散日拾遺

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「変」がカナメ

2017-10-11 07:51:34 | 日記

2017年10月11日(水)

 以前にも書いた記憶があるが、あらためて。

 2014年に満百歳で他界した呉清源は、昭和の碁聖と称せられた。同時代のすべての強敵を打ち込んでのけ、誰もが「名人」推挙を当然と見ていたのに、実現しなかった事情はよく知らない。勝ち負けで示される強さ以上に、碁を見る目の深さ鋭さ、碁を打つ姿勢と生きる姿が、風格なり気品なりを感じさせたものと思われる。

 1930年代から50年代という難しい時代に、当時の中国から来日して大成した人生そのものが奇なるものだった。40代そこそこでオートバイにはねられる不運があり、以後、体調不良に悩まされて勝てなくなったことが惜しまれるが、それはこの人物の評価を少しも損じない。呉清源(中国)・林海峰(台湾)・趙治勲(韓国)と連なる渡来人の系列が、日本の碁を何倍にも豊かにしてきた。そういえば趙治勲も車にはねられ、入院先を抜け出して棋聖戦を戦った逸話がある。

 僕はこのところ誰かと碁を打つゆとりがなく、仕方ないので呉清源の遺した指導書など読んでみている。これが平易でいて斬新なのである。碁の世界ではここしばらくAIの話題でもちきりだが、面白いのは近来の常識を覆すとされるAIの打法の中に、古くは本因坊道策、近くは呉清源の発想に近いものが見られる(らしい)ことだ。

 道策は天和・元禄の時代に文字通り無敵で「11段」とも称された。呉は昭和の道策とも言えるか、いずれも強すぎ、発想に飛躍があるために、他が模倣できなかったのである。僕などヘボ碁の手本になるはずもないが、記録された語り口は平易でスジが通っており、そのくせ流れを追ううちに全く違った世界へ引き込まれている。井伏鱒二の筆法を思い浮かべたりする。

***

 その呉清源がどこで語ったのだったか。「窮すれば通ず」とは日本人にも知られた言葉で、川上哲治氏なども口にしていたように記憶する。これが不正確だというのである。正しくは「窮即変、変即通」(易経)、「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず」が本義で、福州の官吏の家系に生まれた呉清源は四書五経を学んで育ったから、身に染みついている。追い詰められたときに人が変わる、捨て身の変化が新たな道を開く機微こそが貴いのであって、「窮迫しても何とかなるものだ」と読み崩してしまったら、本義の何も伝わらないことを言ったのであろう。

 「窮即変、変即通」、中国語ではどんな発音になるのだろうか。

Ω