散日拾遺

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肩の凝るわけ

2014-10-30 07:29:57 | 日記

2014年10月29日(水)

 午後の飛行機に乗り込んで着席したとき、妙に肩が凝っているのに気づいた。

 田舎で庭周りの作業などしていて、なんで肩が凝るかなと考えて、すぐに思いあたった。先日収録したテレビ教材のDVDを、イヤなもんだから先送りしていたがとうとう観念して今朝みたのだ。それでだ。

 「汝自身を知れ」とソクラテスは言う。「そんな辛気くさいことができるか」と一笑に付せるのはゲーテ級の大物だけで、僕ら凡人は自分を知って身を慎むほかない。ただ、その知り方が中途半端に終わるのが凡人の凡人たる所以である。

 それでも、「内省」とか称して観念的なことについては身を振り返るフリもできるんだが、一般に人がいちばん自覚せず、自覚したくもないのは、むしろ外面的な特徴ではないかしらん。要するに「顔」そして「声」だ。録音された自分の声を聞かされて、「こんなの自分の声じゃない」「録音がおかしい」と反応する人間は少なくない。というより、それが標準的な反応のようである。

 顔も同じだ。DVDを見ると、鏡で毎朝お目にかかっている顔とはいささかならず違っており、どっちかというと「誰これ?」「こんな変な人、初めて見た」という感じに近い。fremd などというドイツ語が、突然数十年ぶりに頭の中で弾ける。

 親と神様からもらった造作に不平を言っているのではない。それらの使い方、自分に責任のあることが問題なのだ。むやみに首をかしげるクセとか、決め言葉に限って滑舌の悪いこととか、背中を丸めて前のめりになることとか、ひらひら掌を動かすこととか、それやこれやが全体として醸し出す小物(こもの)感にうんざりするし、見ているだけで肩が凝る。このいけすかないおっさんが僕なわけ?何だか無性に申し訳ない。

 あ~あ、ぜんぶ自分の責任だ。べてるの家の「あきらめ力」に頼るしかないだろうな、うん。

***

 「景色が良く見えるといいね」

 「別にそんなのどうでもいいよ」

 減らず口をたたいて乗り込んだが、眺めのおかげで復路は退屈しなかった。薄曇りなのでクリスタルクリアとはいわないが、志摩あたりのリアス式海岸から伊勢湾、遠州灘、駿河湾、伊豆半島を越えて相模湾から東京湾と、太平洋岸の輪郭をなぞって東上する。頂きがわずかに雪をかぶった富士山に挨拶し、伊豆大島を過ぎるときは火口の中まで覗けそうだった。

 空港から京浜急行が便利だが、品川駅の混雑がいつもひどく煩わしい。東京の嫌いな部分にいきなり直面するからかも知れない。天気が好く荷物が少ないのを幸い、京急蒲田から東急蒲田まで15分ほど歩く。蒲田行進曲、今は昔である。

 10時頃にさっさと休み、8時間余も熟睡したのは久しぶりだ。TV収録が年内にあと5回、腹を決めていくとしよう。