散日拾遺

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松江市立内中原小学校、昭和42年春、4年2組の一風景

2018-08-09 11:16:38 | 日記

2018年8月8日(水)

 昨日から母の裁縫部屋を借用して作業し、ついでに室内の古文書を漁ったりしている。いきなり出てきた写真、これ掲載してしまおう。

 子どもたちの顔がまるわかりで今日標準では「アウト」とされそうだが、枠の印字から分かる通り1967(昭和42)年3月、つまり50年以上前のものである。今さら誰かに迷惑をかける気遣いもなかろうと踏んだ。狙っているのは逆の効果で「わ、懐かしい!」と反応してくれる人が、もしやありはしないかと願う。あったら是非ともコメント機能を使って御一報くださいませ。僕は翌1968(昭和43)年の夏休みに山形へ転校し、級友らの音信もまもなく絶えた。半世紀経って懐かしさの募るお年頃である。

 日付から考えて場面は3学期終業の頃、松江市立・内中原(うちなかばら)小学校4年2組、担任は原哲子先生である。右端の男子がたぶん学級委員長で、一年を振り返っての表彰状を皆に配っているものらしい。小脇に挟んだ紙の束からして、全員が何かの表彰を受けられるよう配慮したものか。4月からは5年生でクラス替えを控え、若干のセンチメントもあった・・・かな。

 自分でも驚いたのは、写真を見たとたん名前が口をついて出たことである。これは微妙に伏せておこう。賞状をうけとっているのがY岡さん、あとはM野さん、M山さん、O副さん・・・

 長円形の名札はよく覚えているが、女子の冬服はこんなだったのか。不思議なのは誰が撮影したかということで、運動会や学芸会でもない限り親がやってきて写真を撮ることは考えにくい。担任の原先生は写真を撮ったりなさらなかった。写真担当の先生がおられたのだろうか。

 このところ松江は最高気温の高さで報道に乗るが、そもそも日本海側で冬が厳しく当時かなりの積雪があった。3月とはいえ校庭はまだ寒かろうに、子どもたちのほっぺたは丸々と健やかに張っている。

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