今日も駅前(AKIBAオジン)

ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

湯布岳の温泉三昧

2011年10月23日 | お酒

 母の葬儀、法要等も滞りなく済ませ、久しぶりの落ち着きを取り戻した。半年近くの毎週の病院通い、妻はほぼ毎日の連続であつた。ホームでの2年前のベッドからの転落で、骨折しまったく動けなくなってからだ。

 家族も相当に負担だったし、長い間、家族全員で遠出が出来なかった。家族への慰労の意味もあり、思い切っての遠出との結論である。となると即決、ヨドバシアキバの旅行代理店に直行。外国もいいが普段から湯布院にいきたいとの娘の意見、あれこれ迷うと、まずは決まらない。その場で九州の別府、湯布院に決定。国内も落ち着いて気が疲れずいいだろうとの結論。

 金曜日の朝、羽田から大分空港へ。大分空港でレンタカーに乗り換え、昼食場所を探しながら海岸伝いに走る。レンタカー会社の店員さんから紹介された海鮮浜焼きの店で昼食。

 武家屋敷などで有名なImg_3274杵築市に立ち寄り、大分空港道路無料区間に入り別府に到着。まずは友人の娘さんが先月嫁いだという地獄を雨模様の中見学する。お客は殆どいなかったが泥の噴出しは半端ではない。

海辺のホテル「清風」にチェックインの後、鉄輪温泉街の「ひょうたん温泉」に行く。高いところから豊富な湯量の打たせ湯で有名な温泉だ。清風では山側の部屋で別府湾は望めなかったのが残念だった。駐車料金を取られたのも意外ではある。

 
 翌日、別府から高速に乗り、チェックインにはまだ早いのと「やまなみハイウェイ」九重をドライブ。阿蘇での演習があったのか延々と続く自衛隊の各種車両とすれ違いながら人道専用の「夢の大吊橋」に到着。「夢の大吊橋」どうにも往復に手間取りそうだと外から眺めただけで外周りで湯布院へ向かう。

 湯布院では大きな旅館で面構えもいい「山水館」に到着。少し早いがチェックイン。ホテルで湯めぐりカードを貰い、早速に山に近いホテル「七色の風」に車で直行。霞がかかる湯布岳の中腹に位置する露天風呂は、天候のせいでお客も少なく、柔らかい泉質が体に大変心地良い。Img_3322

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宿舎「山水館」の個室での食事タイム、食事もさることながら注文した地酒「吟醸生貯蔵酒 ゆふいんの森」も旨い。この旅館は、湯布院では規模も大きく、丘から見ると目立っている。内容的にも代表的な旅館と見える。わかる気がする。

翌日の朝は晴天。帰り際に寄った山すその「お宿 梅園」の露天風呂は人も少なく、由布岳の絶景を眺めながら気持ち良く入浴できた。風呂の素朴さと景色の派手さがミマッチだが、離れの個室も人気のようだ。

 昼時少し前に「彩岳館」に昼食に立ち寄る。ここもガイドブックにも載る絶景の露天風呂があるが食事だけとした。湯布院の泉質は、全体的に柔らかいためか湯あたりがしにくい。女性に人気もうなづける。何回でも入浴は可能のようだが、福岡までの運転を考えるとやめておいた。


葬儀の段取り

2011年10月21日 | 出来事

 仕事場に自宅から携帯電話。長期入院中の妻の母親が危篤とのこと、夕方から夜半にかけ一度は持ち直したので自宅に帰る。ひとっ風呂との矢先、病院から再度電話。家族全員で再び駆けつけたが深夜に静かに息を引き取る。度重なる入院の末の92歳の大往生である。

 妻は一人娘のため葬儀段取りはすべて二人で行わなうことなる。覚悟を決めていたので葬儀社にすぐ連絡、病院からの移送を済ませた後、親族葬と決めてあった葬儀社との深夜の段取も二時過ぎに及ぶ。夜更けであるが義母の遺体に連れ添ってきた妻と子たちにも今後の経験のため打ち合わせに立ち合わせる。

 祭壇、飾り、遺影飾り、御棺、納棺儀式、火葬、お寺さん等のさまざまなグレードの選択を強いられる。今回は以前から覚悟をしていたため心構えはしていたが、いざとなると迷うものだ。基本的な料金はあるがそれでは葬儀の用には足りず必要なものの多くは入っていないことがわかるが、オプションとはいっても必要なものである。以前の見積もり書の2倍近くになった。30数年前の自分の父母のときは町会や請負師であった父の下職会などが仕切ってくれたせいか、細目はお任せで不義理も多少はあったと思いがする。記憶が朧である。年月の経過で中味も大きく変わっている。

 不明の不部分は参列者と数とお返し、通夜ぶるまい、お清めのグレードと数。火葬場での控え室の費用。導師への謝礼、火葬場や霊柩車の運転手のチップは予め設定されている。

 その他もろもろは当初には入っていない。祭壇も生花祭壇と当初見積もりを大幅にオーバーする。しかし、妻や娘たち(孫)の気持ち、故人から受けた生前の恩を思うと至極自然に追加。

 深夜、2時過ぎにようやく葬儀の交渉一段落。火曜日深夜に亡くなったため、金曜日が友引の関係で水・木の通夜・葬儀が時間的に困難となり金・土の親族中心の葬儀と決定。あらかた取り決めたらほ゜っかり二日間の空白。やることは多いがとりあえず当日の金沢での仕事予定はけりをつけようと予定通り金沢へ。喪主とはなったが親族葬なので会社にはすべて辞退を告げる。

 当日朝から片道予約で金沢、長野、群馬と三日間の客先との打ち合わせ予定が入っていたが、金沢だけでキャンセルし日帰り。「黒帯」、「手取川」など酒を呑む機会がないまま空港へ。

 金沢駅で名産のふぐの卵巣の塩漬け「ふく子」と「ごりの佃煮」を購入し岐路に着く。いずれ落ち着いたら酒の肴でいっぱいやることにする。

 

 都内に戻り、親族葬儀も滞りなく済ませる。予定オーバーも一般的なこと。義母らしいすばらしい見送りの会であったとは思う。