2014年10月11日(土)
「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。
すると、彼の男は、すましたもので、
「亡びるね」といった。
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三四郎、106年ぶりの再連載、広田先生の有名な「亡びるね」は第8回に出てきた。
その文脈を僕は忘れていた。浜松駅でホームを見ると、4,5人の西洋人が行ったり来たりしている。そのうちの一組は夫婦者らしく、殊に女性が真っ白な装いで非常に美しい。それを眺めての会話である。
男が言う。
「どうも西洋人は美しいですね」
三四郎は別段の答えも出ないので、ただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、
「お互いは憐れだなあ」と言い出した。
「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが ー あなたは東京が初めてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々がこしらえたものじゃない」といってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後、こんな人間に出逢うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
以上に続いて、「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」「亡びるね」と続くのである。そしてその後は ー
熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲(な)ぐられる。悪くすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中のどこの隅にもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると、自分の年齢の若いのに乗じて、他(ひと)を愚弄するのではなかろうかとも考えた。
(中略)
「熊本より東京は広い、東京より日本は広い、日本より・・・」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中の方が広いでしょう」といった。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いたとき、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいたときの自分は非常に卑怯であったと悟った。
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前半の字面を単純に読むと、西洋人は美しく優れている、日本人は顔から建物から庭園からことごとく劣悪である、だから日露戦争に勝ったぐらいで何が変わるわけでもなく、あとは亡びるばかりだ、そのように追えてしまう。そんな自虐的な言説なら、今さら聞くにも読むにも値しない。
真意は後半に示される。日本より国際社会のほうが広い、欧米の方が広い、などとは言わない、頭の中が広いというのである。頭の中を向上させないで、目に見える成果ばかりを追っていったら、贔屓の引き倒しをして亡びるばかりだというのだ。
贔屓の引き倒しで高転びに転んだこと、不気味なほどの的確な予見である。その後、僕らの頭の中は広くなったかどうか。
精神医学という名の窓から見る限り、なかなかそうは思われない。
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ついでながら、「建物を見ても、庭園を見ても、顔相応」と言うときの建物や庭園は、どこのどんな建物を想定してのことだろう?法隆寺の五重塔や竜安寺の石庭・・・ではないのだろうね、やはり。
『坊ちゃん』は伊予人を思いっきりバカにしているのに、それをありがたがっている地元の気が知れないなどと、賢しげに笑う手合いがインテリ(死語?)の中にも時々ある。あの作品の中で辛辣に風刺されている真の対象が何者(たち)なのか、ほんとうに分かりませんか?