今日も駅前(AKIBAオジン)

ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

人形町、路地裏の「福寿司」

2009年09月27日 | お酒

 シルバーウィークの合間、夕方近くに仲間とタクシーで人形町に。ビフカツで有名な洋食「キラク」の先の道を曲がってすぐの路地奥突き当たり「福寿司」。入り口の立看板がないと通り過ぎてしいそうだ。

 普通の寿司屋だが、壁の板メニューにほとんどの握りが一貫210円と書いてある。実直そうなご主人と街の寿司屋の雰囲気で明朗会計が売りのようだ。相棒夫婦で晩飯代わりに時たま寄っているとそうだ。「今日は、奥さんは?」と聞かれていた。

 遅い朝で昼飯を食べてなかったためか腹が空いている。まずは、ビールに合わせてコハダの握りと刺身の盛り合わせを注文。ビールも終わりメニューを見ると「まんさくの花」とある。これはいいと燗酒で注文。鮮度のいい刺身を肴に燗酒のお代わりを数回。

 店の中の大きな安房神社のお札がある。前のブログでの安房出身の寿司屋チェーンの創立者の話もあり、南房総との関係は聞く。創立者は知らないが知り合いの関係で安房神社に行った際にお札を受けたと言う。何れにしても安房神社は海に関係しているので因縁がありそうだ。

 人形町は築地が近いせいか魚が旨い。今が旬の炙り秋刀魚の握りでしめて人形町を後にした。「福寿司」、昔は社用族の御用達だっただろうが、今は気楽に入れる下町の寿司屋である。


御徒町ガード下、親父天国「カッパ」

2009年09月23日 | インポート

 連休明けの溜まった仕事の整理に、3時過ぎにいつもの御徒町の喫茶店へ。二階の昭和通り沿いの窓際のカウンター席が定席。この店はいつも騒がしいアキバ・大ビル下の喫茶店と違って竹慶屋帰りのおばさんグループがこない限り静かな店である。

 整理の合間に、「数独」にチャレンジ。上級の部の後半ともなり、膠着状態を脱して1題を解くのに1時間はあっという間。慌てて仕事整理の続き。そんなこんなで6時近くになり、あたりは段々と暗くなる。そろそろ仕舞いと喫茶店を出て御徒町ガード下へ。立ち呑み「味の笛」か親父居酒屋の「かっぱ」いずれにするか迷う。とどのつまり活気のある「かっぱ」にする。

 8人席の大テーブルの一人分の空席を指刺され、すり抜け座り、鞄をテーブルの下に置く。298円のスーパードライ大瓶と、同じく全品298円の煮込みを注文。店の人気メニュー「あら煮」は既にないと言う。多分一人客だろうが、真っ黒に日焼けして下着かTシャツを着た隣の客は、一見経営者風の向かい客と映画論議で大声で盛り上がっている。歳はコチトラとはそんなに大差は無いが、映画名と往年のスターの名前が次から次へとスラスラと出て来る。新しい映画の話も大した蘊蓄、感心する。

 さて、大テーブルの前はワイシャツ姿のリーマン、隣は競馬新聞を食い入るように見ている御仁。もくもくと飲んでいる。斜め前には真っ赤に日焼けした一見ホームレス風の中年の常連客。店員とフランクに話している。ニコニコしながら飲んでいる。

 御徒町ガード下、独特の人間の坩堝。追加のかつお刺しと穴子の串焼き、日本酒燗酒を飲んで「カッパ」を出てシルバーウィーク初日は終了。全部で1600円位だったか。安い。


門前仲町、伝説の串煮込み

2009年09月18日 | お酒

  月島での打ち合わせも終わり、会社に帰るには遅すぎる。家に帰るにはチト早い。大江戸線の門仲で東西線へ乗り換えのつもりで降りる。が・しかし、門仲では自然に駅外に歩いている。足は自然に串煮込みの「大阪屋」方向へ。先代の女将から継ぎ足し継ぎ足しつかっている煮込みスープに串を放り込んでグツグツと真っ黒になるまで煮込む。そのえも言われない味が忘れられない。

 さて、5時チョット前、店に入ると7人座れば一杯のカウンター席に先客既に4人。店は4時から開いているので常連さんの指定時間だ。カウンターの一番奥に座りるなり「串8本、玉子スープ、そしてビール大瓶」と注文。のどが乾いていたので大瓶にした。30分もする内に店は壁際の席も一杯に。

 常連さんの話では、かの有名な居酒屋評論家の御仁が、テレビの居酒屋番組で紹介したばかりだそうだ。そう言えば、後から入ってきた客は、慣れないせいか注文の仕方がぎごちない。注文の串煮込みがくると携帯カメラのシャッター音が聞こえた。

 メニューは、飲み物はビールか酒か、焼酎の三種類だけ。串と玉子とタマネギスライス、・・・といたって少ない。ビールの大瓶は多すぎた、次は焼酎。この店の焼酎といえば、グラスの9分に注いだ焼酎に、残りの1分に琥珀の液体注ぐ。ロックか常温か何れかどちら。敢えて聞かないが多分、割ってるのは梅エキスだろう。

 隣の常連さんとテレビの中継を見ながら相撲の四方山話をしながら、結びの一番まで見る。相撲も終わり同時に「お勘定」と席を立つ。小1時間はいたか、まだ外は、ほのかに明るい。斜め左前の「ダルマ」を見ると、呼び込みの親父と目が合うといけねえ。まっつぐ駅方向へ向かうこととした。


アキバ路地裏「焼き鳥」の名店

2009年09月17日 | お酒

  UDXと中央通りの間、市場時代の遺跡のような木造平屋、昆布屋「千代田海藻」の路地に「鳥庄」がある。おせいじでも綺麗とは言えない昔ながらの焼き鳥居酒屋。ガラス戸が傾いてはいるが料亭に卸しているという昆布屋と同じく、アキバの電気街のど真ん中にあることが異様である。

 しかしながら、焼き鳥は絶品、秋葉原の電気街側を代表する焼鳥の名店である。それにしても昭和通側の焼き鳥では知る人ぞ知る「串よし」は最近閉店したのが残念だ。いよいよ、この店だけか。

 「鳥庄」のメインは5本から10本のセットもの。大ぶりの肉をこんがりと丁度よい焼き加減とタレも絶妙。最後はスープのデザートが出てお終いとなる。日本酒も充実している。種類は少ないが昔から代表的な銘酒がおいてある。

 飯田橋勤務の友人とUDX前で待ち合わせ。6時前だが窮屈だが一番奥のカウンター席をなんとか確保。まずは七本セットと目玉の大ぐい飲みの「奈良萬」、「金沢屋」を注文。久しぶりの手の込んだ串焼きと「奈良萬」に満足。勘定は親父居酒屋に較べて少し高めだが、旨いものであれば惜しくはない。

 しかし、狭い店内のこと、入り口で焼く鳥の煙は遅い時間になるに連れ、多くなる。炭に鳥の油が落ち煙が多くなる。ここは、濛々と煙いのを覚悟すること。

 


「秘幻」と八ッ場ダム

2009年09月16日 | インポート

 長野原に浅間酒造がある。代表銘柄は「秘幻」である。八ッ場ダムに関連して作られたバイパスに販売センターを開設し繁盛している。昔から周辺の温泉帰りに買っている旨い酒だ。 

 その長野原の近くの川原湯温泉が、今話題の八ッ場ダムの水没予定地だ。長野原電鉄の付け替え、住民と旅館の代替地もほぼ完了。既に移転が始まってひっそりとした旅館街もダム湖を観光資源としての復活を期待している。その八ッ場ダム中止はいただけない。4800億円の70%が執行済みの中、中止決定は、補助金外の基金まで含めた自治体の支出済みの損害賠償で5000億円以上の国費の新たな負担が発生するだろう。

 ダム不要論も、水需要が落ち込んできた10年数前からの論理が前提。異常気象に関してのファクターには一切目をつぶっている。確かに栃木県の南摩ダムなどは湛水区域が無く、治水は意味無し、水需要のみであれば、それも説得力がない。そういうダムは中止が妥当とは思う。 

 既に始まった異常気象での水害、渇水への対応を中途半端にして、現代の巨大な遺物のための国費の新規発生は何を考えているのか。柔軟な姿勢でないと、又も政権交代が早まるかも。 


親父の足跡と松葉杖

2009年09月09日 | 出来事

 前夜、寿司屋チェーンの総帥の話を聞いて飲んだ後、家に帰ったあとの風呂上がり。膝をコンクリートの壁にしたたかに打つが痛みはない。

 朝、目覚めと同時に左足が上がらない。膝に力が入らず、痛くて立てない。9時過ぎに足を引きづりながら近くの整形外科へ。大正生まれの大先生。30年前に亡くなった親父の小学校時代の後輩だそうだ。すぐ近所に住んでいていろいろと親父から遊んで貰ったと言う。

 おまけに、この医院の建物は、建築屋の親父が、うるさい設計屋の元、相当苦労して作ったそうだ。今でもゆがみもないし、ビクともしてないと盛んに感心している。この建物、当時としては天井が高く、光を多く取り入れているモダンな建物だ。建築雑誌でも紹介されたそうだ。親父の足跡に、ちと、嬉しくなる。

 肝心の足のほうは、レントゲンでは大丈夫だと言う。世話になった親父の息子ということで、三井記念病院で精密検査をして貰えということで、紹介状を書いてもらう。有り難いことだ。

 松葉杖を借りて、その足で改修中の三井記念病院へ。予約診療で近所の住民でもなかなか診察してくれない病院だが、午前中に診察。結果は膝の強打で打撲のみだろうとのこと。骨折じゃなくひと安心。入院することになったら忙しい最中最悪である。午後からは松葉杖を積んで車で会社へ。フットブレーキは痛くて踏めないが仕方がない。

 膝の痛さもあるが、親父の足跡に接したことは何故か懐かしい思いがする。


館山発の寿司の価格破壊

2009年09月09日 | 出来事

 館山出身の寿司屋チェーン「波奈」の会長さんの講演会。京樽の再建にも携わった経歴もある。当時、寿司と言えば飲んで食べて1万円はくだらない時代に、価格破壊を標榜して寿司屋を始めたそうだ。その昔、館山から千葉に進出してきた頃に、館山出身の先輩に連れられて通ったものだ。 

 何度か会ってはいるが苦労話は初めてだ。興味深く面白かった。全くの経験の無い素人が寿司屋を始めて、職人が定着せず、寿司を握る羽目になった。「こんな岩のような寿司が食えるか」と、その後のスポンサーから言われたそうだ。そんな中、成り上がっていく話はチャレンジの模範のような話だ。クラブ経営にも手を出し、ホステス確保の見通しで店への見切りが早いのも感心する。合わせて腰の低さが成功の秘訣か。

 毎週の休みには館山から上京。浅草にある寿司職人(庖丁人?)の斡旋組織で職人の手当をしていたという話は興味深い。会長を囲んでホテルでの講演会後の決まり切った宴会も終了。ホテルの定番「梅一輪」の冷酒はなく、燗酒のみが寂しい限りだった。

 総武快速でアキバへまっすぐ。まだ9時前、アキバ駅前で小1時間のちょいと寄り道。軽く飲み直して家に辿り着く。PCボンバーで購入したばかりの風呂テレビでのぼせたか、風呂上がりにしたたか膝を打つ。

 翌日は松葉杖 (>_<) ・ ・ ・