散日拾遺

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かもめの心

2019-07-16 05:50:06 | 日記
2019年7月16日(火)
 もう何ヶ月か前に「ふらっと」主宰者のTKさんがコピーしてくださったものを、その場で転載許可をいただきながら、ためつすがめつ鑑賞に余念なく、つい先送りになっていたものである。野暮な解説よりも、まずは現物を提示しておく。
 「ふらっと」は、がん患者の家族と遺族のためのサロンである。現に闘病中の患者家族と遺族とが席を同じくする活動のあり方に、勇気と叡智を見る。宛名の山本繁次郎氏はTKさんの曾祖父にあたる方とのこと。消印の日付、8月9日と読めるが、年は何年か。一桁の数字、昭和初期であろうか。 

   

 昔の人の信書のやりとりは、見ているだけで心に愉しみが湧く。とりわけ葉書という文化の奥深さを思うが、この一葉の魅力はそれに尽きない。差出人の釈老師が一首の歌を記している。拡大する。


 よ志あしの浮世の事は志らなみの かもめの心われは学ばん
(道中くちつさみの一つ)

 善し悪しの浮世のことはしらなみの・・・「知らない」と「白波」を掛けている。言葉の洒脱もさることことながら、「善悪は知らず」とおっしゃる高僧の心が怪しくも不可思議で。

 折からこんな下りを『今昔物語』に見つけた。
 「然(さ)れば、悪しき事と善き事とは、差別(しゃべつ)有ることなし。只同じ事也。智り無き者の、善悪異也とは弁(わきまう)る也。彼の央崛魔羅は仏の御指を切らずば、忽に道を成(じょう)ずべきに非ず。阿闍世王父を殺さずば、何でか生死を免るべき。盗人玉を盗まずば、大臣の位に昇らむや。此をもって善悪一つ也と知るべしとなむ語り伝へたるとや。」
国王、盗人のために夜光る玉を盗まれたる語(こと) 巻第五 第三

 ・・・しかし、それは結果論、ほとんど屁理屈というもので、だから善も悪も一緒だとは言えなかろう。姑息な善悪を超越する話は老荘にもあるところだが、これがいつもどうも腑に落ちない。
 豊後国東の道中にて老師ふと口ずさんだ「かもめの心」、是非とも教えを乞いたかったものである。

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