散日拾遺

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北東北をささやかに探訪 ② 絶景かな、絶景かな

2017-09-07 23:13:46 | 日記

2017年9月5日(火)

 集まったのは、青森・秋田・岩手三県の在住者30人余りである。といっても、元々は他地域の出身者が過半を占めるようだが、皆ゆえあってこの地に導かれ根を下ろして活躍している。僕は山形で小中学校の一年間を過ごし、精神科医としての基礎教育を福島で受け、東北には大いに愛着があるというものの、南東北止まりで陸奥(みちのく)の広さ深さを未だ知らない。

 中に仙台出身の人があったので、杜の都は素晴らしい、ケヤキの並木が大好きですというようなことを言ったら、あれは戦災の産物で、と教えてくれた。もとは城下町の武家屋敷が樹々にすっかり埋もれてしまうような、街全体を杜が覆い包む風情だったそうである。空襲ですっかり焼け、せめてもの復興にケヤキの大通りが整備されたそうな。有名な七夕祭りにも同様の背景があるらしい。あの戦争がどれほどのものを奪ったか、認識も自覚もまだまだ足りない。

 それにしても空気の美味しく水の清澄なこと。写真は露天風呂からの眺めである。前夜はこの空に十三夜ぐらいの月が朧にかかり、「月が出てますよ」と口伝えで皆、入れ替わり立ち替わり風雅を堪能した。紅葉になればなお絶景であろうが、夜は冷え込むに違いない。気温は今が最適。

 多言は野暮なこと、湯瀬温泉は掛け値なしに素晴らしいとだけ書いておく。

      Ω


北東北をささやかに探訪 ① 秋田に残るアイヌの地名/防災共同体

2017-09-07 11:05:37 | 日記

2017年9月4日(月)に戻る。

 はやぶさ11号のゆったりした通路で四股なんか踏んだ後のこと、盛岡駅に迎えてくださる人があり、岩手山を西に見て八幡平を北上する高速道路のドライブを、今日は助手席から満喫する。空が広く原野の色濃い、その向こうに北海道を予感させる空と森が、胸の中まで広くするようである。

 経験豊かで博学な、そして偶然にも一ヶ月違いで生まれた人が、ハンドルを操りながらいろいろ教えてくれた。

 秋田に雲然(くもしかり)という地名があり、住む人々の姓にもなっている。由来を問うに、「しかり」はアイヌ語で「川の流れ」を意味するのだそうだ。帰宅後に調べたら、動詞 si-kari に「回る、迂回する、回流する」の意があり、派生語の sikari (sikari・i)が「回流するところ」だとある。河川の蛇行のイメージだろうか。いっぽう「雲」は和語であるらしく、郷土史家の解説に依ればこれも「水」とのこと。なるほど水蒸気が雲になり、雲が雨を降らすと考えれば、雲は自然を循環する水系の精華ともいえる。これらを組み合わせて「くも・しかり」、命を養う水の賛歌といった、いかにもみずみずしい命名である。

 アイヌ語と聞いて、忘れていたことを思い出した。アイヌ文化の実相について、とりわけ地域による異同には不明の点も多かろうが、そのように総称される文化圏が北海道に限局されず東北地方まで広がっていたのは周知のこと。盛岡出身の金田一京助がアイヌ語研究に専心したのは、伊達でも酔狂でもない。この夏はこの方面で触発されることが多かった。アイヌ語と和語の合成といった一ランク上の「重箱/湯桶」も、雲然に限らず多くあったに違いない。

 秋田県仙北市角館町雲然の地図をネットで見ると、なるほど桧木内川(ひのきないがわ)と玉川の合流地点あたりで、蛇行もあれば豊かな雲も湧くことだろう。国の名勝にも指定された角館の桜並木が桧木内川沿いにある。

 「岩手人は手を引き、秋田人は足を引くなどと言います」と、この方自身は秋田の人なので苦笑しながらおっしゃる。自然の厳しい岩手では人が助け合い、自然の豊かな秋田では富ゆえの争いが起きがちのことを指すらしい。そういえば岡山学習センターに授業で出かけたとき、地元出身の事務長さんが「岡山は自然災害がないので、助け合いの気もちが起きにくいのです」と、やはり苦笑しながら言ったことがあった。

 日本の社会は基本的に防災共同体として立ちあがっており、政治の最大の役割もそこにある。

 そうなんだと思いますよ。

Ω