散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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盲導犬殉難/大井町の黄色い帯

2014-10-01 22:20:33 | 日記

2014年10月1日(水)

 Mさんよりメールあり、新潟で全盲の女性が盲導犬ごと車にはねられ、犬が死んで人は重体なのだと。ネットで調べたら28日(日)の夜11時頃、十日町市で起きた事件だそうだ。現場は片側一車線の見通しの良い直線道路、車の運転手は「前をよく見ていなかった」と語ったとある。同じ境遇の人々が全国で心を痛めていることだろう。

 それで思い出すのも妙だが、大井町の乗り換え改札はけっこう怖いのだ。完全武装のリーマンやOLらが、「ホームを走らないで」と呼びかける構内放送にはお構いなく、先を争って関門に殺到する。走るときは、せめてイヤホン外してほしいんですけどね。ともかく怖がりなので、わざと改札から遠い車両に乗って降り、人混みの後からこわごわ歩いていく。すると今度は「前が見えない」という問題が起きる。この御時世に恐縮ながら、僕は回数券で通うのでIT専用改札だと通れないのだ。数少ない旧式の改札装置がどれなのか、ラッシュ時には直前まで分からず、外れを引くと進退きわまることになる。

 ある朝、良いことに気がついた。視覚障害者用に突起が付けてある黄色い帯、あれを追っていくと、めざす改札装置にたどり着くのだ。障害のある人々への配慮が一般公衆を利する効果について、しばしば指摘される。これなどそのささやかな一例だが、僕にとっての効用は決して小さくない。

 大井町駅だけの偶然なのか、どこでもそのようになっているのか、そのあたりはよく分からない。どこでもだと助かるな。


水曜日の朝 ~ eruption と『三四郎』

2014-10-01 07:12:47 | 日記

2014年10月1日(水)

御嶽山噴火のこと、毎朝の新聞一面が痛ましい。今朝は三日ぶりに捜索が再開されるという。

現地で見守る家族らの疲れも募っているとラジオニュース。その中に、イトコなど血縁からいえばやや遠い人たちが混じっていることに注意を引かれた。こうした時に案じてくれる家族のあることは慰めだ。そうした共感の結びつきが、親子きょうだいを超えてイトコ筋まで広がっている人々の幸いを思う。むろん、無事に戻ることが、いちばんの幸いなのだけれど。

噴火は、確か eruption というのだ。文字通り「噴き出す」という意味をもつラテン語から来ていたと記憶する。いっぽう、皮膚の吹き出物も同じ eruption の語で表される。地球という巨大な丸顔の、小さいが厄介な吹き出物が火山なのだ。

あるいは、僕らは巨大ナマズの背中に乗っており、このナマズは無数の火山を背に負うている。『グスコーブドリの伝記』のことなども思い出され、落ち着かない。

***

『心』の末尾は、精神分析に言う「超自我」の破壊的な力を存分に活写して終わった。教材に使えるのではないかと思うほどで、おそらく誰かがその観点から解説しているだろう。目の前に「先生」の遺書を放り出され、それっきりといった終わり方に圧倒される。

今朝から『三四郎』の再連載が始まった。こんな風な始まり方だったかと面食らい、少し遅れて懐かしさがあふれてきた。

長距離列車の車内、九州女の黒い肌に早くも郷愁を感じる、お上りさんの主人公。気楽な世間話のようで、実は深刻な内容を含んだ女の身の上。聞き役の田舎者のおやじさんが、実は息子を日露戦争で死なせているのだ。戦争批判の自由であからさまなことに、あらためて目を見張る。ただ一回の内容に、時代が濃密に描き込まれている。

今日は今月の卒論ゼミ、その後テレビ収録の打ち合わせだが、ひどく準備が遅れていて気が重いのだった。