散日拾遺

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まもなく読了

2019-06-19 08:31:59 | 日記
2019年6月19日(水)
 「凡そ上中下二十一社の霊動奇瑞は申すに及ばず、名帳に載する所の三千七百五十余社、ないし山家村里の小社、礫社、道祖神までも、御戸の開かぬはなかりけり。この外、日吉の猿、春日野の鹿、熊野山の霊烏、気比の白鷺、稲荷山の命婦、社々所々の仕者、悉く虚空を西へ飛び去ると、人ごとの夢に見えければ、さりとも、この神々の助けにて、異賊を退け給はぬ事はあらじと思ふばかりにて、幣帛を捧げぬ人もなし。」
太平記 第三十九巻 太元より日本を攻むる事、同、神軍の事 10

 元寇をふりかえっての描写である。二十一社は、異変にあたって朝廷から奉幣使が立てられる上・中・下各七社のこと、伊勢・石清水・住吉・北野など別格の神社群である。三千七百五十余は、延喜式・巻九と巻十の神名帳に記載される神社と祭神、礫社は礫(小石)のような小さな神社、要するに上から下まで日本国中にありとあらゆるすべての社、そこにおわす八百万はおろか数えきれない神々が一人、もとい一柱残らず国難に立ちあがる。
 転記してみたかったのはその後で、猿・鹿・烏・鷺に命婦(稲荷神の使いの狐)など神々の使いに走る鳥獣までも西、すなわち蒙古襲来の戦場に急行するとある。神人鳥獣、山川草木すべて一体とする世界観、懐かしくもあり麗しくもあるものの、この項の結びが後世から見れば危うい。
 「そもそも太元三百万騎の蒙古ども、一時に亡びし事、全くわが国の武勇にあらず。ただ三千七百五十余社の大小の神祇、宗廟の冥助に依るにあらずや。」
  同上

 さにあらず、わが民の武勇と執権・北条時宗以下の果断の故なりと明言する合理的な歴史理性を、もちたかったがもちえなかった。このことが1945年に至るまでこの国の呪縛となる。原子爆弾と通常爆撃が完膚なきまでに国土を破壊し、神祇宗廟の無力を証明して後、この国の精神世界に巨きな空白が生じて今日まで埋まらずにあるのも、無理のないことと思われる。日本人の生活の原型は、その大半が室町時代に形成されたとされることが、死生観・国家観についても妥当するとすれば。
 太平記四十巻、まもなく大尾。

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