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ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

長野の国宝「三重の塔」巡りと田沢温泉

2015年08月30日 | 温泉

  例年より格段に暑い夏、8月始めの長野市での仕事の帰り。翌日、猫が玄関で大の字にうだっている別所温泉の蕎麦屋で食事後、上田のお客へ訪問。その後の予定は無く新幹線の時間もフリー。そこで、別所温泉近くの史跡めぐり。国宝の「三重の塔」があることは知っていたが訪れたことはなかったので別所温泉の「案楽寺」、青木村の「大法寺」に参拝決定。

  美しい大法寺三重の塔、見返りの塔と呼ばれるのも頷ける。シンプルな作りは奇をてらわない鎌倉時代の質素な作りが国宝たる所以と見える。現代にも質素さが麗しい。

  ここで青木村「大法寺」の三重塔の文献を引用すると、 「天台宗寺院。開基(創立者)は藤原鎌足の子・定恵と伝える。本尊釈迦如来。国宝の三重塔があることで知られる。」「この塔は正慶二年(1333年)鎌倉時代から南北朝時代に造営された。第二層の木組みの裏側に書かれた墨書から、この塔は大阪の天王寺と関係の深い技術者たちの手によって造られたと考えられいる。塔は初重が特に大きいのが特徴で、これがこの塔の最も大きな特色で二重、三重で組物を三手先という一番正規な組み方としている。初重だけは、少し簡単な二手先にしたので、その分だけ平面が大きくなっていて、形に変化がつきおちついた感じになっています。このようなやり方はこの塔のほかは奈良の興福寺三重塔があるだけで、きわめて珍しい。」

「三重塔の規模」高さ 礎石上端から宝珠上端まで六一尺二寸七分(18.56m)。建坪 初重 四坪0六・二重 二坪三五・三重 一坪七五。

  別所温泉の「案楽寺」、少し商売っ気が目立つ寺だが、これまた趣のある三重の塔だ。またまた引用をお許しあれ。

 「安楽寺は鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つ。天正十六年(1588)ころ、高山順京が曹洞宗に改めました。 その安楽寺にある木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築で、長野県では一番早く「国宝」に指定された。ふつうの塔は四角、この塔は「八角形」である全国にこの塔一つだけしかない。頂上には相輪〔そうりん〕(九つの輪のついた柱)が天高く聳〔そびえ〕えている。 各層の屋根の下には、華やかな「木組〔きぐ〕み」がぎっしりとまっている。それらが、この塔に何ともいえない上品さと華やかさを与えている。安定感と崇高美と華麗さを兼ねそなえた塔、天下の名塔といわれているのも決して理由のないことではない。 鎌倉時代、この別所温泉のある塩田平は、当時の政治の中心れんしょ地鎌倉と深い関係があった。とくに、鎌倉幕府の連署(副総理)をやっていた北条義政などは、塩田の地、前山に館〔やかた〕を構え、その子孫は三代にわたって鎌倉幕府の重臣として活躍した。そんなことから鎌倉からの文化がたくさん移入され、その影響をうけた文化財が多く残っているため信州の鎌倉などとも言われた。」

 境内内の塔への道すがらの森、多くの桧の木が地肌を赤くむき出しになっている。桧の皮で桧皮葺の屋根材に使うのだろう。いい桧が境内にあるという証拠だ。多分、この寺の何処かで伝統的な手法で改修をしていることを物語る。

 ついでに薀蓄をひとつ披露すると、檜の皮向きは薄皮一枚分を残して皮を剝がさないと木が腐ってしまい、再生が不可能になってしまう。熊や鹿の皮剥ぎは根こそぎ剥ぎ取るため、どんなに立派な檜や杉でも放っておくと木材としての価値は半減する。それほどに神経を使う作業なのだ。

 

      大法寺に近いところに田沢温泉がある。その昔は一揆や義民が多く反骨の土地として名を馳せたようだ。従って現在でも多くの文化人の別荘もあるという。有形文化財の「ますや旅館」に一風呂浴びに入る、島崎藤村もたびたび訪れたと聞く。まるで博物館を思わせるフロント。現代的な旅館とは正反対の古い木造三階建てが思いっきり時代を遡らせる。30分ばかりのつかの間の立ち寄り湯、柔らかく温度も適度。中庭の露天には木漏れ日と緑が美しく、も少し長いがしたいと思う。次はゆっくりと来よう。