2014年5月5日(月)
「しかし・・・しかし君、恋は罪悪ですよ、解っていますか」
(『心』100年記念再連載、『先生の遺書』第12回。)
「先生」の有名な言葉。
有名というのは違うか。この作品の多くの場面の、さまざまな会話の断片が印象に残っている、その中のひとつである。一般に有名であるかどうかは知らないし、どうでも良い。
小説は若いうちに多く読んでおくのが良いし、その中のあれこれを後から読み直すのは、たぶん後年の大きな楽しみになる。初めに読んだ時はそんなものかと予告的に受けとめ、後から読む時には体験的に共感し反発する、そんな長いつきあいのできるのが、読むことの功徳である。
***
再連載の初めの頃に、「ゆくりなく」という言葉が使われており、ひどく懐かしい気がした。「思いがけず」「突然に」という意味であるが、由来は何なのだろう。
副詞「ゆくりなく」は形容詞「ゆくりなし」の連用形から出ており、この派生(というか、副詞として固定したこと)はわりあい最近起きたらしい。
「音信も聞かざりける女に、ゆくりなく三崎の町中に行き遇ふて」(眉山)
いっぽう、「ゆくりなし」に対応する同義の形容動詞として「ゆくりか」があり、この両者の起源は相当古い。
「さても誰がいひし事を、かくゆくりなくうち出で給ふぞ」(源氏・行幸)
「ゆくりかに見せ奉りて、おぼしかずまへざらむ時、いかなる嘆きをかせむ」(源氏・明)
「ゆっくり」という現代語と音は似ているのに、意味はむしろ逆なのだ。「ゆっくり」に近いのは「ゆくらか」の方で、これは「ゆったりしたさま」を表すから本当に「ゆっくり」の先祖かも知れない。こちらはもっと古い。
「漁(いざ)りするあまの楫の音(かぢのと)ゆくらかに 妹(いも)は心に乗りにけるかも」(万葉・3174)
万葉らしい、ほっとするような歌だ。
すぐちかくに「ゆくらゆくら」という形容動詞が載っている。「動揺して不安定なさま」を表すと言うから、「ゆらゆら」というような言葉の御先祖さまだろうか。
「大船のゆくらゆくらに思ひつつ我が寝る夜らは」(万葉・3329)
たまたまそういう引用なのかもしれないが、先の歌と「船/漁」といった類縁イメージがあり、海そのものの「のたりのたり」する様が思い描かれる。
え~っと、まとめるとどうなる?
◯ 「ゆくらか」「ゆくらゆくら」という、ゆったり系の言葉。
◯ 「ゆくりか」「ゆくりなし」「ゆくりなく」という、突発系の言葉。
二系統がある。
互いに音は近いのに、意味は対照的である。どちらも起源は古く、僕らの感情言語の中にしっくりとなじんだもののように思われる。
「しかし・・・しかし君、恋は罪悪ですよ、解っていますか」
(『心』100年記念再連載、『先生の遺書』第12回。)
「先生」の有名な言葉。
有名というのは違うか。この作品の多くの場面の、さまざまな会話の断片が印象に残っている、その中のひとつである。一般に有名であるかどうかは知らないし、どうでも良い。
小説は若いうちに多く読んでおくのが良いし、その中のあれこれを後から読み直すのは、たぶん後年の大きな楽しみになる。初めに読んだ時はそんなものかと予告的に受けとめ、後から読む時には体験的に共感し反発する、そんな長いつきあいのできるのが、読むことの功徳である。
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再連載の初めの頃に、「ゆくりなく」という言葉が使われており、ひどく懐かしい気がした。「思いがけず」「突然に」という意味であるが、由来は何なのだろう。
副詞「ゆくりなく」は形容詞「ゆくりなし」の連用形から出ており、この派生(というか、副詞として固定したこと)はわりあい最近起きたらしい。
「音信も聞かざりける女に、ゆくりなく三崎の町中に行き遇ふて」(眉山)
いっぽう、「ゆくりなし」に対応する同義の形容動詞として「ゆくりか」があり、この両者の起源は相当古い。
「さても誰がいひし事を、かくゆくりなくうち出で給ふぞ」(源氏・行幸)
「ゆくりかに見せ奉りて、おぼしかずまへざらむ時、いかなる嘆きをかせむ」(源氏・明)
「ゆっくり」という現代語と音は似ているのに、意味はむしろ逆なのだ。「ゆっくり」に近いのは「ゆくらか」の方で、これは「ゆったりしたさま」を表すから本当に「ゆっくり」の先祖かも知れない。こちらはもっと古い。
「漁(いざ)りするあまの楫の音(かぢのと)ゆくらかに 妹(いも)は心に乗りにけるかも」(万葉・3174)
万葉らしい、ほっとするような歌だ。
すぐちかくに「ゆくらゆくら」という形容動詞が載っている。「動揺して不安定なさま」を表すと言うから、「ゆらゆら」というような言葉の御先祖さまだろうか。
「大船のゆくらゆくらに思ひつつ我が寝る夜らは」(万葉・3329)
たまたまそういう引用なのかもしれないが、先の歌と「船/漁」といった類縁イメージがあり、海そのものの「のたりのたり」する様が思い描かれる。
え~っと、まとめるとどうなる?
◯ 「ゆくらか」「ゆくらゆくら」という、ゆったり系の言葉。
◯ 「ゆくりか」「ゆくりなし」「ゆくりなく」という、突発系の言葉。
二系統がある。
互いに音は近いのに、意味は対照的である。どちらも起源は古く、僕らの感情言語の中にしっくりとなじんだもののように思われる。