仕事場に自宅から携帯電話。長期入院中の妻の母親が危篤とのこと、夕方から夜半にかけ一度は持ち直したので自宅に帰る。ひとっ風呂との矢先、病院から再度電話。家族全員で再び駆けつけたが深夜に静かに息を引き取る。度重なる入院の末の92歳の大往生である。
妻は一人娘のため葬儀段取りはすべて二人で行わなうことなる。覚悟を決めていたので葬儀社にすぐ連絡、病院からの移送を済ませた後、親族葬と決めてあった葬儀社との深夜の段取も二時過ぎに及ぶ。夜更けであるが義母の遺体に連れ添ってきた妻と子たちにも今後の経験のため打ち合わせに立ち合わせる。
祭壇、飾り、遺影飾り、御棺、納棺儀式、火葬、お寺さん等のさまざまなグレードの選択を強いられる。今回は以前から覚悟をしていたため心構えはしていたが、いざとなると迷うものだ。基本的な料金はあるがそれでは葬儀の用には足りず必要なものの多くは入っていないことがわかるが、オプションとはいっても必要なものである。以前の見積もり書の2倍近くになった。30数年前の自分の父母のときは町会や請負師であった父の下職会などが仕切ってくれたせいか、細目はお任せで不義理も多少はあったと思いがする。記憶が朧である。年月の経過で中味も大きく変わっている。
不明の不部分は参列者と数とお返し、通夜ぶるまい、お清めのグレードと数。火葬場での控え室の費用。導師への謝礼、火葬場や霊柩車の運転手のチップは予め設定されている。
その他もろもろは当初には入っていない。祭壇も生花祭壇と当初見積もりを大幅にオーバーする。しかし、妻や娘たち(孫)の気持ち、故人から受けた生前の恩を思うと至極自然に追加。
深夜、2時過ぎにようやく葬儀の交渉一段落。火曜日深夜に亡くなったため、金曜日が友引の関係で水・木の通夜・葬儀が時間的に困難となり金・土の親族中心の葬儀と決定。あらかた取り決めたらほ゜っかり二日間の空白。やることは多いがとりあえず当日の金沢での仕事予定はけりをつけようと予定通り金沢へ。喪主とはなったが親族葬なので会社にはすべて辞退を告げる。
当日朝から片道予約で金沢、長野、群馬と三日間の客先との打ち合わせ予定が入っていたが、金沢だけでキャンセルし日帰り。「黒帯」、「手取川」など酒を呑む機会がないまま空港へ。
金沢駅で名産のふぐの卵巣の塩漬け「ふく子」と「ごりの佃煮」を購入し岐路に着く。いずれ落ち着いたら酒の肴でいっぱいやることにする。
都内に戻り、親族葬儀も滞りなく済ませる。予定オーバーも一般的なこと。義母らしいすばらしい見送りの会であったとは思う。