散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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土曜の朝、ニュースと記憶とわが友スンヒョン

2013-04-13 11:41:52 | 日記
関西の大学に行っている長男から、朝、珍しく電話あり。
「え?地震?」
家内の声が裏返った。

テレビを点けると、やっている。
5時33分ごろ、淡路島付近地下10㎞を震源として、M6.0の地震ありと。
最大震度6弱、瓦屋根の傷んだ様子がヘリから映し出される。

けが人は出ているが幸い死者はなし。
長男らは淡路島の北端からだと直線距離で40㎞もないところにいるが、震度は3~4程度。しかし同地の人々は直ちに思い起こしたことだろう。

1995年1月17日(火)午前6時前。
僕らはちょうどアメリカにいて、3年間の滞在の一年目の終わり近くだった。
そしてあの時も電話だった。

アメリカは月曜の夕方、夕食の支度をしていた家内が、料理のレシピを訊きたくて兵庫の母親に珍しくも国際電話をかけたのが、偶然にも地震発生の直後だった。
ものすごい揺れで廊下の柱時計が倒れ、家具のガラスがどれもこれも粉々に割れて危険な状態だが家族は無事と伝えられた。その直前に祖母が百歳近くで大往生を遂げたところで、震災に巻き込まれずに他界したことが家族の慰めとなった。いったん置いた電話はその後しばらく不通となり、日本国内の家族らに向けアメリカから「実家は被害あるも無事」と連絡したものである。

その夜から、アメリカの三大テレビがトップニュースとして震災後の日本の状況を伝えることが、ちょうど一週間にわたって続いた。
8日目になり、代わってトップに報じられたのはO.J.シンプソンの妻殺害容疑に関する裁判開始のニュースだった。

***

当時のことをぼんやり思い起こしていると、テレビの画面が地震から北朝鮮に代わった。

北朝鮮の国営テレビ放送が、既に準・戦争状態に入ったと報じている。北朝鮮の一般民衆の姿は例によってまったく見えないが、向こう側に非常な緊張があり(それが作られたものであるにせよ)、こちら側とは大きな温度差があるのは確からしく、それがまたもうひとつの記憶を呼び起こす。

アメリカ滞在中、仲良しのサラのお母さんが日米開戦当時の思い出を語ってくれたことがある。
「日本との間で問題が起きていることは知っていたけれど、外交交渉で解決されると信じていたから、真珠湾攻撃のニュースには本当に驚いた。」

サラの年長の友人であるマーリンは、開戦当時すでに学齢だったから、自分自身の思い出がある。
「真珠湾が日本軍に攻撃された、と町で大人達が言っているので、家に帰ってそのとおり母に伝えたの。そしたら母がびっくりして、拭いていたお皿が床に落ちて割れたのを、今でも覚えているわ。」

まさか戦争になるとは、アメリカの民間人は露ほども思っていなかったのだ。日本の側ではどうだったか、一般人がどれほど具体的に戦争の危険を察知していたか分からないが、それが遅かれ早かれ不可避であることを、薄々ならず感じていたのではなかったか。

この温度差が恐ろしいのである。

そういえば、わが友スンヒョンは北側に親族が大勢いたはずだ。
スンヒョン、おまえいったい、どこに行っちゃったわけ?!
韓国の精神科医、金承賢(キム・スンヒョン)の居所を、誰か知っていたら教えてください・・・




立国は私なり

2013-04-13 09:51:39 | 日記
安倍総理が、愛国心やふるさとに言及している、と昨日の朝刊。
そろそろ始まったな。

ちょうど良いので、国民栄誉賞の続きで途切れた話を少しだけ進めておく。

福沢諭吉に『痩我慢の説』という小論がある。これが無類に好きなのだ。
『丁丑公論』とセットになった講談社学術文庫の一冊は、それこそイチオシ中のイチオシだよ。
何のどういう「ヤセガマン」を説いているかは読んでのお楽しみ。ただの開明論者ではない、腰の大小の代わりにペンで戦った古武士・福沢の面目を遺憾なく著わしているからね。

さて、ここで紹介するのはその本来の趣旨ではなく、冒頭の一節だ。

「立国は私(わたくし)なり、公(おおやけ)に非(あら)ざるなり。」

こう言い切るところから『痩我慢の説』は始まる。
どういう意味か、
「愛国心とは要するに集団エゴイズムであって、公徳心というような高尚なものではない」
ということだ。
明治24年(1891年)の所説である。

卓見だし、勇気ある言挙げだと思うのだが、これが書き出しであって結論ではないのが福沢の真骨頂である。

愛国心は集団エゴイズム、つまり私情に過ぎない、しかし、その私情こそが美風の基ともなり、集団を支える力ともなる。ヨーロッパにおいても小国の「痩我慢」がしばしば歴史の転回点を作り出してきた。わが国においても、明治の困難な時代に外圧を撥ねのけ、文化水準を飛躍的に向上させるには、この私情のエネルギーがどうしても必要である・・・他の評論と読み合わせて少々言葉を足してみるなら、まずまずこんな流れである。

「愛国心は私情に過ぎない」という冷徹な観察と、

「私情こそが歴史を動かす力になる」という洞察と、

その双方をもちあわせた複眼的なリアリズムが、福沢の大きさなのだ。
だから、学ぶべきことは福沢の個々の所説よりも、むしろこのようなものの見方であると思う。

安倍氏らが愛国心の昂揚を訴えるのは結構だが、それが要するに私情の拡張に過ぎないことを知ったうえで口にしたいし、口にしていただきたい。そしてまた、その強力なエネルギーをどのような方向に動員しようとするのか、そのベクトルの全容を率直に明示していただきたい。(本来、政治家の役割は後者であって、前者ではないはずだ。)
特定の方向性をもった私情動員に反対するものは、私情そのものを持たないものと見なされるという、「いつか来た道」に誘導されるのはまっぴら御免なので。

一度にいろいろ言うと自分でも混乱するから、これはここまででいったん休止。
なお、備忘のためいくつか註を付けておく。

① 不思議な引用:
都知事時代の石原慎太郎氏が、「立国は私なり」という言葉を引用したことがある。
「なんで?」と訝るのが正しい反応。「逆じゃないの?」
そうなんです。彼、どういう意味で引用したと思いますか?

「『立国は私なり』という言葉があるように、愛国心をもって国に尽くすことは、我々ひとりひとりの責務なのだ」

あらましそのように曰ったのである。
これにはびっくりした。彼の勘違いか、あるいはよくよく承知で自己流に読み替えたのか、少なくとも福沢の原意とは正反対の文脈だからね。
この引用はメディアでも伝えられたから、ヘンだなと気づいた人は大勢いただろうが、知る限りでどこにもその指摘は出てこなかった。聞き流したんだな、みんな。

② patriotism と nationalism:
詳細は今は省略。

③ 私情の行方 ~ 防災共同体:
福沢の場合、立国に向ける私情に「脱亜入欧」の原動力たることを期待しただろう。
今日この私情に期待できる役割があるとすれば、何よりも震災復興に向けてではあるまいか。
そもそも日本人にとっては、「防災共同体」がクニや社会の原型だったのではないかと、『死生学』の原稿を書きながら考えている。
どこの国でもそうかもしれないが、たとえば「政治共同体」といったものを「防災共同体」と対にして考えるとき、「政治」よりも「防災」が上位に来るところにわれわれの歴史のひとつの特徴が現れていないか。
今この時に私情を鼓吹するのなら、あわせてこの原点に立ち返ることを考えてほしいのだが、そんなつもりはないみたいだね。

④ グスコーブドリの伝記:
詳しくはこの次に。

⑤ empathy と sympathy:
臨床心理をこととする人々は、empathy(「共感」と言っておきます)と sympathy (同情)の違いをことの最初にたたき込まれる。往々にして、「empathy」は◯、「sympathy」はよろしからず、と受け取られることが多かったが、石丸先生はこのことになると、ときどき妙なことを言っていましたね。
「sympathy そのものに寄りかかったのでは臨床はできないが、sympathy の動かない人に臨床などやってほしくない」
とか何とか。
「立国」についても似たことがいえると思う。

ああ手が疲れた・・・