2013年12月15日(日)続き
T先生、S先生のおかげで面接授業は大過なく終了。オムニバス形式は、やる方も負担が軽いし受講者にも喜ばれる。アンケートでも否定的なコメントはほぼ皆無で、安堵した。
夜、『八重の桜』最終回を見る。ラスト近くで頼母相手に「また戦争が・・・」と八重のつぶやく場面、「剣を打ち直して鋤とし、国は国に向かって剣を上げず」はイザヤ書の引用だ。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
(イザヤ書 2章4節)
聖句や讃美歌を大河ドラマに聞くことができるとは予想の他で、今年後半はちょっと楽しかった。前半を見なかったのは、悲運というにはあまりに苛烈な会津の運命を直視するに忍びなかったからで、こういうところが自分でも情けないほど臆病なのである。
しかし、会津の体験がなければ「新島八重」もなかっただろう。初めから鋤や鎌として作られたものよりも、剣や槍から打ち直されたものはひときわ強靱で有用であるように想像される。鉄砲から打ち直された頑丈な十字架こそ、八重という烈女だった。
それにしても、あんな風に聖句を血肉とし、時に応じて自在に引用できたらどれほど力になるだろうか。そこに至るまで、身に刻み込むようにして読んだに違いない。
T先生、S先生のおかげで面接授業は大過なく終了。オムニバス形式は、やる方も負担が軽いし受講者にも喜ばれる。アンケートでも否定的なコメントはほぼ皆無で、安堵した。
夜、『八重の桜』最終回を見る。ラスト近くで頼母相手に「また戦争が・・・」と八重のつぶやく場面、「剣を打ち直して鋤とし、国は国に向かって剣を上げず」はイザヤ書の引用だ。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
(イザヤ書 2章4節)
聖句や讃美歌を大河ドラマに聞くことができるとは予想の他で、今年後半はちょっと楽しかった。前半を見なかったのは、悲運というにはあまりに苛烈な会津の運命を直視するに忍びなかったからで、こういうところが自分でも情けないほど臆病なのである。
しかし、会津の体験がなければ「新島八重」もなかっただろう。初めから鋤や鎌として作られたものよりも、剣や槍から打ち直されたものはひときわ強靱で有用であるように想像される。鉄砲から打ち直された頑丈な十字架こそ、八重という烈女だった。
それにしても、あんな風に聖句を血肉とし、時に応じて自在に引用できたらどれほど力になるだろうか。そこに至るまで、身に刻み込むようにして読んだに違いない。