散日拾遺

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卒論発表会の一日

2013-12-11 23:58:57 | 日記
2013年12月8日(日)・・・続きの振り返り

 卒論発表会、健康領域は例年にない盛会だった。計12名、北海道・山形・大阪・愛知・広島・愛媛など地方在住者から多数の出席があり、これら地方組の健闘が目立った。放射線による皮膚障害の看護に関する院内意識調査(愛知)は完成度が高く、頭頸部腫瘍手術後の患者および家族に対するインタビュー調査(愛媛)は重いテーマに敢えて挑戦した力作だった。
 後者の発表を聞いていて、医学部の臨床実習で上顎癌手術後の患者さんと出会ったときの驚愕と恐怖を、まざまざと思い出した。同じ思いを発表者は看護師として最初の勤務先で体験したのである。それを研究という形にまとめた根性に脱帽し、良き指導者との出会いを喜ぶ。師弟とも僕の同郷で、あの地域に特有の姓を名乗っているのが、殊の外なつかしい。
 僕のゼミ生たちもようやく肩の荷が降りた様子で、記念撮影などして和やかに別れていった。

 夜は恒例によってコースの忘年会。OBの先生方のうち、今年は5人の御参加あり。そのスピーチがいずれ劣らず内容豊かで、こうと分かっていれば録音しておくのだった。
 その概略。

① A先生(公衆衛生)
 A先生は徳田虎雄氏を、大学以来の「無二の親友」と言い切る。幼年期に三歳の弟を「たらい回し」のために亡くした氏は、「24時間365日」と「(医者が患者から)ミカン一個もらってもクビ」という単純で厳しい規律を掲げて病院経営に邁進した。その成功の秘訣は「スケール・メリット(規模の利益)」にあり、初めから一病院ならぬ病院「群」を目指したところに勝因があったという。しかし氏にはそこから先のビジョンがなく、「医療を根本的に変えるためには政治を変えねばならない」と考えたときに限界が露呈した。金で集票するほか、その理想を実現する手立てがなかったというのである。
 そこまで喝破しながら、A先生はなお徳田氏を「無二の親友」と呼んではばからない。今もときどき訪れて、目で会話するのだと。

② B先生(栄養学)
 いつも穏やかな笑顔を絶やさず、小柄だが移動を全く苦にせず全国を飛び回っておられるB先生の姿を見ると、いつも脳裏に浮かぶ想像があった。ランニングシャツに半ズボンのB少年が、麦わら帽子に捕虫網と虫かごを手にして夏の山野を駆け回る姿である。装いを背広に替えただけで、心も身体も魂も少年のままのB先生だ。
 定年退官後、有職の母である娘さんの手伝いに、週二日はお孫さんの食事の世話に出かけるのだそうだ。栄養は申し分あるまい。さらに週一日は放送大学の一角でK先生と共に栄養学の実験をなさっている由。東大系のB先生と京大系のK先生では、基本的な実験手技にもちょっとした違いがある、それをお二人仲良く見たり見られたり、若い研究者のやりたがらない手間暇かかる地味な実験に専念しておられるとのこと。実験もこの境に入ると清談の趣がある。

③ C先生(?)
 ほとんど入れ違いに放送大学を去って行かれたC先生の御専門を、僕は事実上まったく知らない。御本人も学問はさっぱり卒業し、仕事と言っては釣りぐらいという涼しげな毎日を送っておられる。そこにひとつの逸話あり。
 近隣の精神障害者作業所か何かで、あるときスズムシを買ってこられた。毎日餌をやってかわいがり、奏でる音を楽しんだが、やがて冬が来てみな姿を消した。死に絶えたと言うなかれ、植物が球根や冬芽で越冬するごとく、スズムシは卵で冬を越す。次の春、前年に倍するスズムシが元気に現れた。C先生はいそいそと世話をなさる。やがて冬が来て、また春が来て、また冬が・・・今やスズムシは数百匹の大集団に成長したという。
 スズムシも数匹ならば美しい合唱であろうが、数百匹となると想像に余りある。「御近所がよく辛抱してくださって」と苦笑なさるのだ。河原などに放そうかと思ったが、最初は野菜を虫かごに入れるにも飛び退いていた虫どもが、今は少しも怖がらない。可愛くもあり、またこんな育ちでは野生のエルザではないが、とても野外に適応できまいと思うと、今さら捨てるに忍びない。
 「先生、ひょっとして一匹一匹に名前を付けていらっしゃるのでは?」
 「まさか、ハハハ・・・」
 僕の隣席のB先生が、
 「石丸先生、良いところに気づかれた、C先生なら名前も付けかねません。」
 と真顔でおっしゃる。
 来年の忘年会が楽しみなような怖いような、
 
④ D先生(建築)
 大柄でゆったりした身のこなしが中国の仙人を思わせるD先生は、定年少し前から健康問題を抱えていらっしゃる。たまたま僕が知人の専門医を紹介する機会があり、お目にかかると忘れずに御礼を言ってくださる。病気は進行性のもので、せっかく悠々自適の季節を迎えてさぞ煩わしいことだろう。
 それにもめげず、日本の伝統建築のすばらしさを熱っぽく語ってくださった。畳というものを、僕らは居住性や裸足生活といった観点からばかり考えるが、その高度の規格性にD先生は注目なさる。嘗て大阪にあった「裸貸し」 ~ 家主は家本体と外の建具だけをそろえ、障子、ふすま、畳などは借家人が調達し、引越しの際には持って移る ~ これは畳の規格性を最高度に活用したシステムだが、そこまで行かずとも建具や調度の全ては畳を基準として設計でき、住む者も畳を単位として生活空間を制御できた。
 こんなシステムは世界に類がない。和食が文化遺産登録されるなら、日本の建築も誰かが申請努力をしているだろうと思ったら、誰も手をつけていないらしい。そこで仲間とはかり、著名な先生を担ぎ出して運動を起こす計画だという。それにつけても案じられるのが健康のことだ。
 「よく診ていただいているのですが、なかなか死ぬことのできない病気のようで厄介です。寝たきりになるが、死ねないのだそうですね。」
 一瞬絶句。
 「この領域の治療技術進歩は非常な速さですから、粘っているうちにきっと朗報が入るでしょう。」
 そう答えて触れた先生の手の甲がむくんでいる。

⑤ E先生(生活)
 紅一点、つまりOGだ。僕が着任するずっと前に退官なさった御年配だが、凜とした気迫が真っ直ぐな背に宿っている。退官後しばらくは、家族七人の賄い方を勤めて「家事とは何と楽しいものだろう」と思っていたが、数年経つうちに少し飽きてきて、その後はあれこれ勉強なさっているそうだ。
 「何十年も教えてきたことが、気がつくと思い出せなくなっているのよ。続けなければダメよ!」
 と先輩の喝。創立30周年を盛大に祝った放送大学が、学習センターの移転(世田谷→渋谷)で廃止に追い込まれた学生のサークル活動を顧みないことに憤り、今でもそうした活動の世話役をしていらっしゃることを語られた。

 皆、おみごとである。これに呼応する何を自分が為し得ているか、恥じつつもほろ酔い心地よく家路をたどり、最寄り駅直前で不快な風景を見た。
 日曜日の午後10時前、私鉄の車内は若者や壮年者でほぼ満席。申し合わせたようにスマホを撫で、塾帰りらしい男の子二人はゲーム機を覗き込んで盛り上がっている。
 ドアが開いて小さなお年寄りが乗ってきた。よちよちと、小さく歩を運ぶ女性である。
 誰も、ひとりも席を譲ろうとしない。スマホから目を離さず忙しいふりをしている。あるいは、自分は忙しいのだと思い込もうとしている。
 賭けてもいいが、その誰一人として心底からの薄情者ではないはずだ。ただ、少しだけ疲れていて、少しだけ面倒で、そしてこの一時を邪魔されたくないのである。スマホに見入って、気持ちは既に自宅のリビングに飛んでいる。スマホを手にしていなければ、居並ぶ若者の一人や二人はきっと席を譲ったはずだ。スマホが悪いんだよ。

 本末転倒だって?
 じゃあ訊くが、「銃が悪いのではない、使い方が悪いのだ」というアメリカの銃規制反対論者の説をどう考える?同じだよ、それもこれも、出生前診断も。
 利便性と快適さが僕らをゆっくりと破滅に追い込んでいる。
 人が望むものをふんだんに与えることによって人を滅ぼす女神 ~ 確かギリシア神話にあったな。今は彼女の黄金時代だ。