一月の半ばの金曜日、家族四人で群馬県の藤岡の温泉へと向かう。ネットでは泉質のPHが9.8と紹介され、奥方や娘には喜ばれるかと予約した。渋滞せずに案外すんなりと藤岡JCに到着。まずは土日は大混雑と聞いているので平日の世界遺産「富岡製糸場」へと向う。富岡製糸場は近代製糸工場の先駆けとしてつとに知れている。「女工哀史」などで歪められて伝えられているが、その当時の女工は地方の良家の子女が地元に技術を伝えるべく集められた女子で結構な高給を貰っていたとも聞く。
富岡製糸場へは、五年前と世界遺産登録の一年前と二回訪れ、誘致運動真っ盛りの時に地元青年部の方とオデンをゴチになりながら語りあったこともあった。富岡ICで降りたが、当初覚悟していた混雑は無く、駐車場はガラガラ、場内では見学者が少なく案内もゆっくりと聞けた。案内の女性からは、土日は芋洗い状態で写真も満足に撮れない混雑状態であると聞くにつけ、金曜に訪れたことの判断に過ちは無かったようだ。土日の駐車場は、駐車待ちと出車待ちで両方30分は覚悟とのこと。クワバラクワバラ・・
宿は藤岡温泉ホテルリゾート。藤岡ICから約30分、平野部を抜け渓流沿いの道を山に入って暫く走る。やけにいろいろなゴルフ場の看板が目に付く。宿泊ホテルはゴルフ場の併設ホテルであったようだが、現在では一年前にゴルフ場は閉鎖、いい湯が出るとのことで宿泊ホテル専用となっている。残念ながら掛け流しではないが、宿の泉質表ではPHが9.5前後と表示、ヌルヌルの肌触りが美人の湯と評判とのこと。金曜の夜は宿泊客は少なく、我々とあと2~3組のようだ。新館の大浴場に行くのに暖房が効いていなくて寒い。
翌朝、愛車のフロントガラスに霜が一面にこびり付いていた。ここ数年で久しぶりのことだ。ここでは当たり前のことだが。二日目の予定は、下仁田ICから高崎の倉渕に抜ける地蔵峠沿いの安中の「ろうばいの郷」へと向う。12月から1月にかけてが花が見頃とのことだが香りは既に飛んで少なかった。正月から1月の初旬が花、香りとも最高のようだ。それでも青い空と小ぶりな黄色の花びらが山を背景に美しい。匂い立つ一月初旬に訪れたいものだ。
「ろうばいの郷」見物から、下仁田から碓氷峠に向かい下道を旧中仙道を走り、妙義IC前を通り抜け「妙義神社」へと辿り着く。妙義神社前の道の駅で藤岡から高崎に広がる遠くの町並みを眺める。青い空に岩礁そそり立つ妙義山はいつ見ても威厳がある。
昼食を摂るため旧中仙道沿いの、横川の釜飯で有名な「おぎのや」へ。途中気がつかない内に「碓氷バイパス」に入ってしまったようだ。「碓氷バイパスでの20人近くの若者の命を奪ったスキーバス事故」は三日前、慌てて引き返し途中から中仙道へと入る。バス事故は、現在のバス業界の過当競争と労働市場では起こるべくして生起した感がある。
「おぎのや」の駐車場が観光バスで一杯だたため、昼食前に旧横川宿を通り抜け、レンガ積の鉄道橋のめがね橋を見物。橋の下に駐車し、鉄道橋の上まで上るが人がいない。二回ばかり来てはいるが休日では考えられない静かさだ。人がいないので暗い鉄道トンネルに入るのは遠慮する。
横川から松井田、安中にいたる地域は、江戸時代は安中藩の所領である。、「碓井の関所」は東海道の「箱根の関所」と並び江戸時代の重要な関所があった。「皇女和宮」が数千人のお供を連れ家茂に輿入れした際、横川の宿場の街道沿いの家は殆んど立て替えたそうだ。信州と上州を行き来していた「国定忠治」もこの関所で捕縛されたとのこと。また、最近読んだ浅田次郎のテレビドラマにもなった「一路」では、安中藩が日本マラソン発祥の地であることを知った。
相当昔のことではあるが、夜行列車に乗り野沢温泉にスキーにいくため、真夜中にアブト式機関車で急峻な碓井峠を越え信州に入ったこを思い出す。今では北陸新幹線でしか信州に入れない。トンネルが殆どであり車窓の景色には旅の風情は感じられない。
二泊目は土曜日、ホテルは客も多く団体も入り賑やかになった。静かなのもいいが、やはり賑やかなほうが性に合っている。翌日は藤岡IC近くの「ららん藤岡」に立ち寄り、新鮮で安い野菜と白菜の漬物ダルなど愛車のワゴン車の後部ドアが閉まらなくなるほど買い込む。暫くは野菜には不自由しなかった。