遅めの昼休み、わが苗字についてあらためて考える。
マレーシアの留学生が訝ったごとく、「丸石」と「石丸」では意味が違うのかもしれない。
「丸」にはもちろん円・球の意味があるけれど、それだけではない。
例えば城に「本丸」「二の丸」がある。大坂城の攻防戦では、真田幸村が「真田丸」を拠点に活躍した。
そして船の名前がある。「咸臨丸」「第五福竜丸」。
さらに人名、伊賀の「影丸」から横綱「武蔵丸」まで。
大型船を近くから見上げれば、水上に城が建ったような威容がある。
「丸」は「円・球」すなわち完全に閉じた図形という意味から出発して、ひとまとまりの完結した建築物を現すようになり、それが城郭や船の命名に用いられるようになったのではないか。
だとすると「石丸」は、石で築かれたそのようなもの、という含意があるだろうか。
(でも船を石で造ったら沈んじゃうよね。地上の建物限定かな。)
伊予松山界隈には、石丸がとても多い。
むろん全国的には少ない。
山形に転校したときは、ものすごく珍しがられた。
高校に入って上京し、同級生に「今度、秋葉原に一緒に行こうぜ」と言われたときは、何のことか分からなかった。後に桜美林大学では、クロンメルヴァインという名の南ドイツ出身の声楽の先生が、僕の顔を見るたびに「いしまる~、いしまる~」と美しいテノールで歌いかけてくれた。
(あの電気店は、遂に名前を変えちゃったね、数年前にエディオンに吸収され、時間の問題だったらしいが。なお、創業者の石丸鶴雄さんという人は東京都出身とネット情報にあるが、2004年3月30日の他界の際、四国新聞にも訃報が大きく載った形跡があるので、ルーツは四国かもしれない。四国新聞社は香川が本拠地だ。)
四国以外では九州に若干。
やはり桜美林で僕の後から着任してこられ、不注意な人々が郵便物やメールの誤配を繰り返したもう一人の石丸先生は、九州出身で御先祖は佐賀藩・鍋島家に仕えるお侍であったそうな。
鍋島家と言えば化け猫騒動に「葉隠」か。
この石丸先生は刃物を研ぐことが趣味のひとつという奇特な御仁で、今は焼き物で知られるわが故郷の松山市砥部町が、良質の砥石を産するゆえにその名を持つことを御教示くださった。
我が家は武家ではないが、家の伝承では石丸を名乗ってから僕で14代目という。
(幕府ならそろそろ滅びる頃だな、室町幕府も江戸幕府も15代まで、鎌倉幕府は将軍は9代までだが執権が16代で終わり、ここにはきっと意味があるよね。)
14代といえばその初めは江戸時代も前半に遡るから、伝承が本当なら「功あって苗字帯刀を許された豪農」ぐらいのところだろうか。時代が下って武家の財政事情が逼迫するにつれ、金で苗字帯刀の権利を買うことも生じた(多くは一~二代限り)というが、江戸時代前半にそれは珍しかったろう。近い御先祖達は名主クラスのお百姓で、村の馬医(ばい)さん、つまり獣医を兼ねていたらしい。
*****
三國連太郎さんの訃報が目に止った。
本名は佐藤政雄さん、1923年1月20日生まれ、満90歳2ヶ月25日。
芸名も芸もカッコよかったね。すーさん、ありがとう。
マレーシアの留学生が訝ったごとく、「丸石」と「石丸」では意味が違うのかもしれない。
「丸」にはもちろん円・球の意味があるけれど、それだけではない。
例えば城に「本丸」「二の丸」がある。大坂城の攻防戦では、真田幸村が「真田丸」を拠点に活躍した。
そして船の名前がある。「咸臨丸」「第五福竜丸」。
さらに人名、伊賀の「影丸」から横綱「武蔵丸」まで。
大型船を近くから見上げれば、水上に城が建ったような威容がある。
「丸」は「円・球」すなわち完全に閉じた図形という意味から出発して、ひとまとまりの完結した建築物を現すようになり、それが城郭や船の命名に用いられるようになったのではないか。
だとすると「石丸」は、石で築かれたそのようなもの、という含意があるだろうか。
(でも船を石で造ったら沈んじゃうよね。地上の建物限定かな。)
伊予松山界隈には、石丸がとても多い。
むろん全国的には少ない。
山形に転校したときは、ものすごく珍しがられた。
高校に入って上京し、同級生に「今度、秋葉原に一緒に行こうぜ」と言われたときは、何のことか分からなかった。後に桜美林大学では、クロンメルヴァインという名の南ドイツ出身の声楽の先生が、僕の顔を見るたびに「いしまる~、いしまる~」と美しいテノールで歌いかけてくれた。
(あの電気店は、遂に名前を変えちゃったね、数年前にエディオンに吸収され、時間の問題だったらしいが。なお、創業者の石丸鶴雄さんという人は東京都出身とネット情報にあるが、2004年3月30日の他界の際、四国新聞にも訃報が大きく載った形跡があるので、ルーツは四国かもしれない。四国新聞社は香川が本拠地だ。)
四国以外では九州に若干。
やはり桜美林で僕の後から着任してこられ、不注意な人々が郵便物やメールの誤配を繰り返したもう一人の石丸先生は、九州出身で御先祖は佐賀藩・鍋島家に仕えるお侍であったそうな。
鍋島家と言えば化け猫騒動に「葉隠」か。
この石丸先生は刃物を研ぐことが趣味のひとつという奇特な御仁で、今は焼き物で知られるわが故郷の松山市砥部町が、良質の砥石を産するゆえにその名を持つことを御教示くださった。
我が家は武家ではないが、家の伝承では石丸を名乗ってから僕で14代目という。
(幕府ならそろそろ滅びる頃だな、室町幕府も江戸幕府も15代まで、鎌倉幕府は将軍は9代までだが執権が16代で終わり、ここにはきっと意味があるよね。)
14代といえばその初めは江戸時代も前半に遡るから、伝承が本当なら「功あって苗字帯刀を許された豪農」ぐらいのところだろうか。時代が下って武家の財政事情が逼迫するにつれ、金で苗字帯刀の権利を買うことも生じた(多くは一~二代限り)というが、江戸時代前半にそれは珍しかったろう。近い御先祖達は名主クラスのお百姓で、村の馬医(ばい)さん、つまり獣医を兼ねていたらしい。
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三國連太郎さんの訃報が目に止った。
本名は佐藤政雄さん、1923年1月20日生まれ、満90歳2ヶ月25日。
芸名も芸もカッコよかったね。すーさん、ありがとう。