散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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新島八重のイザヤ書引用

2013-12-15 22:45:35 | 日記
2013年12月15日(日)続き

 T先生、S先生のおかげで面接授業は大過なく終了。オムニバス形式は、やる方も負担が軽いし受講者にも喜ばれる。アンケートでも否定的なコメントはほぼ皆無で、安堵した。

 夜、『八重の桜』最終回を見る。ラスト近くで頼母相手に「また戦争が・・・」と八重のつぶやく場面、「剣を打ち直して鋤とし、国は国に向かって剣を上げず」はイザヤ書の引用だ。

 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
 彼らは剣を打ち直して鋤とし
 槍を打ち直して鎌とする。
 国は国に向かって剣を上げず
 もはや戦うことを学ばない。
 (イザヤ書 2章4節)

 聖句や讃美歌を大河ドラマに聞くことができるとは予想の他で、今年後半はちょっと楽しかった。前半を見なかったのは、悲運というにはあまりに苛烈な会津の運命を直視するに忍びなかったからで、こういうところが自分でも情けないほど臆病なのである。
 しかし、会津の体験がなければ「新島八重」もなかっただろう。初めから鋤や鎌として作られたものよりも、剣や槍から打ち直されたものはひときわ強靱で有用であるように想像される。鉄砲から打ち直された頑丈な十字架こそ、八重という烈女だった。

 それにしても、あんな風に聖句を血肉とし、時に応じて自在に引用できたらどれほど力になるだろうか。そこに至るまで、身に刻み込むようにして読んだに違いない。

スコット隊とマンデラ氏(補遺)/夫婦三景

2013-12-15 09:32:28 | 日記
2013年12月15日(日)

勝沼さんより:
 スコット隊がペンギンの卵の収集など学術調査をしながら南極点到達を目指していたことも彼らの名誉の為に覚えておきたいことです。
 ネルソン・マンデラさんはその偉大な功績もさることながら、ロベン島に20年もいたのに95歳まで長生きできたのかということも人間の可能性を感じさせる点だと思います。
 「史上最悪の旅」のアプスレイチェリー・ガラードは「探険とは知的情熱の肉体的表現である」と書いていました。情熱が時に人を未知の領域へと向かわせ、時に人の寿命を何十年も延ばすのではないかと思います。

 スコット隊の「名誉」のこと、御指摘ありがとうございます。おっしゃる通りで、そうした事情のため彼らの行程は、南極点到達という観点から見れば「無用」に長距離のものになったと聞きました。
 情熱が人の寿命を延ばすこと、確かにそうでしょう。「夢中になって何かを追い求め、うっかり死ぬのを忘れていた」、そんなおっちょこちょいでありたいものです。ある種の学者や芸術家にそういう人がありますね。マンデラ氏はその輩(ともがら)であったのでしょう。
 トルストイ『光あるうちに光の中を歩め』の主人公は、人生の終幕に至ってようやく安心して同胞愛の生活に専心し、「肉体の死が訪れたのも覚えなかった」と結ばれています。

***

 夫婦のさまざまなありようを、患者さんたちから教わる。

 Xさん(男)は中堅企業のIT部門の責任者で、奥さんと二人の子どもと共に平和な家庭を営んでいるが、当然ながら職場にも家庭にも何かしら問題は起きてくる。受診はいつも朝一番、スーツ姿にアタッシュ・ケースで、てっきりそのまま職場へ向かうのかと思ったら違った。
 「ウィーク・デイに私服でうろうろしてるのが気が引けるもんですから。通院日は休暇を取ることにして、その日一日は休みにしています。」
 なるほどそれも一法、自分のための時間をもつのはメンタルヘルスの要点だと思いながら、実は長いことちゃんと理解していなかった。
 夕食の時間には到底間に合わないので、せめて朝食は父親(=彼自身)のかけ声で一緒にとるようにしていると聞いて、
 「でも、今夜は夕飯も御一緒ですね」
 「いや・・・」
 照れくさそうに、というよりは真面目な顔で教えてくれた。通院の日に休暇をとっていることは奥さんにも内緒、出社するように出かけ、夜も通常と同じ時間帯に退社してきたように帰宅する。この一日は奥さんも知らない、Xさんひとりだけの時間なのである。
 それをどう使うのか。
 「朝の時点ではノー・アイデア、足任せです。けっきょく大したことはしない、映画を見たり、『手もみん』でリラックスしたり、そのぐらいなんですけどね。」
 自分のための時間をもつことの効用は疑いない。しかし、それをパートナーにも秘匿するという発想が僕にはなく、ちょっと驚いたのだった。

 Yさん(女)は高齢に至って、つい先日御主人に先立たれた。御主人は昔気質の亭主関白、Yさんも負けてはいない気骨の有職女性で、互いにぶつかりあうことで存在感を確かめ合っていたようなところがある。それだけに、御主人の不在という状況に慣れるのが簡単ではない。そもそも高齢に至るとは、変化に対する適応が不得手になっていくことと同義で、僕のような中年期からその気配は既にある。まして自分の半身であったパートナーの不在に慣れるのは、しんどい作業に違いない。
 御主人は暑さのただ中で他界された。冬の寒さが訪れたこの数日、ふとYさんが「おとうさん、お墓で寒くないかしら」とつぶやいた。「納骨は、もう少し先にすればよかったかしら」とも。「おとうさんは天の国でくつろいでいるわよ」と娘さんが返す。
 Yさん御夫妻は筋金入りのクリスチャンである。そもそもYさんが先に入信し、当初は大のキリスト教嫌いだった御主人の変身の陰に、Yさんの感動的な貢献があったのだ。けれどもいま遺骨の在処に生身の夫を思い描くYさんは、それとは違う古層から語っている。
 「夫はいま、どこにいるのか」を、Yさんは繰り返し問う。そのことを通して夫とぶつかり合う作業を日々続け、そのようにして信仰と人生を仕上げていくのだろうと思う。

 Zさんの件は、詳しく書くことをはばかる。自分には徹底的に甘く、パートナーにはどこまでも多くを求め、そのことに関する自覚を全く欠いているという例のタイプである。論評が余りにも公平を欠いているので「それではちょっとお相手も気の毒でしょうか」と指摘すると、非常に驚いた様子で「そういう見方があるとは思いませんでした、勉強になりました」と答え、すぐまた話題を戻して相続問題に関するパートナーの弱腰を難詰しはじめた。

 いろいろであり、さまざまである。