散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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精神病者監護法+アルファ

2013-04-11 20:12:46 | 日記
勝沼さんに敬意を表して、もうひとつ。

> 最近サッチャーや安倍総理が家族の絆を訴えるのは美徳の観念より自分達の進める新自由主義の補填の意味が強いという意見をよく見ます。競争社会をつくるから家族で助け合ってねという無責任な絆の強要です。

「競争社会をつくるから家族で助け合ってね」

この言葉から「塾」に集う賢明なるメンタルヘルス関係者御一同は、ある歴史上のできごとを直ちに思い出してくれるだろう(か)。

精神病者監護法のことである。
1900年(明治33年)制定のこの法律は、その第一条で「精神病者ハ其ノ後見人配偶者四親等内ノ親族又ハ戸主ニ於テ之ヲ監護スルノ義務ヲ負フ」と規定した。「看護」ではなく「監護」であることに注意したい。
精神病者がむやみに出歩いて世の中に迷惑をかけないよう、家族が責任をもってこれを「監護」せよということで、精神病者「を」守る謂ではなく、精神病者「から」世の中を守るための法律であった。この義務を遂行するために必要となれば、私宅監置すなわち座敷牢の設置が認められたから、今日に悪名を遺すのも無理はない。これに対して呉秀三が周到な実態調査に基づいて痛憤を著わしたのは有名な話、石丸先生の「精神医学」のヤマのひとつでもありましたね。

ただし、これを現代的な感覚から単純に「非人道的」と切るのではなく、それが登場した時代背景に注目せよというのが、授業でもミソだった。

1900年といえば日清戦争後・日露戦争前である。当時のわが国は、日清戦争の勝利を受けて治外法権は撤廃されたが列強に対する関税自主権は認められず、依然として半植民地状態にあった。そこからの脱出を国家的急務として、明治政府のとった方針が富国強兵である。貧乏国の日本がとてつもない無理をして一流の軍隊を持とうとするとき、しわ寄せはいやおうなく医療・福祉の領域にかぶさってくる。『坂の上の雲』はその陽の面を描いたが、これを支えた陰の部分が精神病者監護法であるといってもよい。

ヨーロッパには中世以来、修道院付属などの形で徐々に発展してきた大病院があり、伝染病対策などとあわせて精神障害者の収容に当てられた。当初はまさに「収容」の場でしかなかったものが、長い時間をかけて人道的な処遇に移行するようになる。フランス革命はこうした流れを理念的に加速した。黒船来航の時代、欧米はこうした数世紀の歩みを踏まえ、有形無形の社会資源を蓄積していたわけだ。精神障害者はこうした施設に収容されるのが、少なくとも都市部においては標準となっていた。

ひるがえって日本には何もない。病院を建てる金があれば、まず大砲を、軍艦をというのが国是で、それならば福祉は家庭に委ねる他はない。欧米への対面を繕う意味でも何らかの立法は必要である。(このあたりで「相馬事件」のスキャンダルも関わってくる。)それやこれやで後進日本のとった苦肉の策が、精神病者監護法であったともいえる。

単に現代の目で当時を切るのが無意味というのはこのあたりのことで、福祉にもバランス良く資源を配分しようとすれば軍事突出はありえないし、そうなると少なくとも富国強兵路線で戦争を勝ち抜き、迅速に植民地状態を脱するという選択肢は成立しなかっただろう。しかし、「別の選択肢」を構想するのは決して簡単なことではないのだ。

ここから先は一筋縄ではいかない話だから、この辺でいったん打ち切りにする。
書いておきたいのは、この期に及んで「競争社会をつくるから家族で助け合ってね」というのが、「富国強兵で行くから家族で助け合ってね」のリメイク版として出てくるとしたら、今度は後世に対して弁明などできないということだ。

だいいち、超高齢化+少子化時代の核家族にそんな力などありはしない。精神病者監護法は戦前の旧民法を前提としたもので、旧民法下では戸主が大家族の全ての財産と負債を管理し、構成員の運命に対して絶大な権限をもっていた(戸主が認めなければ結婚もできない)から成立した話である。今日では幸か不幸か、競争社会のしわ寄せを吸収する力をもった家族など、システムとして既に崩壊している。そのような意味で、日本人はこれからやっと近代的な意味での福祉について学び始めるのだと思う。新自由主義であれ何主義であれ、社会の果たすべき役割を家庭に押しつけるやり方では、もう何も立ち行かない。

付記:
田舎からの荷物が届き、中に例によって父が偕行(かいこう)の切り抜きを入れてくれている。その中に父の付けた赤マークがあり、見れば昭和11年当時、戦車砲の火力向上について熱心に意見具申を行った某将校が、上官に疎まれて陸軍医学学校付属の精神病棟に隔離・監禁された逸話が記されていた。
(ここでも時代背景を考えよ。昭和11年とは二・二六事件の年である。それが何を意味するか。)

さて、これは笑い話だと思いますか?

江戸言葉と国訛り

2013-04-11 11:56:41 | 日記
今朝ももちろん連載小説から一日を始め、そしてまた感心した。言葉について、詳しく言えば方言と江戸言葉について、触れた部分だ。
舞台は江戸時代の東北地方の某藩、登場人物の一人はそこで破格の出世を遂げる。江戸で磨いてきた剣の腕前を御前試合で示して藩主に抜擢されるのだが、その妹の見るところ、抜擢のもうひとつの理由は江戸言葉にある。参勤交代によって江戸の文化に触れて魅了された藩主にとって、その男の江戸言葉が大きな魅力だったのだ。
「藩主の妻子を江戸に留め置くという公儀の施策は、諸大名を治めるためには有効でも、代が重なるうちには、そうした人の性(=己の血肉となっている国訛りへの懐かしみ)を裏切るものになるのかもしれなかった」

参勤交代をこういう視点からみることができるのが、この作家の非凡な資質を示している。同時にこの件は僕の個人的な急所に触れることだ。

転勤族の息子として、僕はさまざまな言語環境の中を転々としてきた。
「ぶっきらぼうな上州の国訛り」(連載小説の主人公となるらしき女性の生国)で、小学校前半を過ごし、小学校後半では出雲訛りを話した。中学へ上がる前後の一年間は山形に暮らし、転校後3ヶ月で完璧なずうずう弁をマスターして両親のために通訳にあたった。(休暇で松山に帰省したとき、叔父叔母たちが驚いた顔と言ったら!)
その次は名古屋弁だ。今でもテレビ出演者のかすかな名古屋訛りを過たず拾うことができる。
囲碁解説で羽根直樹さんが「ここは、ほかっておくと死んでしまいます」と言ったとき、あるいは高橋尚子やなんかが、誰それが「そこにいる」「あっちにいる」と発音した瞬間、名古屋弁(東海訛りとでもいうべきか)を検出するにはこれだけで十分だ。

いずれも懐かしく、好もしいのだ。東北弁は比類なく温かい。名古屋では「みゃあみゃあ言う」と他所の人間は笑うが、独特の庶民性とともに人を繋ぐからくりが豊かにあることを、知る人は知っている。まことにまことに、どこの言葉も固有で素晴らしい。国の訛りは消えてほしくないものだと思う。

しかし、

残念なことに、僕には固有の訛りがない。詰まるところこの言葉でしか話せない、というものがないのだ。繰り返す転勤・転校の当然の結果だ。そしてこれまた当然の結果として、いちばん身についたのはNHKアナウンサー語であったかもしれない。(これを標準語とは言わずにおく。せいぜい共通語だよね。)

それはそれで悪いことではなく、損をしたとも思わない。
ただ、せっかくならこういう身の上を何かしら生かしたいと思う。
どこの出身の患者さんとでも、親しく話ができるということだけではなくて、さ。


勝沼さんに感謝/家族・ヴォネガット・新自由主義

2013-04-11 11:53:06 | 日記
9日のブログに勝沼さんがくれたコメントを見てびっくりした。
びっくり感動したので再掲する。

> 最近サッチャーや安倍総理が家族の絆を訴えるのは美徳の観念より自分達の進める新自由主義の補填の意味が強いという意見をよく見ます。競争社会をつくるから家族で助け合ってねという無責任な絆の強要です。
> 考えてみると、高橋留美子の作品はほぼ全部、血縁でも婚姻でもない人達が同居する(もしくは一緒に旅をする)擬似家族の物語ですね。サッチャーの硬さの対極に高橋留美子があるのかもしれません。

みゆき×2+高橋留美子が素晴らしいと書いたのと、その日にサッチャー女史の訃報を見たのとは、もちろん偶然である。その二つをこんな風に関連づけられるとは予想すべくもなく、しかもその指摘が自分の気づかずにいたある脈絡を確かに衝いている。
勝沼さんには「塾」の集まりでさんざん助けられているが、今度はほんとに驚いた。

僕にとって家族は何より大事なものだけれど、それは無条件の血縁の強調とは何かが違う・・・つもりだ。息子達に寄せる基本的な思いは、たとえ君たちが隣の家の息子であっても、僕は君たちに惚れ込んだだろうということに尽きる。そして、血縁(や婚姻)に吸収されず、これを超えて成長しようとする家族の姿をアメリカ滞在中に見聞きして、同窓会誌に一文を寄せたことがあった・・・

拙文の宣伝をするよりも、カート・ヴォネガットを紹介しておいたほうが良いだろう。ハヤカワSFから翻訳がたくさん出ているが、個人的なイチオシは『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』、それに『スローターハウス5』だ。ドイツ系アメリカ人家庭に生まれ育ち、従軍して大戦末期のいわゆる「バルジの戦い」でドイツ軍の捕虜になり、ドレスデンの収容所で友軍によるすさまじい空爆を経験する。それが作品の原点を為している。1922年11月11日~2007年4月11日・・・・・何と今日が命日だよ!どうなってるんだ、人生は?

アメリカの超保守的なバイブルベルト地帯では、彼の作品は「反聖書的」として焼き捨てられたことがある。20世紀のアメリカで焚書にあったのだ!彼のどこが反聖書的だって?聖書とキリストに反しているのは、硬直化したアメリカ(と日本)の既成教会のほうだ。ブッシュ親子がキリスト教徒だというなら、僕はきっとボコノン教徒だろうよ。

ともかくカート・ヴォネガットは素晴らしい作家で、かつ私生活では離婚・再婚を繰り返しながら、その都度の奥さん(!)とともに、彼の財布が許す限り養子をとって育て続けた。その点で彼の作品と彼の人生はみごとに一致していたと言える。

法学部卒のくせにひどい社会オンチなので、新自由主義が何であるかもちゃんと分かっていないのだが、決して納得できない何かがそこにあるように感じている、そのことを掘り下げる糸口を勝沼さんが教えてくれた。

ありがとう、恐れ入りました。