2017年10月12日(木)
「易」の字を「易しい」とばかり読んでいたが、実は「易(か)える」の読みがあり、「あらたまる、とりかえる、うつす」の意がある。「貿易」は「貿」もまた「貿(か)える」と読み、「品物を交換する、あきなう」を意味するから同義字の重複でできた語である。「交易」も同じか。「易姓革命」に「万古不易」、「易(か)える」の用例を実は多々見ていたのだ。
その同じ字が「易しい」の意味にもなるのは、「変更可能」を介するものだろうか。逆に「難しい」は「難い」から「固い、堅い」につながる。碁の格言に「上手は変わる」とあったのを思い出す。呉清源の碁には陰陽の調和があり、自在の変幻があった。
そういえば糊と墨のフエキ・ブランド、これも「不易」で1898年の創業時に「萬世不能易也」という荀子の言葉から社名をとったとある。荀子は易経を重視したというから話はそれだけでも安直につながるが、それで済ませては申し訳ない、せっかく文庫本で原文に触れられることでもある。さしあたり超有名なくだりを転記。
拝借したサイトには、「「悪=罪をおかす」ではなく、「悪=弱い存在」という認識で読み進めるようにしましょう」と注記されている(http://manapedia.jp/text/3839)。聖書の人間観にも通じるか、もちろんニュアンスの違いはあるけれど。
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人之性悪、其善者偽也。
今人之性、生而有好利焉。
順是、故争奪生、而辞譲亡焉。
生而有疾悪焉。
順是、故残賊生、而忠信亡焉。
生而有耳目之欲、有好声色焉。
順是、故淫 乱生、而礼義文理亡焉。
然則従人之性、順人之情、必出於争奪、合於犯文乱理、而帰於暴。
故必将有師法之化、礼義之道、然後出於辞譲、合於文理、而帰於治。
用此観之、然則人之性悪明矣。
其善者偽也。
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人の性は悪なり、其の善なる者は偽なり。
今人の性、生まれながらにして利を好む有り。
是に順ふ、故に争奪生じて、辞譲亡ぶ。
生まれながらにして疾悪有り。
是に順ふ、故に残賊生じて、忠信亡ぶ。
生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好む有り。
是に順ふ、故に淫 乱生じて、礼義文理亡ぶ。
然らば則ち人の性に従ひ、人の情に順はば、必ず争奪に出で、犯文乱理に合して、暴に帰す。
故に必ず将に師法の化、礼義の道(みちび)き有りて、然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰せんとす。
此を用つて之を観れば、然らば則ち人の性は悪なること明らかなり。
其の善なる者は偽なり。
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