散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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うみどり会/美術文化展

2014-05-18 23:11:08 | 日記
2014年5月18日(日)

 久しぶりに呑気でヒマな週末なのに、何もする気が起きない。
 するはずのこと、読むはずの本などは、たくさんたくさん用意してあるのに・・・
 「鬱」だろうかと疑ってみたりするけれど、いつも通り食べ物は美味しく、眠りは深く、目に映る緑は美しい。こんな鬱など、もちろんありはしない。
 詮方なく無為に過ごし、ブログも書かずに怠けていた。怠けているから体が重いのか、体が重いから怠けているのか、よく分からない。

 昨日は、そう、「うみどり会」に出かけて碁を打ってきた。土曜はたいがい仕事が入るようになり、毎月一度の例会に出るのは一年ぶりのことだ。
 うみどり会は、海上自衛隊航空部隊の現役やOBの囲碁好きが集う小さなサークルで、そこに僕が参加することに政治的な背景は何もない。2013年2月に目黒区の勤労者囲碁大会に出たとき、緒戦であたったKさんがこの会のメンバーで、対局後に何だか話が弾んで「よかったらどうぞ」ということになったのだ。それにしても、僕以外の十数名はすべて海自航空関係者なのに、誰も何も不思議がらずに混ぜてくれるのが何とも面白い。
 最初の時に、「お医者さんですか、制服の(=自衛隊ないし防衛医大関係の)先生なの?」「いえ」というやりとりがあったぐらいだ。「父は陸軍士官学校卒ですので、どちらかというと陸自に近いんですが、不思議な御縁で」などという挨拶も特に何かの反応を呼ぶでもなく、要は飯の次に囲碁の好きな人々のそれだけの集まりである。
 例会は東郷記念館の一室で行われるので、こんなことでもなければ近づかない領域に、図らずも足を踏み入れた。東郷記念館とか東郷神社とか、どこにあるか知ってますか?
 原宿、なんだよ。
 どこかのネジが集団で外れたみたいな、年中仮装行列状態の竹下通りを50mほども進んで、とある角を左に入るとそこがもう東郷神社の入り口である。この落差はとてつもなく大きく、そのシフトがあまりにも容易に一瞬で実現することに、毎回ふしぎな感じがする。両者の間に、実は通底するものがありはしないかと思ったり。
 土曜午前の東郷神社ではたいがい神前結婚式が行われており、古楽器の音色が近づいてくると、道をよけて花嫁の行列が通り過ぎるのを待つ。回遊式の日本庭園を半周すれば「水行会」の入り口である。今日は4局、わりあいよく打てて気持ちが良かったが、石の連絡/切断に関する危機管理の悪さは相変わらずだ。これって、人生の何に対応するのだろう?

 原宿は明治神宮の最寄り駅で、そもそも日本人にとっては高度にスピリチュアルな意味をもつエリアである。明治神宮という空間の驚くべき広がりと深さについて、わが相棒がひどく感じ入った様子を見せたことがある。アメリカからの客を案内するために、彼女自身が初めて立ち入ったのだ。東京という巨大都市の構造には、江戸と明治の精神生活が見える形で刻まれている。

***

 今日は今日とて、NHK杯の中継をテレビで見たあと上野へ出かけた。
 碁ではない、東京都美術館で「美術文化展」をやっている。そこに名古屋の中学校時代の同級生が出展しているのを見に行くのだ。
 名古屋市立汐路中学校1971年度3年B組は、すごいクラスだった。入試選抜があるわけでもない、地域の公立中学校のひとつのクラスに、これほど個性的で能力の高い多彩な子ども達が集中した「偶然」は、今思い返しても不思議というほかない。
 勉強だけに話を絞っても、他のクラスにいれば当然トップの生徒が、クラス別の相対評価ではどうしても「4」しか付かず、受験期に内申書を書くにあたって担任の先生が頭を抱える騒ぎだった。それだけなら今時の進学校と変わらないが、その中に混じって別の生活背景や人生観をもつ友人たちの存在が、クラス風景を生き生き輝かせていた。
 トラック野郎を大勢抱えた運送会社の跡取り息子や、老舗と言いつつ少々怪しげな旅館の息子などは、当然僕らとは違うオーラを漂わせていた。クラスから医者が二人と歯医者が二人出たが、歯医者のうちの一人は20代から歯科医院経営に辣腕を振るい、今や名古屋界隈では知らぬ人もない医療法人チェーンのオーナーである。地域の特色を反映して、町工場や中小企業主の子どもも多かった。
 そしてこのクラスからは、プロのピアニストと画家も生まれた。画家になった女の子は千葉の田舎にアトリエを構え、毎年この展覧会に作品を出してくる。彼女が送ってくる招待券を手に上野に出かけていくのが、この季節の楽しみなのである。

 Fの作品は、どこにあっても一目で分かる。僕の身長ほどのカンバス2枚に、今年も色彩が炸裂している。赤、青、白、そして背景の深い黒、奔放鮮烈で、遠慮もなければ衒(てら)いもない。
 作品の意味とか解釈とか、僕には分からないし興味もない。ただ、火と水、光と闇が、整序されないまま迸(ほとばし)り錯綜し、弾けてあふれ出しているのを見る。うっかり i-pad をロッカーに預けてしまったので写真を載せられないが、そんな必要もないのだろう。生命賛歌と評して外れてはいまい、そういう絵だ。
 今年のタイトルは『明きら目半分』で、「あきらめはんぶん」に当て字の仕方が振るっている。こんな諧謔味のあるタイトリングは初めてのような気がするが、画面は40年近くもまったく変わっていない。フーテンの寅やこち亀に匹敵する堂々たるマネリズムだが、だから何なのだ?
 年を取って皺が寄ってもFは同じFであり、僕は同じ僕である。そのことを表すかのように、タイトルを変えカンバスを変えても彼女の絵はひとつである。これでいい、最高だ。
 奥まったところにあるガラス張りの休憩室で、外の緑に照らされてうたた寝した。ケヤキ・シイ・イチョウ、顔が緑に染まりそうになる。

 夕方からCMCCの理事会、その間に次男は学園祭、三男は野球部の試合に1イニングだけ途中出場を果たしていた。レフトで守備機会はなし、打席ではフルカウントからショートゴロ、今夜も嬉しそうにスパイクを磨いている。