには、親の介護の事情で無職やら、還暦過ぎて子育て(実子!!)直面した専業主夫もいる。

 「しばてん新橋店」では、前は一階のテーブル席。今回は、20名以上なので3階に。大きなテーブルが2列、30名は入る部屋である。3階貸し切りで大盛り上がり、老々介護の苦労談やらコンプライアンスでの謹慎話、過半身がらみの不謹慎な言動があちこち飛び交う。年甲斐も無く、飲み放題の酒を大量消費。

 飲み放題とは言え日本酒は土佐鶴酔鯨、土佐の名酒である。一階のテーブル席は6人掛けと4人掛けで小グループ用だが席数は少ない。二階はよく分からないが、三階は宴会用のようだ。一週前に呑んだときはお好みで注文したが、結構食べ飲み応えがあり値段も庶民的である。

 さて、宴たけなわの頃、来年の夏は十勝でゴルフや十勝川でのラフティングということに決定。ゴルフはやらないが、一昨年の五月の透明な十勝川温泉を思い出し、来年が楽しみである。

 店前で皆と別れ、幹事長と汽車ぽっぽ前の新橋の本格居酒屋「三州屋」で二次会。歳も歳、刺身の盛り合わせでチューハイを軽く2杯で切り上げ。十勝での再会を約して別れる。

  


こてこての「なにわ」でホルモン、どて焼き等々

2009年11月16日 | 出来事

 Img_1584 ホルモンでっせ!!翌日からの堺市での業界展示会の準備を終えて、小雨そぼ降る鶴橋のホルモン街へタクシーで乗り付ける。

 ホルモンのメッカ鶴橋でも、なかなかに入れない有名店の「鶴一」に。一足先に店で待っていてくれた大阪の相棒と落ち合い店中に。以外にも小綺麗なのに驚く。席に座るなり生ビールで乾杯。先ずは、鶴一お勧めの盛り合わせ(ロース、バラ、ハラミ、各種ホルモン)5700円を注文。焼き始めから、さっそくテッチャン、センマイ、コリコリを追加注文。

 ビールの後は、当然にマッカリをボトルで。肉は旨い!!の一言。新鮮で半生でも十分にいける。これが鶴橋というのを堪能。旨いホルモンで酒も進む。食べるのも忙しいが、マッカリもボトルで追加。

 腹も膨れて、いい気分で「鶴一」を出て、雨のそぼ降る鶴橋のホルモン街を後にする。一人5~6千円がとこで以外に安く上がったようだ。まだ早いようなので鶴橋駅前の居酒屋「いっぷく」に入り、ビールで一休み。

 翌日は雨空、野外(野球場)の展示会場に一番乗り。一面の湖に愕然するも何とかせにゃあかんと、ブース前の湖にブルーシートを二重に乗せ、上にロールカーペットを敷く。更に人工芝を乗せ入り口を広く確保。他社のブースは散々たる様子。泥と水で客も近づけない状況。何のための展示会なのか準備不足がもろに露呈しているようだ。

 お陰さんでお客が入りやすいのか、うちのブースは結構に賑わっていた。

 さて、2日目の夜は仁徳天皇陵のある三国ヶ丘で、前の職場のOB会。「魚太郎」で盛況開催。5千円で飲み放題だが、料理も多くて洒落ている。  

 前日に下見がてら、話の種にと仁徳天皇陵を覗いた。空から見ると前方後円墳だが、中には入れないが、近くから見ると小高い雑木林の山としか見えない。公開すればいいのにとは思う。

 Img_1648 三国ヶ丘から心斎橋のホテルに帰り、10時近くに会社仲間とたこ焼きを食べにぶらりと街へ繰りだす。たこ焼き、土手焼きの看板が気になり「味穂」へ入る。そば飯、一銭洋食、土手焼きと見慣れぬメニューに好奇心。ハイボールと合わせて注文するも、「そば飯」は焼きそばとチャーハンの混ざったようなものだった。「一銭洋食」は、まあお好み焼きと言ってよいだろう。「どて焼き」は牛すじを味噌で煮込んで串に刺してあった。何れにしても店の雰囲気も、浪速の繁華街らしく、いかにも大阪にいるという感じである。

 翌日は、晴れはしたが膿んだグラウンドは始末が悪い。どこも彼処も、泥まみれ。うちのブースは相変わらずに全ての面がオープンで入りやすいせいか、いつもお客が絶えない。成功と言えるだろう。

 その晩、大阪名物の串焼きを食べに、タクシーを通天閣の真下で降りる。しばらく風景を楽しみながら、こてこての派手な看板の「朝日」に。メニューの各種串カツを順番に端から注文。酎ハイを飲みながら大阪での三日目は、なにわ二度付け禁止串カツを腹一杯堪能しました。


親父の足跡と松葉杖

2009年09月09日 | 出来事

 前夜、寿司屋チェーンの総帥の話を聞いて飲んだ後、家に帰ったあとの風呂上がり。膝をコンクリートの壁にしたたかに打つが痛みはない。

 朝、目覚めと同時に左足が上がらない。膝に力が入らず、痛くて立てない。9時過ぎに足を引きづりながら近くの整形外科へ。大正生まれの大先生。30年前に亡くなった親父の小学校時代の後輩だそうだ。すぐ近所に住んでいていろいろと親父から遊んで貰ったと言う。

 おまけに、この医院の建物は、建築屋の親父が、うるさい設計屋の元、相当苦労して作ったそうだ。今でもゆがみもないし、ビクともしてないと盛んに感心している。この建物、当時としては天井が高く、光を多く取り入れているモダンな建物だ。建築雑誌でも紹介されたそうだ。親父の足跡に、ちと、嬉しくなる。

 肝心の足のほうは、レントゲンでは大丈夫だと言う。世話になった親父の息子ということで、三井記念病院で精密検査をして貰えということで、紹介状を書いてもらう。有り難いことだ。

 松葉杖を借りて、その足で改修中の三井記念病院へ。予約診療で近所の住民でもなかなか診察してくれない病院だが、午前中に診察。結果は膝の強打で打撲のみだろうとのこと。骨折じゃなくひと安心。入院することになったら忙しい最中最悪である。午後からは松葉杖を積んで車で会社へ。フットブレーキは痛くて踏めないが仕方がない。

 膝の痛さもあるが、親父の足跡に接したことは何故か懐かしい思いがする。


館山発の寿司の価格破壊

2009年09月09日 | 出来事

 館山出身の寿司屋チェーン「波奈」の会長さんの講演会。京樽の再建にも携わった経歴もある。当時、寿司と言えば飲んで食べて1万円はくだらない時代に、価格破壊を標榜して寿司屋を始めたそうだ。その昔、館山から千葉に進出してきた頃に、館山出身の先輩に連れられて通ったものだ。 

 何度か会ってはいるが苦労話は初めてだ。興味深く面白かった。全くの経験の無い素人が寿司屋を始めて、職人が定着せず、寿司を握る羽目になった。「こんな岩のような寿司が食えるか」と、その後のスポンサーから言われたそうだ。そんな中、成り上がっていく話はチャレンジの模範のような話だ。クラブ経営にも手を出し、ホステス確保の見通しで店への見切りが早いのも感心する。合わせて腰の低さが成功の秘訣か。

 毎週の休みには館山から上京。浅草にある寿司職人(庖丁人?)の斡旋組織で職人の手当をしていたという話は興味深い。会長を囲んでホテルでの講演会後の決まり切った宴会も終了。ホテルの定番「梅一輪」の冷酒はなく、燗酒のみが寂しい限りだった。

 総武快速でアキバへまっすぐ。まだ9時前、アキバ駅前で小1時間のちょいと寄り道。軽く飲み直して家に辿り着く。PCボンバーで購入したばかりの風呂テレビでのぼせたか、風呂上がりにしたたか膝を打つ。

 翌日は松葉杖 (>_<) ・ ・ ・


お盆の八重洲、ホッピーで選挙論議

2009年08月17日 | 出来事

 お盆の金曜とは言え、ここは繁盛している。仕事を終えて、やはり仕事の昔の同僚と7時の待ち合わせ。行きつけの八重洲口と高島屋の真ん中あたりの日本橋紅とん」へ。

 そこはすでに座る席のない程の盛況。相棒が着くまでの間、満席の店へ。丁度の入れ替わりにカウンターへ二人分の席を確保。隣の二人組があと一人くるんだがと店員に告げながら恨めしそうに、こちらを見る。間髪入れず生ビール、つまみのガツぽん、ホルモン刺しを二人前づつ注文。後はのんびりと相棒の到着を待つばかり。ちびちび飲んでるうちに約10分程で到着。ビールも冷たいままだ。

 周りが賑やかで声が一段と大きくなり、而して喉も渇く。ビールの次は当然に黒ホッピー。ここの流儀は、小姐さんのポケットから注ぎ口の付いた焼酎瓶でチューッと注いでくれる。「もう少し!」というとにっこり笑って氷の上まで大盛りサービスもしてくれる。こういうところが「紅とん」の良さだ。黒ホッピーも3杯は十分いける。特上たん炙り焼き、トントロ生姜焼き、ガツ芯刺しなどなどの肴はホッピーの相性がいい。

 霞ヶ関の相棒、きたる選挙までは激務から解放。政権の行方が気になるかと聞けば、どちらが政権与党になったとしても「あんまり変んないでしょう」と。そのとおりとは思う。政権変わるたびに行政の担い手がふらついたらしわ寄せは国民にくる。

 具体的な環境や建設等の政策などで議論。今どういう状況にあり、継続すること、反対することが地域住民の全体利益は如何にと判断すれば、結論は自ずから決まる。地域住民が一番の主人公なのだ。混乱は政策の修正に必然的に繋がっていくとは思う。

 今回の選挙は、今まで100年以上続いた政治と行政の枠組みの是非が問われている選挙であることは明らだ。マニフェスト選挙では、この本質が隠蔽される。予算ありきのマニフェスト選挙は、旧来の政治システムの延長線上にある。

 とは思い語りつつ、10時も過ぎて相当飲んだ。緑茶ハイで〆つつ、楽しい書生のお時間も終わりだ。今度は双方の若手を交えて、選挙後遺症も一段落?した頃に再会を約して東京駅でのしばしの別れ。


電気のDIYで汗みどろ、そして「黒龍」

2009年08月10日 | 出来事

  Img_0607 ビル2階分の電源を20Aから30Aへ切り替えDIY。午前中はブレーカー2個の取り替え。クーラーはブレーカーを切っているので当然に無い。手持ちの30Aのブレーカーを無事設置。ひどく汗だくのシャツを着替えて、午後はアキバ駅前ダイビル下の喫茶店で休憩。翌週仕事の確認と頭の体操(数独、囲碁定石集)で2~3時間の長居。

  気づいてたら昼食抜きで3時過ぎ。午後のDIYは予備電源からのコンセントの設置。アキバのパーツショップ「俺コン」でコンセントとケーブル、配電盤穴開け用のドリル刃を購入。自宅へ帰り工事再開。配電盤の穴開けは苦もなく終了。しかし、23Aのケーブルが太すぎて接続と配線に難渋。また、壁がモルタル団子張りでコンセントボックス固定がままならない。結局、コンクリートドリルのお出まし。BOXをプラグで固定して終了。持ってきた掃除機で動作確認。素人の仕事とは思えない出来映えに我ながら満足。

  夕方となり汗だく2回目の着替え。のんびりと自宅でホッピーで喉を潤しているいるときに、地元盆踊りへの誘いの電話。会場へ着くなり仲間からビールのおごり。広くなった和泉公園の新しい芝生が気持ちがいい。芝生三井記念病院の寄付だそうだ。芝生の上で子供たちがはしゃぎまわっている。都会の子供にはとっても貴重な空間だ。Img_0639

  盆踊りも終わり近く、町会先輩から二次会のお誘い。浅草橋5丁目の清洲橋通り沿いに、新規開店した店の「卜部本店」。和泉町の別の店からの独立だそうだ。まだ一軒目だが支店を出す意気込みがある。地酒は田酒、黒瀧や久保田などメジャーが多い。珍しい地酒はないが、洋風の創作風の肴を出す。どちらかと言うと食べ物で飲ませる店か。地元での利用が多そうだ。

  お任せで出てくる料理をつつきながら、やや小さめのグラスに注いた「黒龍」を飲みながら地元の話に興じる。10時も過ぎてDIYの疲れもある。浴衣姿の客も引き始めた頃、こちらもお終いとする。 

   今週は、燕三条、掛川と慌ただしい週だった。翌週は盆の真ん中でのんびり出来そうだ。


80歳で囲碁全勝、酒量変わらず。

2009年07月12日 | 出来事

 先月末の土曜の昼からの囲碁会。現役、OBも交えて久々に20数名の会。3ヶ月ぶりに白黒の石を握るが、初戦は倶楽部の強豪との対戦となり、過去の戦績も苦手意識もあり思わしくない。手に伸びがない、思考がネガティブになる。益々、情勢を悪くする循環だ。「二戦目以降の戦のために胸を借りよう」と気持ちを切り替えたとたんに情勢に明るさが見えて来た。しかし、時すでに遅し。綺麗に負けた。

 以降の対戦は、2勝1敗で結果は五分五分となる。自然体の帰結で中庸ではある。会場と同じフロアの居酒屋「」で飲み放題の懇親会。頭を使った碁の後の酒はいつも旨い。

 注目すべきは80歳に近いOBが全勝したことだ。彼が70歳を半ば越えた頃は囲碁会が開催される度に惨ざんであったことを思い出す。年かなと思いつつ、いずれ己れの道かとも思っていた。

 しかし、前回の会でも準優勝、今回は全勝優勝という結果に驚愕意外なにものでもない。如何に毎日CS専用チャンネルで勉強しているとは言え、若い我々?が如何に不勉強で不甲斐ないのか思い知らされた。ただ、80過ぎても日本酒の酒量が変わらないのが恐るべきものだ。それもこれも藤沢秀行先生に通じるものがあるのか。

 囲碁とは、ゴルフなど体を動かすことはないが、真剣に考えれば考えるほど頭が痛くなる。後頭部が痛くなるほど頭を使っているのだろう。久々の快感である。

 快感の延長戦で本千葉駅前の「やっぺい」で二次会。ディープな七輪ホルモンの店。相変わらず飄々とした親父さんの風貌に大ジョッキーのホッピーがすすむ。 


引退予言はずれた。新防衛大臣??

2008年09月24日 | 出来事

 朝青龍休場で引退回避の拍子抜け。予言は外れた。今の豪栄道の勢いでは勝ち目が無いと見た朝青龍。負ければ当然引退。未練があるのだろう。その豪栄道白鵬にあっけなく土。もう少し時間がいるってぇことか。

 昨日は巨人、広島と引き分け。阪神も延長戦で苦戦して引き分け。今日はは東野初完投で巨人勝利、阪神も負けられない。頑張っているじゃあねえか。しかし、今の巨人は本物だ、メークレジェンドの確率はますます高いぜ。

 テレビの野球放映がない、而して、本八幡の「とちぎや」で、くだらない三世さんの組閣放送を見ながら、燗酒大をカツオと鰺を肴に二人で地方政策談義。気が付いたら6本目だった。あの浜幸の息子が大臣にゃあびっくり。親父を越えたと言えるかどうか。多分、1ヶ月の防衛大臣さん「精々頑張んっておくんなさいよ」、何も起こらないことをお祈り申し上げやす。


アキバ、間一髪

2008年06月10日 | 出来事

 まずは不幸にも事件に遭遇され亡くなられた方に、謹んでご冥福を申し上げます。

 さて、当日昼、今夏の猛暑の前にエアコンの取り替えと、家電を買うに場違いなソフマップでエアコンを購入。秋葉原事件現場前の交差点のSofmapを出たのが12時20分頃。普段の日曜ならアキバオー周辺のパソコン店を冷やかしに歩行者天国のアキバの散歩だが、たまには奥方と外で食事と家にまっつぐ帰ったのが良かった。もう少し店を出るのが遅ければ車に跳ねられるか、凶刃に遭遇したか。いずれにしても間一髪、現場に居あわさなくて幸運であったようだ。

 毎朝、500円玉賽銭箱と神田大神さんのおわします神棚に手を合わせている御利益だろう。

 着くや否や複数のヘリが上空を旋回やかましい。いつもの三井記念病院で偉いお人がご臨終かと思いきや、臨時ニュースで今さっきいたばかりの交差点のソフマップ前の路上で通り魔事件。さて犯人の動向は不明ときた。早速、逃走犯の侵入に備えてゴルフクラブを携え玄関と駐車場のシャッターを施錠。すぐに犯人逮捕の報道に安堵する。

 臨時ニュースに事件の全体像が見えてくる。最近にない凶悪通り魔事件の全容が判明する。最近は品川、土浦と通り魔事件が相次いでいる。凶悪犯罪も後を絶たない。先が見えない世相の悪さも一因だろうが、犯人の身勝手は許されるものではない。

 話は変わり不謹慎ではありますが、当日夜、東京ドームで巨人×西部観戦、内海とクルーンの零封継投に興奮。憂鬱ムードを吹っ飛ばしてくれました。頑張れ加冶前