散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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新しい袋と古い袋/二人の女性

2013-12-13 19:38:52 | 日記
2013年12月13日(金)

ミルクパン1個、おにぎり1個、ナポリタン1皿、鶏唐揚げ2切れ、シュウマイ2個、ジャガイモそぼろ煮3鉢、塩鮭12切れ、コンソメ1皿、サラダ5鉢、デザート(揚げ菓子クリーム添え)3個、牛乳4本、パセリ山ほど・・・

 三男の中学校、今日はバイキング形式の給食だった。三年生に限り、この季節に一回だけ提供される特別メニューとのこと。量もいつもより多めだそうで、当然ながら好き嫌いを反映して残り物が出る。殊に塩鮭は意外に人気がなく、大量に残ったそうな。

 「おい、この鮭は俺たちの為に死んだんだぞ、残していいのか?」
と誰かのかけ声、それを合図に男子7名が手分け口分け、鮭のみならず全てのプレートをみごと完食した。上に書いたのは三男の分担である。
 世界の至るところに存在する飢餓を尻目にこんな企画が通るものか、公教育の姿勢を問う気持ちがあるいっぽう、育ち盛りの子ども達の旺盛な食欲が頼もしくもある。飢えている子らを、山盛りの皿の周りに招待したい。どんな勢いで食べるだろうか・・・

***

 個体は遺伝子を入れておく袋であり、擦り切れてきたら新品に交換するようにできている。

 三男らは、はち切れそうな新品の袋、こちらあちこちが擦り切れはじめ、ぼつぼつ交換の時期が近づくポンコツか。あまりに適切かつ直截で、苦笑するしかない。「新しい酒は新しい革袋に」って、このことを言ったのかな。

 診療に向かう中央線の吊り広告、某誌の見出しに韓国の朴槿恵大統領の憂い顔、「妹が詐欺で有罪判決」「弟は覚醒剤で5回逮捕」などとある。
 社会的に活躍する人物の身内、特に兄弟姉妹に逸脱者があるのは珍しくもない話で、そこにいろいろな解釈ができる。ふと浮かんだ連想に、思わず顔をしかめた。
 キャロライン・ケネディのことである。
 朴槿恵と同様、彼女も国の最高指導者であった父を銃弾に奪われた。そしてケネディ家もまた多くの逸脱者を抱えていた。

 JFKの死後、その生前から司法長官として兄の右腕であったロバート・ケネディが、あたかも公私にわたって亡兄に成り代わるような活躍を見せた。私的にはケネディ一族と未亡人ジャクリーンをよく支え、義姉との親密さはゴシップを提供するほどであった。1968年の大統領選挙で最有力候補と伝えられながら、兄同様に兇弾に斃れた。それ以前からロバートの息子達の非行や麻薬吸引がスキャンダルとなっており、次男デイヴィッドは後に麻薬の過剰摂取で死亡する。三男マイケル、そしてJFKの唯一の息子ジョン・ジョンは、いずれも後に事故死した。
 ケネディ兄弟は長男ジョセフが大戦中に事故死、次男ジョンと三男ロバートが暗殺された。残った四男エドワードはロバート暗殺翌年の1969年に飲酒運転で車を川に転落させ、同乗していた女性秘書を水死させた事件で大統領候補への道を事実上絶たれた。
 エドワードは大統領候補になれば兄達同様に殺されるのではないかと恐れていたというが、無理もなかろう。ロバートはジョンの死後、その遺志を継ぎながらも常に兄への劣等感に苛まれていた。そのジョンはジョセフの生前、この長兄への劣等感に悩み続けた。兄弟葛藤の収斂する先に、四人の息子達の父ジョセフの執念ともいえる野心がある。
 前置きが長くなった。ジョンとロバートを一組と考え、彼らの子ども達を一群として扱うなら、父を暗殺で奪われた深い悲しみとさらに深い葛藤の末に身を誤った息子達の中で、キャロラインがひとり健やかに生き延びて父の道を追う図が浮かぶ、そう言いたかったのである。

 朴槿恵とその弟妹が1979年以降どのような生涯を過ごしたか、僕は知らない。父の暗殺のときキャロラインは7歳だったが、槿恵は既に27歳だった。成長への影響を考えるにあたって無視できない年齢差で、どだい連想に無理があるのかもしれない。ただ、キャロライン・ケネディについて上に書いた最後の一文は、あるいは朴槿恵にも付合する一面があるかもしれない、何となくそう感じたのである。
 蛇足ながら朴槿恵の極端な日本嫌いの由来を考えるとき、日本の陸軍士官学校で教育を受けたことを肯定的に語り、韓国の歴代要人の中で珍しく親日派と評された(その点で今も韓国人の受けの悪い)父・朴正煕の存在は、たぶん無視できないもののはずだ。