散日拾遺

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「かづけ」の広がり/感受性の退化

2018-08-04 19:02:08 | 日記

2018年8月3日(金)

> かづける
> 郡山の患者さんが使ったのと、同じ意味の「かづける」
> 子どものころ耳にした記憶があります。
> 遠く離れた地方ですが。

 コメントをくださったY先生は、確か名古屋の出でいらっしゃる。僕も名古屋に三年住んだけれど、あいにく耳にけかることがなかった。遠隔地に共通の語彙が見られることは珍しくないが、首都圏を遠くはさんで名古屋と福島というのは面白い。もともと広く使われていたものが、東京エリアの言葉の変化によって周辺に残ったと考えれば自然である。

 それにつけても「方言」とか「訛り」とかいう便宜的な括りを、逸脱や遅れの指標であるかのように振りかざす愚かしさ。むしろ「標準語」こそ伝統から遊離して無味乾燥であるかもしれないのに。Wolfy さんの指摘する「おこがましさ」と大いに通底するかと思われる。

 ***

> フェノロサの一冊、早速読んでくださってなんだか嬉しいリアクション。
> 今更ながら手にとった『自省録』。そんな大昔パックスロマーナの時代にここまで深い洞察があったなんてさすが五賢帝云々、というのがマルクス・アウレリウスに対する一般的な評価らしいのですが、どうも我々は時間が進むごとに賢くなって行っている、という前提に立っているようで、その認識自体がそもそもおこがましく、はたまた勘違いに思えてならないのです。
> 人類はむしろ、時間が進むごとに退化していっている種族かもしれないと、なぜそれを疑わないのかと。少なくともその感受性においては。
> ネアンデルタール人のくだりで、ふとそんなことも思いました。

Wolfy さんより

  同感です、たぶん。
 「技術は日々進歩するが、人間性の進歩はずっと遅い」と考えてきました。遅いながらも進歩するとは、たとえば人権という観念が徐々にではあれ人類の共通財産になりつつあることを言うのですが、Wolfy さんがおっしゃるのは「感受性」についてですよね。

  ある種の技能や想像力、モラルといった面での劣化・退化を連想します。
  電卓を使い慣れて暗算力が落ちるとか、ワープロ使用で漢字を書く能力が落ち、字が下手になるとかいったことは技能の例。
  携帯電話の出現前は、約束の時間に相手が現れないのに、事情を確かめるすべがないということがちょいちょい起きました。こういう状況は、相手の事情に関する想像力や推理力、機転を利かして対応する力などを大いに鍛えてくれたものです。その相手を自分がどう評価し、どの程度信頼しているか、さらには自分自身の思考や判断の特性までも試されたものでした。ケータイはそうした訓練の機会を完全に奪いましたから、その分何らかの劣化が生じているのは疑いありません。
   モラルについてはそれこそ夥しい例が挙げられそうですが、たとえば出生前診断と妊娠中絶がセットで広がり浸透するにつれ、「障害」を受容する骨太な温かさは確実にやせ細っていくことでしょう。

 どの例をとっても、技術が進歩して人間の道具的能力が増幅されたその分だけ、当該領域の生身の能力は低下することを示しているんですよね。そこであらためて「感受性」とは何か、その低下を引き起こしてきたものは何だろうか、と考えてみたくなります。

 これもやっぱり技術的な知性の「進歩」の副作用でしょうか、それともまた別のもの?Wolfy さんのお考えはどうでしょう?

  『省察録』については内容はもちろん、多忙を極める征旅の陣中で多くが記されたこと、もともとラテン語ではなくギリシア語で書かれたことなど、何重もの驚きを喫しました。

 現代人のおこがましさが自身を滅びの淵に追いつめる、その様相を哲人皇帝ならどのように見たことでしょうね。

  (・・・カンピドリオの丘のマルクス・アウレリウス騎乗像が最高にカッコいいんですが、画像はどれもこれも有料です。旅好きの Wolfyさん、ひょっとして写真をおもちだったりしませんか?)

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