散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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お櫃の心

2017-10-24 23:04:05 | 日記

2017年10月22日(日)

 台風21号接近中で教会はさすがに子どもが少なめだが、逆にこれだけの親子連れが集まることにいつもながら賛嘆。午後からは「塾」のメンバーが渋谷で還暦祝いの席を設けてくれた。感謝の一語に尽きる。

 過半が桜美林時代の学生・院生たちで、酉年生まれも少なからず混じっているのに今さら気づいた。二回り下だから三十路半ば、朱夏まっただ中で眩しいばかりである。二回り違いなら親子で通るわけだけれど、実際は息子たちがほぼ三回り下で、今日の面々は息子・娘とみるには大人びすぎ、弟妹というには少々若すぎる。何と呼ぶにせよ可愛くて仕方ないのは、やっぱりこっちが年取ったのかな。

 児童相談所に勤める者もあり、「触法」病棟で働く者もあって、身辺事情を語るやりとりがそのまま憂慮や公憤に展がっていく。人の絆を再構築していくほか、個人も社会も生き延びるすべはない。絆といえば家族だけれど、家族の意味を読み替え読み戻す必要がある。血縁に依らず、信頼によって家族を創り出すものが現在を耐え未来を拓くのだ。よくぞ集ってくれました。

 嵐の中を来てくれてお腹いっぱい、親身の言葉を寄せてくれてデザートまで飽食だが、そのうえいろいろ贈呈あり。幸せを見せびらかすと悪魔が嫉んで悪さするから、一つだけ載せておこう。さあ、これは何でしょう?

 Kokomin さんが選んで皆が贈ってくれたこのものは、「お櫃」である。お櫃は炊きあがった御飯を温かく保存する容器 container、精神分析家ビオンが "contain" を理論の鍵にしていることを、還暦のオヤジに重ねてくれた。そうありたいものだ。

 一次会3時間、二次会3時間、あっという間に時間が過ぎ、あわてて腰を上げ最寄り駅から直行して投票を終えた時、時計は19時50分を指していた。

***

 会場で伝え忘れたこと ~ ニーバーの祈りとも静謐の祈りとも言われる言葉から:

 変えられないものを受け容れる静謐、変えられるものを変える勇気、そして変えられるものと変えられないものを見分ける智恵を、どうぞ皆に与えてください。

God grant me the serenity

to accept the things I cannot change;

courage to change the things I can;

and wisdom to know the difference.

Ω


ハンナ・ゴールドバーク?

2017-10-24 00:52:33 | 日記

2017年10月21日(土)

 スティグマ付与、言い換えれば悪しきレッテル貼りは珍しくもない現象で、類的思考の必然的な随伴作用ともいえる。類的思考、つまり対象を個別的に見たてるかわりに、それが属する(と思われる)類型の特性で判断することには、思考経済学的な合理性がある。留学生のイブラヒム氏が名前の示唆するとおりイスラム教徒だと知れば、歓迎会で酒やトンカツを出す訳にはいかないと直ちに分かる。これなどは類的思考のプラスの側面だが、マイナスの側面もたっぷりあることはイスラム国問題が十二分に教えてくれた。イスラム=排他的・戦闘的=テロリストという「公式」のおかげで、穏和で協調的な何億人ものイスラム教徒がはかりしれない迷惑を被った。

 ・・・というような話を準備しながら、ふと思い出したアメリカの心理実験のこと。未知の女性の顔写真を見せ、どんな印象を受けるか被験者に語ってもらう。その際、女性にアングロサクソン風の名前をつけるのと、ユダヤ人風の名前をつけるのとで、印象が有意に変わるというのである。ユダヤ人=教育熱心=上昇志向=倹約家といった「レッテル」が、どれほど認知に影響を与えるかを実証したもので、スティグマ形成プロセスに関する基礎研究ともいえる。

 異文化集団間の軋轢も強いかわりに、こういう辛辣にして啓発的な研究も出てくるのがアメリカである。もっとも、同じ実験を日本で実施することは論理的には簡単で、女性の名前に和名をつけたのと半島系ないし大陸系の民族名をつけたのとで比較すれば良い。そんな研究がおおらかに語られる風景を本朝で見たいものである。

 この件を説明するのに使わせてもらった写真と「名前」を御紹介。

  メリル・ストリープ   ハンナ・ゴールドバーグ

 (https://ja.wikipedia.org/wiki/xxxx)

 映画好きは欺けない、もちろん左が彼女の本名(芸名?)。右が「ユダヤ人風の名前」の例としてひねり出してみたものである。「・・・バーグ」は特にドイツ経由のユダヤ系アメリカ人に多い苗字で、それを踏まえた小ネタもある。旧約聖書に出てくる女性名はクリスチャンとユダヤ人に共用可能だが、とりわけハンナはユダヤ人が好んで使っていた記憶がある。

 メリル・ストリープ自身はヨーロッパの複数の民族を先祖にもつオランダ系アメリカ人とWikiにあるが、『マディソン郡の橋』に出演した頃に「イタリア系の主人公の役をユダヤ系の女優が演じるなど超ミスキャスト」という評を読んだことがあり、真偽や当否はともかく、そういう観点があるのかと驚いた。

 僕自身の記憶は、『クレイマー・クレイマー』(1979)に遡る。離婚した元夫婦が息子の親権を裁判で争う物語で、原題の"Kramer vs Kramer" (クレイマー対クレイマー)はアメリカの法廷での案件の呼び方に依っており、当時のアメリカでこうした現実が社会問題化していたことが窺われる。元夫役がダスティン・ホフマンで元妻役がメリル・ストリープ、アカデミー主演男優賞・助演女優賞のほか作品賞・監督賞・脚色賞などが与えられた。当時の目蒲線目黒駅ホームにポスターが貼られ、それで東急文化会館まで見に行ったのだったな。

 あれから40年近く、アメリカの現実ははるか先へ進み、こちらは足元不如意でなかなか進めずにいる・・・ように思われる。

Ω