2014年5月22日(木)
久々にいただいたコメントは、どちら様からでしょう?
> サクラがバラ科だと知った時の戸惑いふたたび。
> 素人の感覚では説明されてもピンときませぬ・・・
ほんとにそうですね。
分類表を眺めてみると、目に美しいばかりでなく、食べて美味しい果物の大多数がバラ科だったりする。
リンゴもナシもモモもスモモもイチゴもビワも・・・
バラ科の一人天下に雄々しく待ったをかけるのが、郷土の誇るミカンの一族。いわゆる柑橘類は、ムクロジ目ミカン科なんだそうですが、ムクロジってどんなんだろう?
バラ系とミカン系と、どちらか一方だけを地上に残せといわれたら、皆さんどちらを選びますか?バラが優勢なんでしょうね、きっと。僕はミカン、絶対譲らないけど、ナシ・モモ・イチゴと並べられると迷うなあ。
元になった記事は昨年8月5日に書いた(らしい)もので、当人がすっかり忘れた頃にこうしてコメントをいただけるのもブログの楽しみかもしれない。
(みけた?さんけた?/ネコ目イヌ科? http://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/f682e3164a7cca9561a659f7c59004de)
あの折の感興(というか憤慨)のポイントは、「食肉目」「偶蹄目」「奇蹄目」など立派に名が体を表し、学問的にも実用的にも価値の高かった従来の名称を、わざわざ改悪して手柄顔しているどこかのお偉いさんたちのフシギな精神構造にあった。
ところでコメントをもらって気づいたんだが、これらはいずれも動物ですね。植物はもともと「バラ目」式だったので、不思議さは unknown さんのおっしゃる通りだけれど近年の改悪ではないのである。植物の方が、群を代表する形態的特徴を一言にまとめるのが難しいということだろうか。
***
お上(女将ではない)に対する文句といえば、今朝の『こころ』に面白い注記がある。
持病の胃病で入院中の漱石の留守宅に、文部省から「博士号を授与するから、出頭されたい」という手紙が来た。漱石はカチンときた。受けるかどうか、まず聞くのが筋ではないか。もともと学問を国が序列化するような博士号の制度を、苦々しく思っていた。
漱石は文部省局長に断りの手紙を書く。「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先も矢張りただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております」
文部省は、発令したのだから今さら、辞退できない、と学位を送ってきた。漱石は「小生の意思に逆らって、お受けをする義務を有せざることをここに言明致します」と強く拒否、結局双方の主張の言い合いで終わった。
今日とは「博士号」の意義も重みも違うことを念頭に置きつつ、賛否の分かれるところだろう。
少し似た話がわが家にある。父方の祖父は多年にわたる中国戦線従軍の功に対し、戦後ささやかな叙勲にあずかった。勲何等だかの瑞宝章で、この種の叙勲者は全国に数多くあるに相違ない。祖父はそれらの人々同様、確かに苦労した。国家の招集に応じて戦地へ赴き、帰ってきたのは小十年の後である。出征時に赤ん坊だった三男は親の顔を知らず、復員してきた父が厳格なのに辟易して、「あの恐いオジサンはいつまでいるの?」と訊いたという。かくも長き不在と困難に対し、なにがしかの慰労があったとて罰(ばち)は当たらないところだ。
ところが祖父はこれを受け取りに行かなかった。そのまま60歳そこそこで他界した後、役所からあらためて連絡があり、仕方なく次男(僕からいえば上の叔父)が受け取ってきたものが郷里に残っている。
祖父の存念はよく分からない。自分らの苦労がそんなもので報われるかという反発か、戦没した仲間や同胞に対する遠慮か、それとも単なる無関心か、農地改革をめぐる思いも関わっていたかも知れないが、判断材料が乏しすぎて何とも言えない。ただ、お上の下しおかれるものならば、おしいただいて有り難しとする心性と無縁であったことだけは、諸般の事情から推察できる。
漱石の上記の話を聞く度に、僕の中で祖父の像がこれに重なってくる。
そして「ただの夏目なにがしとして」という言葉からは、墓碑に一切の顕彰を排して「森 林太郎」とだけ彫らせた鷗外の心事も、また連想されるのである。
久々にいただいたコメントは、どちら様からでしょう?
> サクラがバラ科だと知った時の戸惑いふたたび。
> 素人の感覚では説明されてもピンときませぬ・・・
ほんとにそうですね。
分類表を眺めてみると、目に美しいばかりでなく、食べて美味しい果物の大多数がバラ科だったりする。
リンゴもナシもモモもスモモもイチゴもビワも・・・
バラ科の一人天下に雄々しく待ったをかけるのが、郷土の誇るミカンの一族。いわゆる柑橘類は、ムクロジ目ミカン科なんだそうですが、ムクロジってどんなんだろう?
バラ系とミカン系と、どちらか一方だけを地上に残せといわれたら、皆さんどちらを選びますか?バラが優勢なんでしょうね、きっと。僕はミカン、絶対譲らないけど、ナシ・モモ・イチゴと並べられると迷うなあ。
元になった記事は昨年8月5日に書いた(らしい)もので、当人がすっかり忘れた頃にこうしてコメントをいただけるのもブログの楽しみかもしれない。
(みけた?さんけた?/ネコ目イヌ科? http://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/f682e3164a7cca9561a659f7c59004de)
あの折の感興(というか憤慨)のポイントは、「食肉目」「偶蹄目」「奇蹄目」など立派に名が体を表し、学問的にも実用的にも価値の高かった従来の名称を、わざわざ改悪して手柄顔しているどこかのお偉いさんたちのフシギな精神構造にあった。
ところでコメントをもらって気づいたんだが、これらはいずれも動物ですね。植物はもともと「バラ目」式だったので、不思議さは unknown さんのおっしゃる通りだけれど近年の改悪ではないのである。植物の方が、群を代表する形態的特徴を一言にまとめるのが難しいということだろうか。
***
お上(女将ではない)に対する文句といえば、今朝の『こころ』に面白い注記がある。
持病の胃病で入院中の漱石の留守宅に、文部省から「博士号を授与するから、出頭されたい」という手紙が来た。漱石はカチンときた。受けるかどうか、まず聞くのが筋ではないか。もともと学問を国が序列化するような博士号の制度を、苦々しく思っていた。
漱石は文部省局長に断りの手紙を書く。「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先も矢張りただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております」
文部省は、発令したのだから今さら、辞退できない、と学位を送ってきた。漱石は「小生の意思に逆らって、お受けをする義務を有せざることをここに言明致します」と強く拒否、結局双方の主張の言い合いで終わった。
今日とは「博士号」の意義も重みも違うことを念頭に置きつつ、賛否の分かれるところだろう。
少し似た話がわが家にある。父方の祖父は多年にわたる中国戦線従軍の功に対し、戦後ささやかな叙勲にあずかった。勲何等だかの瑞宝章で、この種の叙勲者は全国に数多くあるに相違ない。祖父はそれらの人々同様、確かに苦労した。国家の招集に応じて戦地へ赴き、帰ってきたのは小十年の後である。出征時に赤ん坊だった三男は親の顔を知らず、復員してきた父が厳格なのに辟易して、「あの恐いオジサンはいつまでいるの?」と訊いたという。かくも長き不在と困難に対し、なにがしかの慰労があったとて罰(ばち)は当たらないところだ。
ところが祖父はこれを受け取りに行かなかった。そのまま60歳そこそこで他界した後、役所からあらためて連絡があり、仕方なく次男(僕からいえば上の叔父)が受け取ってきたものが郷里に残っている。
祖父の存念はよく分からない。自分らの苦労がそんなもので報われるかという反発か、戦没した仲間や同胞に対する遠慮か、それとも単なる無関心か、農地改革をめぐる思いも関わっていたかも知れないが、判断材料が乏しすぎて何とも言えない。ただ、お上の下しおかれるものならば、おしいただいて有り難しとする心性と無縁であったことだけは、諸般の事情から推察できる。
漱石の上記の話を聞く度に、僕の中で祖父の像がこれに重なってくる。
そして「ただの夏目なにがしとして」という言葉からは、墓碑に一切の顕彰を排して「森 林太郎」とだけ彫らせた鷗外の心事も、また連想されるのである。