勝沼さんに敬意を表して、もうひとつ。
> 最近サッチャーや安倍総理が家族の絆を訴えるのは美徳の観念より自分達の進める新自由主義の補填の意味が強いという意見をよく見ます。競争社会をつくるから家族で助け合ってねという無責任な絆の強要です。
「競争社会をつくるから家族で助け合ってね」
この言葉から「塾」に集う賢明なるメンタルヘルス関係者御一同は、ある歴史上のできごとを直ちに思い出してくれるだろう(か)。
精神病者監護法のことである。
1900年(明治33年)制定のこの法律は、その第一条で「精神病者ハ其ノ後見人配偶者四親等内ノ親族又ハ戸主ニ於テ之ヲ監護スルノ義務ヲ負フ」と規定した。「看護」ではなく「監護」であることに注意したい。
精神病者がむやみに出歩いて世の中に迷惑をかけないよう、家族が責任をもってこれを「監護」せよということで、精神病者「を」守る謂ではなく、精神病者「から」世の中を守るための法律であった。この義務を遂行するために必要となれば、私宅監置すなわち座敷牢の設置が認められたから、今日に悪名を遺すのも無理はない。これに対して呉秀三が周到な実態調査に基づいて痛憤を著わしたのは有名な話、石丸先生の「精神医学」のヤマのひとつでもありましたね。
ただし、これを現代的な感覚から単純に「非人道的」と切るのではなく、それが登場した時代背景に注目せよというのが、授業でもミソだった。
1900年といえば日清戦争後・日露戦争前である。当時のわが国は、日清戦争の勝利を受けて治外法権は撤廃されたが列強に対する関税自主権は認められず、依然として半植民地状態にあった。そこからの脱出を国家的急務として、明治政府のとった方針が富国強兵である。貧乏国の日本がとてつもない無理をして一流の軍隊を持とうとするとき、しわ寄せはいやおうなく医療・福祉の領域にかぶさってくる。『坂の上の雲』はその陽の面を描いたが、これを支えた陰の部分が精神病者監護法であるといってもよい。
ヨーロッパには中世以来、修道院付属などの形で徐々に発展してきた大病院があり、伝染病対策などとあわせて精神障害者の収容に当てられた。当初はまさに「収容」の場でしかなかったものが、長い時間をかけて人道的な処遇に移行するようになる。フランス革命はこうした流れを理念的に加速した。黒船来航の時代、欧米はこうした数世紀の歩みを踏まえ、有形無形の社会資源を蓄積していたわけだ。精神障害者はこうした施設に収容されるのが、少なくとも都市部においては標準となっていた。
ひるがえって日本には何もない。病院を建てる金があれば、まず大砲を、軍艦をというのが国是で、それならば福祉は家庭に委ねる他はない。欧米への対面を繕う意味でも何らかの立法は必要である。(このあたりで「相馬事件」のスキャンダルも関わってくる。)それやこれやで後進日本のとった苦肉の策が、精神病者監護法であったともいえる。
単に現代の目で当時を切るのが無意味というのはこのあたりのことで、福祉にもバランス良く資源を配分しようとすれば軍事突出はありえないし、そうなると少なくとも富国強兵路線で戦争を勝ち抜き、迅速に植民地状態を脱するという選択肢は成立しなかっただろう。しかし、「別の選択肢」を構想するのは決して簡単なことではないのだ。
ここから先は一筋縄ではいかない話だから、この辺でいったん打ち切りにする。
書いておきたいのは、この期に及んで「競争社会をつくるから家族で助け合ってね」というのが、「富国強兵で行くから家族で助け合ってね」のリメイク版として出てくるとしたら、今度は後世に対して弁明などできないということだ。
だいいち、超高齢化+少子化時代の核家族にそんな力などありはしない。精神病者監護法は戦前の旧民法を前提としたもので、旧民法下では戸主が大家族の全ての財産と負債を管理し、構成員の運命に対して絶大な権限をもっていた(戸主が認めなければ結婚もできない)から成立した話である。今日では幸か不幸か、競争社会のしわ寄せを吸収する力をもった家族など、システムとして既に崩壊している。そのような意味で、日本人はこれからやっと近代的な意味での福祉について学び始めるのだと思う。新自由主義であれ何主義であれ、社会の果たすべき役割を家庭に押しつけるやり方では、もう何も立ち行かない。
付記:
田舎からの荷物が届き、中に例によって父が偕行(かいこう)の切り抜きを入れてくれている。その中に父の付けた赤マークがあり、見れば昭和11年当時、戦車砲の火力向上について熱心に意見具申を行った某将校が、上官に疎まれて陸軍医学学校付属の精神病棟に隔離・監禁された逸話が記されていた。
(ここでも時代背景を考えよ。昭和11年とは二・二六事件の年である。それが何を意味するか。)
さて、これは笑い話だと思いますか?
> 最近サッチャーや安倍総理が家族の絆を訴えるのは美徳の観念より自分達の進める新自由主義の補填の意味が強いという意見をよく見ます。競争社会をつくるから家族で助け合ってねという無責任な絆の強要です。
「競争社会をつくるから家族で助け合ってね」
この言葉から「塾」に集う賢明なるメンタルヘルス関係者御一同は、ある歴史上のできごとを直ちに思い出してくれるだろう(か)。
精神病者監護法のことである。
1900年(明治33年)制定のこの法律は、その第一条で「精神病者ハ其ノ後見人配偶者四親等内ノ親族又ハ戸主ニ於テ之ヲ監護スルノ義務ヲ負フ」と規定した。「看護」ではなく「監護」であることに注意したい。
精神病者がむやみに出歩いて世の中に迷惑をかけないよう、家族が責任をもってこれを「監護」せよということで、精神病者「を」守る謂ではなく、精神病者「から」世の中を守るための法律であった。この義務を遂行するために必要となれば、私宅監置すなわち座敷牢の設置が認められたから、今日に悪名を遺すのも無理はない。これに対して呉秀三が周到な実態調査に基づいて痛憤を著わしたのは有名な話、石丸先生の「精神医学」のヤマのひとつでもありましたね。
ただし、これを現代的な感覚から単純に「非人道的」と切るのではなく、それが登場した時代背景に注目せよというのが、授業でもミソだった。
1900年といえば日清戦争後・日露戦争前である。当時のわが国は、日清戦争の勝利を受けて治外法権は撤廃されたが列強に対する関税自主権は認められず、依然として半植民地状態にあった。そこからの脱出を国家的急務として、明治政府のとった方針が富国強兵である。貧乏国の日本がとてつもない無理をして一流の軍隊を持とうとするとき、しわ寄せはいやおうなく医療・福祉の領域にかぶさってくる。『坂の上の雲』はその陽の面を描いたが、これを支えた陰の部分が精神病者監護法であるといってもよい。
ヨーロッパには中世以来、修道院付属などの形で徐々に発展してきた大病院があり、伝染病対策などとあわせて精神障害者の収容に当てられた。当初はまさに「収容」の場でしかなかったものが、長い時間をかけて人道的な処遇に移行するようになる。フランス革命はこうした流れを理念的に加速した。黒船来航の時代、欧米はこうした数世紀の歩みを踏まえ、有形無形の社会資源を蓄積していたわけだ。精神障害者はこうした施設に収容されるのが、少なくとも都市部においては標準となっていた。
ひるがえって日本には何もない。病院を建てる金があれば、まず大砲を、軍艦をというのが国是で、それならば福祉は家庭に委ねる他はない。欧米への対面を繕う意味でも何らかの立法は必要である。(このあたりで「相馬事件」のスキャンダルも関わってくる。)それやこれやで後進日本のとった苦肉の策が、精神病者監護法であったともいえる。
単に現代の目で当時を切るのが無意味というのはこのあたりのことで、福祉にもバランス良く資源を配分しようとすれば軍事突出はありえないし、そうなると少なくとも富国強兵路線で戦争を勝ち抜き、迅速に植民地状態を脱するという選択肢は成立しなかっただろう。しかし、「別の選択肢」を構想するのは決して簡単なことではないのだ。
ここから先は一筋縄ではいかない話だから、この辺でいったん打ち切りにする。
書いておきたいのは、この期に及んで「競争社会をつくるから家族で助け合ってね」というのが、「富国強兵で行くから家族で助け合ってね」のリメイク版として出てくるとしたら、今度は後世に対して弁明などできないということだ。
だいいち、超高齢化+少子化時代の核家族にそんな力などありはしない。精神病者監護法は戦前の旧民法を前提としたもので、旧民法下では戸主が大家族の全ての財産と負債を管理し、構成員の運命に対して絶大な権限をもっていた(戸主が認めなければ結婚もできない)から成立した話である。今日では幸か不幸か、競争社会のしわ寄せを吸収する力をもった家族など、システムとして既に崩壊している。そのような意味で、日本人はこれからやっと近代的な意味での福祉について学び始めるのだと思う。新自由主義であれ何主義であれ、社会の果たすべき役割を家庭に押しつけるやり方では、もう何も立ち行かない。
付記:
田舎からの荷物が届き、中に例によって父が偕行(かいこう)の切り抜きを入れてくれている。その中に父の付けた赤マークがあり、見れば昭和11年当時、戦車砲の火力向上について熱心に意見具申を行った某将校が、上官に疎まれて陸軍医学学校付属の精神病棟に隔離・監禁された逸話が記されていた。
(ここでも時代背景を考えよ。昭和11年とは二・二六事件の年である。それが何を意味するか。)
さて、これは笑い話だと思いますか?