今日も駅前(AKIBAオジン)

ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

倉渕「相間川温泉」から浅間隠温泉「旅籠」、そして四万温泉「積善館」 

2015年04月16日 | 秘湯で露天

 春の恒例(高齢?)の温泉旅行。早すぎる桜の満開情報、11日(土)まで持ってくれよと祈る日々。土曜の朝、何時ものように小雨降る秋葉原中央口からワゴンで出発。高速の途中から雨も止み、心配した渋滞もなくスムースに高崎ICに到着。

 最初の目的地は、高崎の倉渕町の「相間川温泉」、塩分と鉄分が多くくみ上げて暫くすると茶色に変色する特色のある温泉だ。昼の時間も近く昼食兼立ち寄り湯とする。塩分が多いためか体が浮く珍しい湯である。

 食事も済ませ、次の立ち寄り地は江戸時代終焉時の偉人「小栗上野介」の菩提寺「東善寺」。明治維新の歴史に寄ってたかって封印された「小栗上野介」についての薀蓄を述べなければこの先進めない。暫し、ご静聴あれ・・

 そもそも、小栗上野介とは、江戸時代の終焉の勘定奉行、江戸町奉行、軍艦奉行を歴任、横須賀に日本初の近代的製鉄所を建造、軍艦製造を幕府内の反対にも関わらず進めた。財政立て直しの才にも優れ、海外渡航の実績から日本に江戸時代にも関わらず三井財閥などの株式会社の原型も創設させた。

 海外渡航では、日米通商条約の締結、日本から流出し続けている金の兌換レートの不平等条約の解消交渉など、明治政府でも困難な交渉も彼が中心で行ってきた。

 江戸城開城の評議の中で、主戦論を展開するも開城に決定。その後、将軍が官軍に恭順を決め水戸に隠遁した後は、上野の山での彰義隊の隊長に推挙されるも、大義(将軍)のない戦はするべきでないと知行地の現高崎市の山奥(倉渕町)に隠居。しかし、徳川埋蔵金を狙った近隣の武士や土豪数千人が襲いかかるも、優れた戦術で僅か200名の手勢で撃退。官軍を恐怖させる。時折、蒸し返させられている徳川埋蔵金伝説のその人である。

 その後、官軍の前に抵抗する気はない旨の申し開きに赴くが、その場で拘束、官軍によって十分な詮議もされずに翌日には相間川の川原で斬首された。申し開きに高崎に出向いた息子も斬首された。明治政府の元勲達が如何に彼の能力を恐れていたかを物語っている。しかし、僅かの部下に守られて身重の婦人は会津に逃れ、その後、娘は遠戚にあった大隈重信に保護されたと聞く。

 その後、彼の功績は歴史的に封殺され、西南戦争で明治政府に対立した西郷隆盛などの復権はあっても、小栗上野介が未だ義務教育の教科書に記されることが無い。長州出身の世襲代議士が総理になっている限り期待はできないだろう。

 寺から5分ほどの本堂裏山中腹の墓に参拝した後、本堂の資料館で小栗の業績の資料を拝観する。小栗上野介の復権にご住職の熱い思いが感じられた。オジンも然り!!

 参拝後、本来の温泉旅行に復帰。旧草津街道沿いの権田の分岐から少し走って牧野酒造に寄る。女将さんの推奨する「大盃 袋絞り馥露酣」を二本購入。山の仕事で泊まる時はいつも大盃を仕入れて宿に向う。今回、仲間の人数から少々少ない気がしたが、旅館の食事時に注文する日本酒やビール、その他の酒も大分仕入れてあるので十分だろう。

 暫く走ると上州を代表するの義侠の親分「国定忠治の墓」に立ち寄る。「赤城の山も今宵限り・・」の名セリフは有名だ。小栗の後で、国定忠治も語らなければ片手落ち。そこで一節。

 時は江戸後期、上州は国定村(現伊勢崎市)に生を発した忠治は、持ち前の度量と剣術の腕で地元の親分「大前田栄五郎」に見込まれ跡目を継いだ。以降、上州と信州の一部に勢力を広げ、天保の飢饉の際には農民に銭や米を分け与え義侠として人気を集める。しかし、無法者の重要人物として幕府から追われ続け、追求の手が厳しくなり、とうとう一家を解散せざるを得なくなった。その時の言葉が先の「赤城の・・・」である。その後、流浪の旅に出て、江戸では千葉周作に真剣勝負を挑むなど剣の腕前は、切った博徒の数からも相当な剣士であったと推測されている。流浪の旅先で清水の次郎長とも親交があったという。

 信州から「大戸の関」を何度も破り上州に出没したため、幕府も忠治の追及の手を緩めなかった。忠治は捕縛され小伝馬町の牢に送られ関所破りに対して死罪としての判決を受け、「大戸の関」で磔の刑を受ける。ほぼ同じ時期に子分12人も同じ場所で処断されたと聞く。木枯らし紋次郎など、上州人と博打好きを結びつける人物でもある。なるほどとも思える輩もいるが、交誼のある多くの人は真面目な人であることを申し添える。

   温川温泉郷に入り、「薬師温泉」の「旅籠」の長屋門に到着。茅葺の古民家の里を復元、立ち寄り温泉施設と宿泊施設を併設。蒐集した古民具の数々、箪笥、人形、焼き物、武具等の収集品が半端な博物館のそれを上回る。宿の雰囲気も古民家そのものである。黒光りした引太い梁に、引き出し階段、テレビも冷蔵庫も木の扉の裏に収まる構造になっている。掘りごたつのある板敷きの奥座敷はオンドルである。ひとつひとつに拘りを感じ入る。

 到着し部屋に案内されると、旅館の知り合いからウェルカムドリンクの氷付けシャンパンボトルが二本が届いていた。乾いた喉に大変旨い。温泉は、宿泊者専用のかけ流しの「滝見の湯」の他は、沸かし湯の薬湯である。貸切が2湯あるが、全部で7つの風呂がある。

 食事処は、別棟の囲炉裏の個室。専任の仲居さんが付いて炉端焼きの世話をしてくれる。お酒は持ち込みの「大盃」と宿の酒「純米大吟醸 旅籠」、川場村の地酒に宿の名前を冠して販売しているとのこと。てきぱきとと料理が出てくる。旨い料理に旨い酒、ビールを4本、四合瓶を4本をあっという間に空けてしまった。食事処を後にして、あとは部屋で飲み会の続きへ。

  温泉は露天風呂の温川の広い堰堤から落ちる水を眺めながら入る「滝見乃湯」。堰堤がチト寂しいが開放感はある。薬師温泉は約200余年前に旅の行者が見つけ開湯をしたそうだ。旅館は古民家はもとより、蒐集した家具や陶器、武具、時代人形などをそれぞれの棟に、何時でも鑑賞できるように陳列してある。古民家の梁や柱は時代を感じさせるが、時代と共に丈夫になってきたような感さえ抱かせる。

 翌朝は時代宿に別れを告げて旧草津街道を草津方面に走る。須賀尾峠を越えると向かいの草津方面の山の中腹以上には残雪が多く青空に映えて美しい。峠道の途中、道の真ん中で日本カモシカが佇み車を見つめている。昨年春の長野は七味温泉でも道でカモシカに遭遇した。やはり、餌を求めて巷で言う里近くに下りてきているのだろう。

 二日目の立ち寄り湯は、中之条の奥の「四万温泉」。草津温泉を上回るとも言える群馬を代表する名湯である。泉質は草津の硫黄泉と違い、無色透明の炭酸硫酸泉で肌に柔らかい。国民保養地第一号の温泉でもある。四万温泉では「積善館」の重要文化財の風呂に入るのが目的だ。重要文化財の風呂はジブリ作品の「千と千尋の神隠し」の温泉宿のモデルとも言われている。赤い橋を渡った1階がその風呂である。

 当時はモダンな浴室だったろう、タイル貼りクラッシックな風呂が6ツ。蛇口周りに石灰の結晶がこびり付き歴史を感じさせる。風呂の入り口を開けると直ぐに脱衣所、風呂場も丸見えである。しかし、泉質は柔らかく、体の芯まで優しく暖める。「いい湯」とは四万温泉を言うのだろう。

 積善館を後にし、四万温泉の起源といわれている「日向見薬師」の共同浴場「虚無想の湯」に行くが先客で一杯。3人入れば一杯の風呂、致し方ない。直ぐ近くの四万ダムの公園でダムの堂々とした景観に見とれる。ダムサイトの駐車場では、本日二回目のカモシカに出会う。近くの急な崖の擁壁の上で草を啄ばんでいた。

 寄る年波に車の旅行は疲れるが、交代しながらの運転で無事に秋葉原に到着。運転で禁酒状態のオジン、運転の相方と地元で一杯となったのは当然の成り行きである。

 

 

  


御茶ノ水で小田原「魚国」

2015年04月15日 | お仕事

 先月の半ば、地元仲間からの声掛かりで久しぶりの飲み会。御茶ノ水に新しくできたビジネス、商業複合ビルの「ワテラス」二階の「魚国」で飲るとの連絡。聞いたような名前だなと思いつつ、丸の内の会社から歩いて御茶ノ水まで歩いてワテラス到着。

 1階は時折買い物に利用しているスーパーマーケット。二階へエスカレーターで上がり案内板を見るうちに2~3ヶ月前にランチのシラス丼で利用したことを思い出す。和の雰囲気の割りに手ごろで落ち着いた店だった。

 勤め先の東京駅から歩いて30分、途中、神田の食味新道の先だってに焼けて建て直した「神田 藪そば」を横目で眺めワテラスに到着。店に入ると仲間はビールで乾杯済み。早速、ビールを注文し東京駅から歩いてきた乾いた喉をお洒落なグラスを一気に潤す。「くぅ~~うんめぃ」と思わず声がでる。 小田原の魚料理の「魚国」の出店だそうな。今回はコース料理、メニューも魚料理がメイン。追加ビールの出は少々遅いが、仲居さんのコース料理の説明も丁寧で、中にはバイトの女子大生もいるが愛想も良く教育されている。日本酒も「鶴齢」、「麒麟山」などオジンの好きな新潟の酒があり嬉しい。店のワインも美味しかった。

 はるばる小田原からの進出、頑張ってもらいたい店である。

 


東京「桜」の名所、三万歩

2015年04月01日 | まち歩き

 お江戸は開花宣言から一挙に春爛漫とくりゃあ、咲くのも早けりゃ散るのも早え。腰も落ち着かずに東京下町中心に桜の名所を一挙に見物がてらの三万歩ウォーキング。

  まずは、多少のフライングの3月22日の日曜日、観光客でにぎわう上野公園入口の八重桜と枝垂れ桜を見物。ピンク色が鮮やかさ際立つ。公園内のソメイヨシノは全くの蕾で未だの感。それでもブルーシートの花見酒で賑わっている。

3/29日の日曜日、開花宣言に間髪入れずに初夏の陽気。一挙に咲きだす気配にいてもたってもいられずにウォーキング開始。

 地元アキバの三井記念病院前の公園の桜は、新しい木で10数本だが満開一歩手前でも見どころ十分。

 浅草橋の柳北小学校横の公園は、20~30本で樹齢は壮年期で満開状態。咲いたばかりか風に吹かれても持ちこたえている。

   上野に行こうか、浅草 に行こうか迷うが、えいゃあとばかりに秋葉原駅から総武線で市ヶ谷へ。一雨振ったことの人払いのおかげで市ヶ谷から飯田橋の神田川沿いの土手をゆっくりと歩いて見物。見事な古木が土手沿いを桜の花で埋め尽くす。総武線と中央線が行きかう土手下は桜見物のテッチャンの絶の好撮影スポット。静かな雨上がりの夕暮れ時、満開の桜を独り占めに大満足。

 飯田橋から法政大学の横を抜け靖国神社へと向かう。裏口は閉鎖され靖国通り沿いの本殿近くの門から入る。さしも人は多い。桜の開花宣言の標本木で撮影。八分咲きである。

    靖国神社を通り抜け千鳥ヶ淵へ。インド大使館の庭ではインドフェスティバル。カレー、串ものなどインド料理の屋台が並び、奥の舞台ではベリーダンスを踊っている。インド大使館を通り抜けると、そこは千鳥ヶ淵。

    千鳥ヶ淵の桜は今が満開とばかりに咲き誇る。今にも降り出しそうな天気のためか人は少ない。ライトアップの準備もあり夕暮れを待ちたいのだか、友人と銭湯へ行く約束がある。

 千鳥ヶ淵の堀の水面近くに枝を広げる桜を見ながら、北の丸公園前を通り抜け竹橋から地下鉄に乗る。

  3月30日の火曜日、仕事で月島へ行った帰り道、佃島の土手の桜を見物。ウォーターフロントのマンション群と隅田川、絵になっているネ。

    その足で門前仲町へと向かう。・・堀をわたる黒船橋の前後も毎年桜祭りを開催している名所である。祭りの時期には船からの桜見物もリーズナブルに可能とのこと。ここも満開、水面に映る桜は素晴らしい。

  翌31日は年度の終い。仕事終わりも早々に友人と九段下で待ち合わせ。昭和館の中から見る武道館を背景の土手の桜は、気のせいか堂々としている。

 靖国神社でガソリンの補給、神社大鳥居のすぐ脇の屋台村に入り、ビールで喉湿し。それにしても高い、つまみも高い。神社の所場代が高いとしたら問題だ。早々と切り上げインド大使館のタンドリーチキン250円、インドのラガービールで乾杯。

      いよいよお目当ての千鳥ヶ淵のライトアップに突入。人々、日曜日の静かさが嘘のような人の波。行列で堀側の道は遅々として進まない。それでも艶やかな桜には敬服する。堀の反対側の北の丸の桜が正面からのライトアップで一層引き立って見える。

  千鳥ヶ淵からは靖国通りを市ヶ谷方面に落ち着き場所を探しつつ歩く。しかし、どこも予約客で満席。ついたところは日テレ通りのいつもの「ニュー浅草」。やっぱり落ち着ける。

 

 平成27年度の初日、東京駅の近くの会社の昼飯時、八重洲桜通りに早めのランチに。12時少し前を狙ったせいか八重洲の勤め人も案外と少ない。チラホラ聞こえる言葉は、外人さんが多い。花見の見頃でも日本人は律儀で真面目なもんだと感心。交通の便がいい手軽な桜の名所になるのも近い。3日にも昼飯に訪れたが桜吹雪の真っ最中。今年の桜は短いと実感する。

 夕方には、桜通りのすぐ近くの海鮮料理が豊富な「小樽」へ。料理はボリュームが満点で腹いっぱいになる。