散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

亡びるね

2014-10-11 22:33:29 | 日記

2014年10月11日(土)

 「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。

 すると、彼の男は、すましたもので、

 「亡びるね」といった。

***

 三四郎、106年ぶりの再連載、広田先生の有名な「亡びるね」は第8回に出てきた。

 その文脈を僕は忘れていた。浜松駅でホームを見ると、4,5人の西洋人が行ったり来たりしている。そのうちの一組は夫婦者らしく、殊に女性が真っ白な装いで非常に美しい。それを眺めての会話である。

 男が言う。

 「どうも西洋人は美しいですね」

 三四郎は別段の答えも出ないので、ただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、

 「お互いは憐れだなあ」と言い出した。

 「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが ー あなたは東京が初めてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々がこしらえたものじゃない」といってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後、こんな人間に出逢うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。

 以上に続いて、「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」「亡びるね」と続くのである。そしてその後は ー 

 熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲(な)ぐられる。悪くすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中のどこの隅にもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると、自分の年齢の若いのに乗じて、他(ひと)を愚弄するのではなかろうかとも考えた。

(中略)

 「熊本より東京は広い、東京より日本は広い、日本より・・・」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。

 「日本より頭の中の方が広いでしょう」といった。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」

 この言葉を聞いたとき、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいたときの自分は非常に卑怯であったと悟った。

***

 前半の字面を単純に読むと、西洋人は美しく優れている、日本人は顔から建物から庭園からことごとく劣悪である、だから日露戦争に勝ったぐらいで何が変わるわけでもなく、あとは亡びるばかりだ、そのように追えてしまう。そんな自虐的な言説なら、今さら聞くにも読むにも値しない。

 真意は後半に示される。日本より国際社会のほうが広い、欧米の方が広い、などとは言わない、頭の中が広いというのである。頭の中を向上させないで、目に見える成果ばかりを追っていったら、贔屓の引き倒しをして亡びるばかりだというのだ。

 贔屓の引き倒しで高転びに転んだこと、不気味なほどの的確な予見である。その後、僕らの頭の中は広くなったかどうか。

 精神医学という名の窓から見る限り、なかなかそうは思われない。

***

 ついでながら、「建物を見ても、庭園を見ても、顔相応」と言うときの建物や庭園は、どこのどんな建物を想定してのことだろう?法隆寺の五重塔や竜安寺の石庭・・・ではないのだろうね、やはり。

 『坊ちゃん』は伊予人を思いっきりバカにしているのに、それをありがたがっている地元の気が知れないなどと、賢しげに笑う手合いがインテリ(死語?)の中にも時々ある。あの作品の中で辛辣に風刺されている真の対象が何者(たち)なのか、ほんとうに分かりませんか?


その資格、使えるか?

2014-10-11 21:29:13 | 日記

2014年10月11日(土)

 いわゆる資格がどれほど役に立つものかどうか、しばしば疑問ではある。米倉涼子扮するドクターXは、「医師免許がなくてもできる仕事は一切いたしません」と公言し、たいへんカッコいい。確かに諸資格中、最強のもののひとつは医師免許かもしれない。

 僕はこれでも「庭園管理士」という資格を持っていて、生涯に一度ぐらい使ってみたいと思っているが、そのチャンスがあるかどうか。

 ところで最近、愉快な話を聞いた。

 知人の息子さん、大手会社に正規社員として勤めるれっきとしたサラリーマンだが、ちょっとした資格マニアでいろいろもってるらしい。日本国内では飽き足らず、休暇を利用してラオスに資格を取りに行ったんだそうだ。

 さて、何の資格でしょう?

 正解は「象つかい」だって!すごいなあ・・・

 「どう使うのよ、そんなの?」

 「案外わかんないよ、地球温暖化で日本にも象が住むようになるかもしれない。更新世にはナウマン象がいたんだから。」

 「あれは氷河期じゃないの、イイカゲンなんだから。」

 「え~っと、ラオスではどう使ってるんだろう。タクシー代わりとかかな?」

 「タクシーじゃないでしょ、トラックとかクレーンの代わりよ、きっと。」

 「でもさ、面白そうだよね、どんなことで役に立つかわかんない。」

 相手はフフンと鼻で笑った。

 「一泊二日の講習で取れる資格なんて、象が鼻で吹き飛ばしちゃうわよ。馬だって乗り手が素人だとバカにするっていうでしょ?象って頭いいんだから、なめられるに決まってるわ。象になめられたら怖いゾウ~」

 確かに、そうかもしれない。でもこの件、日本から参加した物好きがどのぐらいいるか分からないが、ともかくラオスという国を訪れ、象に遊んでもらいながら数日を過ごしたのである。ラオス側から見た集客効果の費用便益比は決して悪くないのではないか。この種の「観光資格」を各国とも大いに活用したらいい。フィンランドはトナカイぞりのドライバー資格、オーストラリアならカンガルーとボクシングを戦った証明書(命がけかも)、メキシコはサボテン栽培士・・・

 「もっとウィットの効いたの、ないの?」

 すみませんね、でもどれにしたって、戦士の証明のためにシリアに行くよりよっぽどマシだ。


タバコの履歴

2014-10-11 19:17:53 | 日記

少しもどって2014年10月3日(金)の診療雑記:

 Pさんが週明けから入院するという。先日見つかった肺ガンの治療が始まるのである。発見が遅れたわけではない、むしろ早めに見つかったのだが、部位が少々奥まって厄介であるために、検査も治療も手間どっている。もともと不安症状で通院している人で、「神経質で恐がり」と自称する通りの性格だから心配したが、ガンの診断治療については驚くほど泰然としている。

 人が何に対して小心で、何に対して豪胆かは、簡単には言えないことだ。大きな価値に対する小心翼々たるこだわりが、世俗に対しては剛胆として現れるということもある。イエスの弟子達などは、さしずめその好例に違いない。(そういえば、漁師転じて使徒となったペトロ、その妻は聖書に名前すら出てこないが、夫と共に伝道旅行に出たことがパウロ書簡から知れると先日教わった。どんなおかみさんだったのかな・・・)

  Pさんは元来ヘビースモーカーで、今はやめたけれど過去の履歴が肺気腫という形で身に記されている。喫煙が成人男性として当然の嗜みだった時代の人だけに、不摂生を責めるのも気の毒なところがある。

「ほな、行ってきますわ」

「気をっけて、行ってらっしゃい」

 言ってから、メードカフェの件を思い出して苦笑した。

 ***

  タバコで肺ガンとなると、必ず思い出される人がある。やはり不安が主訴の女性で、牛丼屋の正職員として奮闘していた。社内の技能コンテストに入賞し、賞状を見せてくれたことがあったが、両脚の配置からシャモジのもち方、肉の盛り方まで、詳細を極めたチェックポイントに驚いた。Qさんというその人は、ほぼ全てのポイントで要求を完璧に満たしていた。そういう人柄だったのだ。

 成人した娘があるとは思えない、笑顔が若い女性だったが、家庭の事情で不安を刺激されることが止まず、抗不安葉に加えてタバコが手放せなかった。そしてある日の診察で、肺ガンが見つかって入院治療が始まることを語った。

「退院したら、元気で帰ってきます」と声を励まして笑ったが、それきり会うことはなかった。

 娘さんが訪ねてきたのは、確か1~2年後のことである。Qさんよりも一回り大柄で、こちらはおちついた感じの女性だったが、笑う口許によく似たえくぼができた。「母がお世活になりました」と懇ろに礼をのベ、実は自分も母親ほどではないが、時に不安症状が起きるのだと話した。話を聞いては少量の薬を処方することを何度か繰り返し、何か月かすると姿を現さなくなった。

 タバコは吸わないと言った。確か美容師だったと思う。


感謝

2014-10-11 18:27:19 | 日記

2014年10月11日(土)

 人は自分のしたいことのためなら、何としてでも時間を作り出すものだ。病気にかかったとか、事故や災害に見舞われたとか、そんな非常事態でない限りはね。だから「忙しい」という言い訳は、原則としてしないようにしている。

 そういう次第でK教会に出かけた翌日は、石倉囲碁教室の30周年記念行事にいそいそと出かけた。懇親会で少しだけお話しする時間があり、共通の友人である精神科医S氏のことなど話題にのぼった。S氏は高校囲碁選手権の決勝で石倉少年と対戦し、東大囲碁部では僚友として大学選手権を制覇した無二の親友だそうで、僕の方はその後に医科大でS氏に出会い、今は彼が副院長を勤める病院のサテライトクリニックで診療している。まことに小さな世界で、個性的なS氏についてはいろいろと書けば書けるけれど、今は控えておこう。

 日本棋院界隈でむやみに棋士に声をかけるものではないだろうかと、気になっていたことを伺ったら「そんなことありませんよ」と笑顔で請け合ってくださった。ファンに声をかけられるのはトップ棋士でも嬉しいものだと。先日の高尾九段、やっぱり碁のことで頭がいっぱいだったのだ。

 30年間に天文学的な数字にのぼるアマの対局を見てきた石倉九段は、指導に関する第一人者として確たる方法論をもっていらっしゃる。「上達の5K」はそのエッセンスみたいなもので、「感動、好奇心、形、考え方、繰り返し」というのがその5Kである。何にでも応用が利くことだ。

 今回、いつもの5Kに加えて「もうひとつ大事なKがあることに気づきました」とおっしゃったので、受講者一同身を乗り出した。6番目のKは、

 「感謝です。」

***

 なるほどなあ。

 以前からよく「勝負にこだわるな」ともおっしゃった。そもそもプロと違って、勝ち星に生活がかかっている訳でもない。勝った碁より負けた碁についてよく反省し、学びも上達も大きいのは人の常である。勝ったときには「達成感をもらった」(林海峰さんなら「勝たせていただいた」というところ)、負けたときには「教えてもらった」と思えば、どっちに転んでも腹は立たないし、そればかりかどちらも感謝すべきことなのだ。勝ちにこだわったら、碁はつまらない。感謝を知れば、碁が楽しくなる。

 むろん、さらに進んで「碁というものに出会った幸せ」や、「平和と健康に恵まれて碁を楽しめる幸せ」などへの感謝もあるんだろう。それにつけてもつくづく不思議に思うのは、精神科の診療においても、大学教育においても、何が大事といって「感謝」ほど大事なものはないと、僕自身が昨今痛感していることである。

 道徳的な意味で言うのではない、感謝できる患者は治りが早いし予後が良い、感謝を知る学生は必ず伸びる、そういった現実のことを言っている。

 メラニー・クライン『羨望と感謝』、久しぶりに読み直そうか。

  


淘汰されてもよかった人々

2014-10-11 16:34:18 | 日記

2014年10月11日(土)

 最も危惧しているのは、日本のあちこちで家族や友達に愛され、元気に生活し、社会貢献もしているダウン症の人々に対して、「生まれる前に検査をして淘汰されてもよかった人々」との差別観が広がることです。

 『新型出生前診断を考える』百溪英一さん(東都医療大学教授・茨城県ダウン症協会事務局長)

***

 2週間前にK教会でお目にかかったS先生から、今日送られてきた新聞記事コピーである。残念ながら新聞名が分からないが、2014年1月10日(金)【社会・総合】面とある。

 付け加えることは何もない。