散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

点描⑤ ~ 田舎の家の「古文書」から(付:児童憲章全文)

2018-08-23 23:50:52 | 日記

2018年8月23日(木)

 振り返り点描は、これでおしまい。

 田舎の楽しみに大きく二つあって、一つが自然、もう一つは先祖の残してくれた古い文物とりわけ文書である。築90年近い家屋そのものがその筆頭で、本来の日本家屋がいかに堅牢で美しく機能的であったかが分かる。

 自慢しているのではなく、惜しんでいるのであることを強調したい。世界に誇り得た日本の家屋を都市部からほぼ完全に消滅させたのは、米軍による日本全土の徹底的な空襲である。呪うべきこの災厄がなければ、日本人の住環境はまったく違ったものになっただろう。

 高度成長期に「日本人はウサギ小屋に住んで経済戦争に血道を上げている」という揶揄が海外から聞こえ、日本人もこれを自虐的に受け入れた。一頃流行ったエスニック・ステレオタイプでも、男性にとって最悪の生活は「日本の家に住んで、中国人のサラリーをもらい、イギリスの食事を食べて、アメリカ女性を妻にする」というのが相場だった。

 不思議だった、なぜ大人たちは黙ってるのか。日本の家屋はもともとウサギ小屋などではない、ウサギ小屋に住まざるを得ない最大の原因を作ったものが何だったか、どうしてはっきり言わないのか。日本に対する空襲を問題にすると、重慶に対する日本の罪を問題にせねばならなくなる?それもこれも、あわせて問題にすればいい、せねばならないはずである。

 また逸れた。8月初めの高知ロケの際、S先生が院長室の椅子を「昭和8年の開院以来そこにあるもの」として御披露くださった。若い制作スタッフらは単純に「へええ」と驚いたが、そこで気づいてほしいのはこの病院が幸運にも空襲を免れたということである。わが家の家屋が90年前の面目を保っているのも、曾祖父から父に至る各世代の努力の賜物であると同時に、松山市街から遠く離れた田舎だったので爆弾を落とされなかったというのが、最大の前提にある。

 焼かれなかった家の各所に往時を忍ばせる文物が埃を被って生き延びているが、祖父母が短命であったために由来の伝わらないものも多い。父母からできるだけのことを聞き、保存に努めたいと密かに願っている。

***

 大げさなことを書いたが、一つ一つはとるに足らない小さなもの、たとえばこんなのである。

 まずはこれ:

  

 西国三十三所めぐりの納経帖(?)である。https://www.saikoku33.gr.jp/place/ 参照。

 臨済宗古刹のの檀家総代まで勤めながら、90代で他界する直前にキリスト教に入信した曾祖父のものに違いない。元祖スタンプラリーだが、墨黒々と朱印鮮やか、札所ごとに意匠が凝らされちょっとした芸術品である。

 こんなのもあった:

  

 「主婦之友」昭和6年8月号付録、『一目でわかる日本旅行地圖』である。購読者は父の母にまず間違いない。日本の大衆文化が質的にはほぼ戦後のそれに到達していた証左のようなものだが、当時の日本の領土の広がりが分かって面白い。樺太の南半分が描かれているのが見えるだろう。地図の裏面には日本各地の主要都市の地図に加え、京城・臺北・大連の市街図が掲載されている。

 昭和6年つまり1931年8月とはどういう時期か。前年11月に狙撃された「ライオン」こと浜口雄幸首相が、この月の26日に他界。9月には満州事変が起き、いわゆる十五年戦争に突入する。のんびり地図を眺めて旅の計画を語らうことのできる、ほぼ最後のタイミングであったろう。

 ついでにこれ:

 『なぞの新百科宝典』と題されるこの一冊、これはぐっと新しく僕の時代、といっても昭和40年のものである。前年4月に出版され、昭和40年11月第6刷とあるから相当売れたのではないか。これは学校に販売に来るのを、広告を見てねだって買ってもらったものだが、とてつもなく面白くまた大変な意欲作だった。319頁の紙面によくぞこれだけ詰め込んだこと、「インカ帝国滅亡の謎」から「タクラマカンのさまよえる湖」から「落葉樹の紅葉のメカニズム」から「ソビエト連邦のこどもたちの生活」から、好奇心の強い子どもが喜びそうなネタはひとつも逃すまいと言わんばかり、しかも記載が丁寧で詳しいのである。小三当時、座右の書にして夢中で読みふけったのを思い出した。

 巻末には縄文時代に始まる日本の歴史年表が掲載され、その最後は昭和40年つまり増刷のたびに追補していったものだ。同年の記載事項は三つ。

 ・ 日韓条約調印

 ・ 佐藤首相、沖縄訪問

 ・ 朝永振一郎博士がノーベル物理学賞を受ける

 懐かしく頁をめくり、表紙裏に戻って目を見張った。記されているのは「児童憲章」である。

 一、児童は人として尊ばれる。

 一、児童は社会の一員として重んぜられる。

 一、児童はよい環境の中で育てられる。

 いつの間にか聞き覚えた児童憲章は、ここで知ったのだったか。単なる博学のススメや知識主義ではない、児童憲章の精神を力あらしめるものとして編者はこの一冊を世に出したのだ。

 発行所は「財団法人 児童憲章愛の会」とある。同会のホームページは「平成21年6月閉鎖」とあり、そこに記された新しいURLはアクセス不、wikipedia では「解散した財団法人」のカテゴリーに分類されている。

 児童憲章の全文を転載する。

*** 

 児童憲章(じどうけんしょう)は、日本国憲法の精神に基づき、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福を図るために定められた児童の権利宣言である。1951年(昭和26年)5月5日、広く全国各都道府県にわたり、各界を代表する協議員236名が、児童憲章制定会議に参集して、この3つの基本綱領と12条の本文から成る児童憲章を制定した。(https://ja.wikipedia.org/wiki/児童憲章)

【児童憲章全文】

• 昭和二十六年五月五日

 われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

 児童は、人として尊ばれる。

 児童は、社会の一員として重んぜられる。

 児童は、よい環境の中で育てられる。

一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保証される。

二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。

三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。

四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。

五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。

六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。

七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。

八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。

九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。

十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。

十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。

十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

Ω


点描④ ~ 蜂にもいろいろ種類があって/自家製カクテル「紫蘇栗毛」

2018-08-23 23:38:38 | 日記

2018年8月23日(木)

 偉そうなこと書いていたら、まんまと刺された。

 伸びすぎたアジサイをジョキジョキと剪定中、左手甲に例のツンとした痛みがあり、一緒に作業してた三男に「おい、やられた」「まじ?アシナガバチ?」「アシナガバチ」

 返事しながら「ん?」と自問、いつもより痛みが軽くないか?長身の三男が蜂の軌跡を目で追っている、その視線の先を飛翔する昆虫をトクと見れば・・・

 「脚、長くないな」

 「小さくない?」

 「小さい」

 アシナガバチより一回り小ぶりで脚の長くない蜂種、ただ巣の形状はよく似ている・・・ように素人には見える。庭で出会う蜂で刺すやつといえば「アシナガバチ」と決め込んでるのが浅はかで、アシナガバチにしたって一つじゃないのだ。わが家の庭のは、たぶんセグロアシナガバチ?

 ともかく刺された相手がアシナガバチでないことは、その後の経過が裏書きした。アシナガバチなら時間とともに刺し傷の周囲がパンパンに腫れあがり、48時間後には手がミトンみたいになる。今回はわずかに局所が膨隆しただけで、そう言わなければ気づかれない程度。ギ酸がベースなんだろうが、毒の強さがはっきり違う。ハチの種別を同定したいが、なかなかうまく検索できない。

 翌朝、今次帰省で初めて湿度が下がり強めの風が吹いた。「待てば海路の日和あり」というが陸上でも変わらない。諺が平凡に響くのは我々が都市生活に慣れているからで、日和を待つ知恵も忍耐も日和のありがたさも、自然の中でこそ痛感される。

 GWには手が付けられず、放ってあった3a(アール)地の草刈りにこの時とばかりとりかかったら、たて続けに二つ大きいのが見つかった。

 といっても、風にそよぐ柔らかな草に蜂は巣をかけない。砂の上に家を築くようなものである。ただ、イネ科の青草が生い茂る中に、ところどころ固い茎の草や小灌木が屹立していたりすると、これこそ格好の営巣地になる。固い茎の低いところに巣を営めば、覆いかぶさる青草が理想的な掩蔽を提供してくれる。

 つまり、こんな具合。

 右手に写っているような草原を刈り倒していったら、中央の固い茎の植物が埋もれていたわけだ。その茎に・・・

 これは成長途上のアシナガバチの巣。この少し後で見つかったのは、昨日刺されたのと同種のやや小型の蜂の巣。それぞれ茎ごととって来たのを並べて示す。

 向かって左がアシナガバチ、右が謎の小型バチの巣である。形状の違いもあるが、アシナガバチのほうが個室のサイズがはっきり大きく、巣をかけた草の茎の径も太い。こうして比べるにつけ、小さいとばかり思っていたアシナガバチの強さ大きさがひしひしと実感される。何より刺された後の痛みと腫れのケタが違う。

 アシナガバチの巣の右側に見える3個の黄色いものは、巣から這い出した幼虫である。既に蟻の寄ってきているのが小さく写っている。30分ほどして戻ってきた時には幼虫の姿は影も形もなく、蟻が運び去ったものと思われた。蟻にとっては思いがけない御馳走であったろう。

 なお、フマキラーの缶は大きさの目安に置いたもので、アシナガバチの巣を駆除する際に殺虫剤は使わない。高バサミがあれば十分で、むやみに殺虫剤を撒くのは蜂を興奮させて厄介なだけである。巣を失った蜂は母艦を沈められた艦載機と同じく、もはや何の害も為しえないしその力ももたない。キイロスズメバチなどは話が別かもしれないが。

***

 さて、これは何でしょう?

 これ非常な美味、とりわけ汗かいて仕事した夏の日の終わりには最適。色が写真では少しキツいが、実際はもう少し明るい紫、もちろん人工着色料は一切用いず。素材はというと・・・

 今年オオバはよく茂るが赤紫蘇が不作であったところ、御近所さんが分けてくれたので父が早速ジュースを作った(向かって右の瓶)。クエン酸がたっぷり入って酸味が利いているところに、ものは試しと南予特産の栗の焼酎を加えてみたら、素晴らしく合うのである。

 自家製のカクテル発明とはしゃぎ、さてこれを何と命名しようか。「ピンクレディー」が父の名案ながら、その名をもったカクテルは残念ながら既に存在している。ドライ・ジンをベースに、卵白とグレナデン・シロップをシェイクするのだそうな。なるほどモダンでハイカラだ。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/ピンクレディー(カクテル))

 とすると、こちらはやはり和の風雅か、ぴったりの名が見つかるまでさしあたり「紫蘇栗毛」とでも呼んでおこう。

Ω