散日拾遺

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お別れの会/カテドラルとステンドグラス

2018-06-18 09:54:46 | 日記

2018年6月17日(日)

 「最後にその妹、伊邪那美命、みづから追ひ来たりき。ここに千引きの石をその黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、各々むかひ立ちて、事戸(ことど)を渡す時、伊邪那美命言ひしく、『愛しき我が汝夫(なせ)の命、かく為(せ)ば、汝(いまし)の国の人草、一日に千頭(ちがしら)縊り殺さむ』といひき。ここに伊邪那岐命、詔りたまひしく、『愛しき我が汝妹(なにも)の命、汝然為(しかせ)ば、吾一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)立てむ。』とのりたまひき。ここをもちて一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるるなり。」

『古事記』岩波文庫版 P.27-8

 日本古来の死生観の一半をここに見る。ただし、植物の繁茂と衰枯に似た「勢い」の論理で、死はどこまでも自然現象に過ぎぬと書いたのは浅薄だったかもしれない。火の神を産んで身罷った、母/女神の恨み憤りの深さを見逃すわけにはいかない。さらに見回して深刻なのは、依然として死の勢いは一日に千人の同胞を奪っていくのに、もはや一日に千五百の産屋が立たないことである。

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 先週の日曜日は義父の葬儀、今夕は高校のクラスメートの通夜に参じた。3年前にクラス会が復活して以来、「飛び抜けて健康」と自他ともに認める市民ランナーだった。高校時代はほとんど女性恐怖の自分だったが、五十音順の出席番号で男子の4番、彼女は女子の4番だったから、試験の際など余儀なく隣に着席することになる。『明日のジョー』の熱烈なファンであるとか、将来は農家に嫁に行きたいのだとか、何かの弾みに聞かせてもらったことが記憶の底からふわふわ浮かんできた。

 こちらが何を話したかは、まるきり思い出せない。農家には嫁がず、東京都内で幸せな家庭を営み二男一女を成人させた。秋には信州から東京に向けて200kmを超える道のりを二日かけて走破するイベントに申込んでおり、逝去の翌日その参加証が届いたという。ゼッケンをランナー仲間に託すと御夫君。満場の参会者の頭上で穏やかに翳っていく雲間の青空を、しきりに見上げていた。

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 旅先で撮った海外の教会の写真をブログに載せている人があり、これがまことに圧巻。

 『教会めぐり世界一周の旅 ~ 旅上で心癒された美しい教会を紹介』 http://wolfy.hatenablog.com/

 「写真転載厳禁」とあるところ、特にお許しをいただいて一枚だけ。Wolfy さんイチオシ、バーミンガムのカテドラルのステンドグラスである。

(http://wolfy.hatenablog.com/entry/2017/11/19/000000 より拝借)

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