先週の振り返り日記
2013年12月1日(日)
今日からアドベント(待降節)、知り合いが送ってくれたアドベントカレンダーのURLを付けておく。オリジナルは日本基督教団・越谷教会だ。
http://koshigaya.m24.coreserver.jp/adv13/top/advtop.htm
この日に他の話をするわけにもいかないので、保護者科はその話。アメリカ時代のアドベント/クリスマス風景から、四福音書の降誕物語の温度差(マルコとヨハネには降誕物語がない。代わりに何があるか?)、冬至の祭り・新年の祝いとクリスマスの関係など。
話がちょうど終わったところで校長のマスダ先生がやってきて、クリスマスの讃美歌を一曲教えてくれる。僕も初めての曲、さほど印象的でもなく歌ってすぐ忘れてしまったのに、不思議なことが起きた。
4日(水)朝目覚めてみると、頭の中でこのメロディーがエンドレスに回っていたのだ。記憶のカラクリ、睡眠との関係は実に不思議である。次の日曜日には、山形のヒライズミさんが卒業研究でこの件を発表する。
合間に幼稚園のW先生と雑談。いつも小さなお子さんを二人連れ、皆はその風景を楽しんでいるんだが、母親としては子供の騒がしいのが気になるものだ。
「反抗期ですよ、もう」
「正常ってことですよね」
「あら、でも石丸家の息子さんは・・・」
自分らは反抗期といって、特になかった、と次男が語ったらしいのである。
ふぅん・・・
彼が本当にそういう言葉で言ったかどうか分からないし、仮にその通りだとして、本気で言ったことか外交辞令の韜晦かも分からない。ただ、これについては日頃から思っていることがある。子供が大人になるにあたって不可欠なステップとしての「反抗期」が、目に見える形での「反抗的な行動」と、しばしば混同されていないかということだ。特にいわゆる思春期における第二の反抗期をめぐって、これを区別しておくことはかなり重要と思われる。にも関わらず、実際にはかなり基本的なレベルで両者が混同されることが多い。
学童期の子供は、驚くほど素直に大人の与えるものをそのまま受け取り、呑み込んでいく。そうして蓄積されたもの、さらに加えて伝達されようとする高次のもの、それらの総体に対する根本的な疑い、それらを自分自身のものとして引き受けることに対する深刻な懐疑、それが心の中で大きな場所を占め、それに対する回答を通してアイデンティティを形成していく時期のことを「反抗期」と呼ぶのだ。当然ながら反抗期の課題の根本的な部分は、きわめて内面的であり内省的な領域に属する。そうした作業が明示的な行動としての「反抗」を伴うことも少なくないが、その種の行動は副次的な産物であって必須の課程ではない。もともと穏やかで争いを嫌う性格の場合など、内面に激しい葛藤を抱えながら外面的には「良い子」であり続ける場合もあり、そうした子供でこそ悩みは深いものになるだろう。
逆に、行動面での「反抗」は派手で盛大だが、それにふさわしい内面的な葛藤を欠いている場合も当然ありうる。いちばんわかり易い例は、粗暴で反社会的な父親の行動をその息子が単純に模倣しているケースである。周囲はその「反抗」にさぞ手を焼くだろうが、内面には懐疑もなければ葛藤もない。学童期同様、崇拝する父親に自分を同一化しているだけである。
だから、思春期の少年少女が目立った逸脱行動を示さないこと自体は問題ではないが、本来の意味における「反抗期」を欠いているならばかなり深刻な問題である。極端な言い方をするなら、反抗期を経由せずに人は健康な成人となることができない。そういうことだ。
「早期完了型」(Marcia)等々の亜型についてはさしあたり横に置いた粗雑な議論ではあるけれど、「行動としての反抗や逸脱と、心理的課題達成過程としての反抗期を、概念として峻別されたい」というキモに関する限り、明快で単純な話である。
この話にはオマケがあって、「石丸家の場合は、確かに反抗しづらいかもしれないですよね」とW先生の御託宣が付いたのだ。「お父さんがこれだけ隙がないと」ということらしい。
事実認定の部分はさしあたり問わないとして、「父親に隙がないと子どもが反抗できない」という理屈はないだろうが、立ち話でほぐせる縺れでもないので何も言わずにおいた。これなど見ても、反抗期問題の厄介さがわかるだろう。あるいは「反抗期」という名称がマズいのかもしれない。
2013年12月2日(月)
大学の研究室まで業者に来てもらい、PCの入れ替え。例の「X-p サポート終了」に伴うもので、好調に作動しているX-pマシンをお払い箱にせねばならない。悔しいので旧マシンは家に送り、インターネット接続を制限した条件下で使えるだけ使ってやる。
帰宅途中の大井町駅、ちょっと不思議なことがあった。
回数券を買うため東急線の券売機に向かうと、小さな男の子が機械の前でうろうろしている。路線図を見上げ、券売機のボードを眺め、左右を見回して途方に暮れる風である。こういう子に声をかけても今時は「声かけ事案」かなと内心でギャグを飛ばしながら話しかけてみた。
「えっと、あの、分からないんです。」
はっきり通る声で、わからないことを言う。今時めずらしいようなイガグリ頭に、分厚いメガネ。視線を同レベルにおくためにしゃがみこんで相手の小ささを感じたが、言葉遣いは妙にきちんとして声もハキハキしているのだ。
「どうしたいの?」
「武蔵小山に行きたいんです。」
「田園調布で乗り換えて、ってこと?」
「はい。」
頭上の路線図に武蔵小山を見つけ、「ここ」と背伸びして指さした。
「武蔵小山はここ、上が大人料金で190円、下が子ども100円、わかる?」
首を傾げて不得要領、あるいは漢字が読めないのかも知れない。券売機の前に並んで立ち、説明しながらボタンを押していく。まず「子ども」のマーク、ついで「100円」のボタン、「現金を入れてください」と機械が言うのに答え、男の子は手にしたガマグチを開け、千円札を取り出した。切符が1枚、釣り銭がジャラジャラと出てくる。
「ちゃんと全部取りなよ。」
「はい。」
と返事は良いが、ガマグチを閉める前に駆け出そうとして、百円玉や一円玉が床に散った。一緒に集め終わると、
「ありがとうございました。」
を忘れずに言って、改札口へ駆け出した。
男の子の消えた券売機に向かって回数券を買いながら、妙な感じにとらわれている。思わず額を叩いた。田園調布で乗り換えだって?そりゃ、東横線から目黒線に乗り換える話じゃないか。ここは大井町だもの、武蔵小山に行きたいなら大岡山で目黒線に乗り換えるのでなけりゃ。僕の言い間違いをあの子が聞き流したのなら良いが、真に受けて混乱したら厄介なことになる。
回数券を握って改札へ急げば、ちょうど電車が出るところ。たぶん男の子はこれに乗ったのだろう。もう仕方がない。あれだけはっきり「武蔵小山へ」と言った子だ。駅員に訊きながら無事に到達できるだろう。
「それにしても・・・」
後から不思議の念が湧いてきた。あの子はどこのどんな子で、一人で武蔵小山へ何をしに行くんだろう?
大きなガマグチは子どもの持つものではなく、どちらかといえば女物の柄、普通に考えれば母親が持たせたものに違いない。武蔵小山という行き先をはっきり認識しているのは、たとえば祖父母が住んでいてときどき連れて行ってもらうからか。
ハキハキした物言いのためについ錯覚したのだ、あの小ささと読字能力からすれば、幼稚園児ではないとしてもたかだか小学一年生かそこらだろう。それなら切符を買うのを手伝うよりも、駅員に託すほうが正解だった。
「それにつけても・・・」
小さな子どもが、初めてと思われる切符の購入を敢えてして、一人っきりで電車に乗って大井町から武蔵小山まで行かねばならない事情とは何か。「エンソ君」のように確かな迎え手が、向こうで待っているのだろうか。そもそもあの子は、何であんなに大人びた話し方をする?日頃の家庭で、彼はどんな役割を負っている?
痛々しい想像があふれ出てきそうで、自分の配慮の不足が忌々しい。いつだってこうだ、相手の調子に合わせてしまうのだ。武蔵小山まで一緒に行ってやれば良かった・・・
***
そう思いつかなかった最大の理由は、急いで行かねばならない場所があったからだ。もう150回近くも面接を重ねたクライエントがあり、僕は確かにそこに出向く義務があった。
内省ということがほとんどできず、不安を言葉で表す代わりにパニック発作を起こしていた女性が、自分の思いと感情についてじっくり振り返るようになった。けたたましくも無意味なおしゃべりで埋められていた50分が次第に静かなものになり、そこに心の行間が姿を覗かせるようになった。小説や芸術に興味を示すようになったことは、今年の彼女の大きな変化である。こうした一連の変化を「成長」と呼ぶことは、たぶん間違っていない。
ある絵画展に行ってきたのだそうだ。点描と象徴がテーマになっていたようである。モネやゴッホ、ピカソなどがある中で、彼女が強く印象づけられたのはモンドリアン。以前ならば、「子どもの遊びじゃあるまいし、ふざけてる」としか思わなかったものに、なぜか強く打たれたという。
「人生みたい、と思いました。」
少し考えて
「うん、人生みたい。あと、私こんな風になりたいんです。」
これが、それである。