昼、帰宅すると、自転車で先に着いた三男がBSで長嶋茂雄の特番を見ている。
そんな放送があることをどうやって感知するのか、この種の情報にはまったく抜け目がないのである。
デビュー戦、国鉄・金田正一に4打席4三振を喫した場面から、同じ年の日本シリーズで西鉄・稲尾和久に三連敗四連勝の離れ業を決められるまで昭和33年一年間の映像を中心に、長島本人のほか、稲尾、野村、川上らの後年のインタビューを重ねて構成した非常に面白い番組である。これら英雄達の互いに見るところが、見事にかみ合っているのが恐ろしいほどだが、そのことはとりあえず置く。(話し出したらキリがない!)
稲尾など故人のインタビューが含まれることから分かるとおり、番組そのものはかなり前に制作されており、長嶋の語り口にもよどみがない。今般の国民栄誉賞受賞を記念して再放送したものに間違いなく、問題はそのことだ。長嶋の国民栄誉賞は当然すぎることで、遅きに失したと言っても良い。引っかかるのは、松井秀喜の同時受賞の件で、これはどうなんだろうか。
国民栄誉賞は、表彰規定によれば「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」を目的とするのだそうだ。
松井が偉大な野球選手である(あった)ことに異論はないが、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった」とまで言えるかどうか。また、仮にそう言えるとしても、長嶋と同列に扱うべき性質のことかどうか。
長嶋は、一個の社会現象だった。ホームランを打ちながら一塁ベースを踏み忘れてアウトになり、あるいはホームランを打った嬉しさにスキップしながらホームインする底抜けの明るさに、あの時代の日本人が挙げて夢中になったのだ。「巨人には勝たせたくないが、ONには打ってほしい」という面倒なファンが、周囲に一人ならずいたものだ。前述の表彰規定はまるで長嶋を想定して書かれたもののようではないか。
僕は個人的には長嶋よりも王のファンだったが、規定を素直に読むなら長嶋の受賞が先であるべきだったと思う。むろん、長嶋は(あるいはONは)、彼らをとりまく輝かしいライバル達 ~ 金田・稲尾・野村・村山・江夏らの象徴でもあったわけだ。
「国民」と「社会」に対する影響力としては、松井はONよりも遥かに小さいよ。ケタが違うと言っても良い。それは彼の責任ではなく時代の空気の違いによるものだし、野球そのものの意味合いと重みがまったく違っていたのだ。
ケチをつけるようなことをあまり言いたくはないが、この辺を甘く判断して賞を出し過ぎると、賞のありがたみが減って意味がなくなってしまうのがつまらない。松井の功績を称えるには、いくらでも別のやり方があるはずなので。
ついでにいうなら、相撲界の国民栄誉賞第一号が千代の富士で、大鵬が没後にようやく第二号として受賞したというのは、上と同じ意味で逆転していると思う。問題は記録ではないのだから。
もひとつついでに、日米両方の球界で活躍したことが日本人の希望になったというのなら、真っ先に顕彰すべきは野茂英雄だ。彼こそ本当に偉かったよ。
そんな放送があることをどうやって感知するのか、この種の情報にはまったく抜け目がないのである。
デビュー戦、国鉄・金田正一に4打席4三振を喫した場面から、同じ年の日本シリーズで西鉄・稲尾和久に三連敗四連勝の離れ業を決められるまで昭和33年一年間の映像を中心に、長島本人のほか、稲尾、野村、川上らの後年のインタビューを重ねて構成した非常に面白い番組である。これら英雄達の互いに見るところが、見事にかみ合っているのが恐ろしいほどだが、そのことはとりあえず置く。(話し出したらキリがない!)
稲尾など故人のインタビューが含まれることから分かるとおり、番組そのものはかなり前に制作されており、長嶋の語り口にもよどみがない。今般の国民栄誉賞受賞を記念して再放送したものに間違いなく、問題はそのことだ。長嶋の国民栄誉賞は当然すぎることで、遅きに失したと言っても良い。引っかかるのは、松井秀喜の同時受賞の件で、これはどうなんだろうか。
国民栄誉賞は、表彰規定によれば「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」を目的とするのだそうだ。
松井が偉大な野球選手である(あった)ことに異論はないが、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった」とまで言えるかどうか。また、仮にそう言えるとしても、長嶋と同列に扱うべき性質のことかどうか。
長嶋は、一個の社会現象だった。ホームランを打ちながら一塁ベースを踏み忘れてアウトになり、あるいはホームランを打った嬉しさにスキップしながらホームインする底抜けの明るさに、あの時代の日本人が挙げて夢中になったのだ。「巨人には勝たせたくないが、ONには打ってほしい」という面倒なファンが、周囲に一人ならずいたものだ。前述の表彰規定はまるで長嶋を想定して書かれたもののようではないか。
僕は個人的には長嶋よりも王のファンだったが、規定を素直に読むなら長嶋の受賞が先であるべきだったと思う。むろん、長嶋は(あるいはONは)、彼らをとりまく輝かしいライバル達 ~ 金田・稲尾・野村・村山・江夏らの象徴でもあったわけだ。
「国民」と「社会」に対する影響力としては、松井はONよりも遥かに小さいよ。ケタが違うと言っても良い。それは彼の責任ではなく時代の空気の違いによるものだし、野球そのものの意味合いと重みがまったく違っていたのだ。
ケチをつけるようなことをあまり言いたくはないが、この辺を甘く判断して賞を出し過ぎると、賞のありがたみが減って意味がなくなってしまうのがつまらない。松井の功績を称えるには、いくらでも別のやり方があるはずなので。
ついでにいうなら、相撲界の国民栄誉賞第一号が千代の富士で、大鵬が没後にようやく第二号として受賞したというのは、上と同じ意味で逆転していると思う。問題は記録ではないのだから。
もひとつついでに、日米両方の球界で活躍したことが日本人の希望になったというのなら、真っ先に顕彰すべきは野茂英雄だ。彼こそ本当に偉かったよ。