2018年8月6日(月)
わだつみに光の道の開けたり、開きたりかな・・・
わだつみの光の道を踏み行けり、それとも、登りけり?
山陽道を西へ向かいながらぶつぶつ言い較べてみるが、駄作が余計ダメになるばかりで、あっさり放擲した。カーラジオでは夏の甲子園第2日、どっちも頑張れの高校野球だが、校歌の中に聞きたいものがある。明徳義塾の厚い壁を超えてほぼ10年ぶり出場の高知商業、その校歌が浜松商業や熊本工業のそれと並んで気に入っており、久々に聞けたのが嬉しくあった。
「鵬程万里果てもなき/太平洋の岸の辺に/健依別(たけよりわけ)のますら男は/海の愛児と生まれたり」
「鵬程万里」は荘子のホラ話を踏まえ、「健依別」は記紀にも登場する土佐の擬人的な古名である。(四国は土佐と讃岐が男神、伊豫と阿波が女神だ。)古典教養をコンパクトに読み込んで調子も甚だ良いのだが、気がつけば女子は配慮の外ですね。4番まであり、2番でレバノン山とフェニキア人、3番でイギリス人、4番ではヘルメス神が読み込まれている。しかし甲子園で歌われるのは1番だけで、その短さが好感度を高めているようだ。
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さて、2〜3年前から気になっていたことがある。山陽道下り線、三木を過ぎたあたりで北側にお城が見えるのだ。一瞬のことで、帰りにはぜひ写真を撮ろうなどと思うが上り線からは見えない構造らしいのである。
今年こそはと家族で申し合わせ、そら見えたと後部座席からシャッターを切ったのが下記。論より証拠、まぎれもない「お城」である。

その姿はどう見てもバイエルンのノイシュバンシュタイン城、ついで毎年コケるのは、その位置が白鳥(しらとり)PA直近であることだ。

これは出来過ぎ、だってノイシュバンシュタイン Neuschwannstein は Neu-Schwann-Stein で、名前の核は白鳥(はくちょう)なんだからね!
誰が何でこんな手の込んだ冗談をと笑ったことを、2分後には後悔反省した。この建物は本家 Neuschwannstein 城の3分の2サイズのレプリカで、「太陽公園」という施設に属する。太陽公園とは・・・
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太陽公園の設立者は門口堅蔵(1927~2015)、太陽公園の所在地、姫路市打越の出身です。
門口堅蔵の人生については、追々書かせていただきますが、「困ってる人を助けてあげたいんや」の一心で、生涯を福祉に捧げた人でした。
ではまず太陽公園とは何なのか?
太陽公園の目的は大きく3つあります。
世界旅行が難しい障害者の方に世界旅行の気分を体験していただく。
単なるミニチュアではなく、実際に歩いてみたり触ってみたりと体感できるような大きさと規模にしております。
観光客や地域社会とのつながり。
観光地とすることによって、色々な方々に来ていただき、社会福祉・障害者福祉を身近に感じていただく。逆に利用者様にとっては、閉塞しがちな福祉施設に外部の風を常に取り入れ、人の目に触れることにより、社会性の維持と生活のハリを感じることができる。
障害者の就労の場
「働く」ということは、経済活動に参加することと共に「生きがい」でもあると思います。だから・・・観光地という、働く場所ごと作りました。
だから観光地の中に福祉施設があるという、日本で唯一の場所になっているのです。
そして、全ての人々が集う場所のシンボルとして、白鳥城が建設されたのです。
https://www.taiyo-park.com/biography/
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恐れ入りました。御発展を期待、遠からずきっと遊びに伺います。そして門口堅蔵様、あなたさまも吉村昭やわが父と同じく、昭和2年のお生まれだったんですね!
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