散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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面接授業@沖縄 ~ 移動日

2014-05-12 21:06:45 | 日記
2014年5月12日(月)

 帰京は午後の飛行機なので半日ある。どう使おうかと考えていたら、Nさんが半休とってつきあってくれることになった。まずは彼女の勤める県立S病院を訪問。250床前後、5病棟を擁する中規模の精神科病院で、昨今の建て替えラッシュに遅れて昔ながらのたたずまいを残している。医者になった頃の福島や大分の病院を思い出し、懐かしいものがあった。
 十数年前に昭島のクリニックで出会ったY先生と、思いがけない再会を果たした。あの時、沖縄以外ではめったにない苗字から直ちにある人物を連想し、不躾に尋ねてそれが正しかったことを知った。占領下の琉球行政府主席であり、復帰後初代知事を務めたY氏の御令孫だったのである。今も優しく穏やかな持ち味そのまま、患者さんたちのお世話をしていらっしゃるのが嬉しい。

 精神科病院の構造や雰囲気は、こうしてみると不思議なぐらい地域差のないものだ。ただ、藤棚のあるべきところにブーゲンビリアの棚があり、運動場の一角にケヤキやクスノキの代わりにガジュマルの大木がある、そんな違いがあるだけだ。この画一性が、たぶん何か大事なことを語っている。
 「Pが『余計なお世話』になるような、そんな時代になればいいんですけど。」
 昨夜、夕食の際のNさんの言葉を思い出し、あらためて共感する。Pとは精神科ソーシャル・ワーカーのことだが、精神科医に置き換えても同じことだ。精神科医が失業するような、そんな世の中になってほしい。

 
 屋良朝苗(1902-1997)

 病院から首里城へ。
 1977年に仲間二人と訪沖した際、守礼門までは確かに来たのに、なぜ内部を見なかったろうかと考えて思い出した。港を降りたところでタクシーの運転手に声をかけられ、一日いくらで手を打った。彼がたぶん、中に入ることを勧めなかったのである。那覇周辺だけでも見所は多い。一日で回ろうと思えば、ゆっくり一所に腰を据える時間がないと考えたのだろう。
 おかげで今日、世界遺産に登録された城の中を、教え子と巡ることになった。優美な城内で中国語や韓国語を聞きながらつくづく思うのは、沖縄が初めから当然に「日本」の一部であるなどと考えるなら、とんでもない「本土人」の思い上がりだということ。これは項を改めて書こう。
 絵はがきを1~2枚と思ったが、昨日感動したモノレール側からの全景を写したものがない。個々の建物ばかりなので買うのはやめた。世界遺産に指定されたのも城(ぐすく)群である通り、本当に素晴らしいのは空間的・時間的な全容なのである。

 安里駅の近くで軟骨ソーキそばを食べる。僕のはヨモギ入りの麺で、香り豊かで非常に美味しい。そこでNさんと別れて空港へ。
 東京に戻って、案の定げんなりした。言葉が汚いのを承知で書くが、電車の中も外もスマホバカとイヤホンバカで埋め尽くされている。この人らと一緒に地震に遭いたくないものだ。

 そろそろ限界かな。
  
 

面接授業@沖縄 ~ 第2日

2014-05-12 06:54:45 | 日記
2014年5月11日(日)

 沖縄は5月5日に入梅し、昨夜は大粒の雨がかなり激しく降った。今朝は強い陽ざしだが、雲は低くて速い。

 昨日センターで教わったように、「ゆいレール」を那覇空港とは反対の終点まで乗り、首里からタクシーを使うことにする。
 8時46分に旭橋で乗車して、県庁前・美栄橋・牧志・安里・おもろまち・古島・市立病院前・儀保を経て終点首里には9時5分。各駅に到着の際、それぞれ違った沖縄風のメロディーが車内放送で流れる。安里(あさと)駅だけ僕にも分かった、安里屋ユンタだ。あれは竹富島の古謡だよね、那覇に「安里」の地名のあるのは、どういう由来だろう?
 市立病院前から儀保(ぎぼ)にかかるあたりで、窓の向こうに首里の王城が姿を現し、一瞬息を呑んだ。えんじ色の優美な建物が丘の上で朝陽に輝き、足もとの平野を越えて大海に向けて挨拶を送る風情である。広い空のもと、層を重ねずゆったりと横に広がる建物が、和やかに美しい。実に美しい。

 駅前のタクシー乗り場で「琉大まで」と頼んでいると、旅行者が一人近づいてきた。「琉大へ行くんですか?」「そうです、御一緒しますか?」と話がすぐ決まる。明らかな関西訛り、こうして相乗りを気さくに申し入れてくるのも、東京人にはできない芸当である。大阪出身、現在は岡山の研究者で、この週末に琉球大学で工学関係の小学会があるのだそうだ。その間、奥さんと子どもさん達は沖縄観光とのこと。
 この人が先に降りるので、割り勘の都合上「放送大学までは、あといくらぐらい?」と訊くと、「ワンメーターかなあ」と運転手さん。工学部からとって返して放送大学のマークが見えてきたあたりで、いち早くメーターを止めた。「ワンメーターと言ったけど、少し上がりそうだからここで止めましょうね。」
 昨日も似たことがあった。「さっき2000円と言ったから、2000円で行きますよ」と言うのだ。実際は2420円、もちろんメーター通り取ってもらったが、こんなことは東京でも松山でもあり得ない。何と正直で温かな人たちだろう。

 面接授業は今日も食いつきよく、あっという間に一日を終えた。最後に自由討議の時間をとったら、どういうわけか「日本の男はなぜ最近、元気がないか」という話題になり、甲論乙駁おおいに盛りあがった。こんなの初めてだ。
 帰途は事務長さんが首里駅まで車で送ってくれる。
「本土、という言葉が適切かどうかわかりませんが」と後部座席から。
「本土の人間は、沖縄の人々に大きな借りがあると思っています。」
「ありがとうございます、そういう風に言ってくださる人は、あまりおられないので。」

 なぜだろう?
 おまえ口ばっかりだ、そう思うなら、それに見合ったどんな行動をとっているかと訊かれたら立ち往生する。そこが弱いところだけれど、言葉のレベルでは疑いも何もありようがない。明治時代の「琉球処分」からこっち、返すアテもないほど借りが積もっているではないか。
 事務長さんの言うには、最近では米軍の羽振りも往事には遠く及ばず、沖縄の経済に対する寄与は5%かそこらなのだそうだ。結構なことだ。
 沖縄は東南アジアに向けて素晴らしい位置取りにある。物流や観光にそれを生かせれば、ハブ(ヘビではない)拠点として大きな発展が期待できる。それだけに最近の中国には困ったものだと事務長さん。
「歴史的なこともありますから、私、中国は嫌いじゃなかったんですが、こんなふうだと・・・」
 と苦笑で言葉尻を濁した。平和が発展の前提条件なのである。

 首里からまた「ゆいレール」で移動、桜美林卒業生のNさんと牧志(まきし)駅で待ち合わせる。国際通り沿いの、大きなシーサーが睨みをきかす街角である。
 
(香港から来たという母娘と、お互いに写真を撮りっこした。)