散日拾遺

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「持参」のココロ/鎮西山と八郎為朝

2019-07-23 07:55:19 | 日記
2019年7月23日(火)
 「持参」の語義について、辞書には「持って行く/持って来る」ぐらいの簡潔な説明しかない。これを文字通りにとれば、「B29が大量の爆弾を持参し、日本の国土にばらまいていった」式の用い方も可能な理屈である。
 しかし言葉には辞書的な語義とともに、用例の歴史的蓄積というものがある。裁判制度に法律の条文と並んで、判例の蓄積があるのと同じ。そして条文の趣旨は判例によって確認され、確定されていく。
 「弁当持参」
 「持参金」
 「筆記用具を持参してください」
 「持参人払い」
 いくらでも挙げられるそれらの用例は、持ち来たったその物品が何かしら建設的に用いられ、その場の人間関係を促進発展させる方向に働くことを共示している。それを保証するのが「参」の字で、これには「参拝」に示されるへりくだりの意味と、「参加」が表すかかわりの意味がこめられる。「参戦」というきな臭い言葉ですら、意義ある闘いに同志と共に加わるという、価値創出的な意味合いが託される。
 「持参」とは、単に物を運んでくることではない。その物を携えて人間関係に入ることだ。「持って参じる」から「持参」なのだ。
 だから、
 「容疑者、包丁6本持参か」という見出しは、僕には悪い冗談としか思えない。料理教室じゃあるまいし、「携行」とでもしたらいいだろうに。たとえ加害者にどれほど暗い激情があったとしても、何かを持参するような心のありようだったら、こんな結果に至りはしなかった。
 「持参」という言葉が、ベソをかいているように感じられる。俺のこと、こんな使い方しないでくれよ、と。

***
 夏休みのラジオ体操は全国を巡回して行われる。体操の先生も伴奏者も、さぞ大変だろうが羨ましくもある。
 今朝は佐賀県上峰町、佐賀・鳥栖・久留米が作る三角形の中にあり、至近には吉野ヶ里遺跡。古来、住みやすい場所であったに違いない。町の北部に位置する標高202mの鎮西山は、鎮西八郎為朝が九州平定の際、山頂に小城を築いたことからこの名を得たという。わが故郷・伊豫風早の恵良山302mは、南北朝時代に北条の残党が立てこもったことを前に書いた。よく似た構図で、日本各地の小山の多くが同種の来歴をもつのだろう。
  ⇒「太平記に懐かしい地名を見ること」

 為朝という人物は頼朝・義経の叔父にあたる ~ 伯父にあらず。剛勇無双といえば聞こえは良いが、要は生まれながらに手のつけられない暴れん坊で、とりわけその強弓の威力は凡百の矢と比べて小銃と大砲ほどの開きがあった。伊豆で自刃する直前には、300人ほどの兵士を満載した軍船を一矢で沈めたといわれる。
 天衣無縫の暴れ方は素戔嗚尊(スサノオ)を彷彿させ、それが九州平定に役だったことは日本武尊(ヤマトタケル)に重なるが、「鎮西総追捕使」は勝手に自称したもので、朝廷としてはありがた迷惑な存在だった。同じく九州を足場に鬱勃たる野心を抱えて私闘を連ねた、足利尊氏の庶子・直冬、あるいは2世紀前の源氏の祖先に自らを重ねるところがあったか。
 上峰町には「鎮西八郎」という銘酒がある由、さぞかしごっつい酒かと思えば「味わい柔らかく料理の邪魔をしない食中酒」とある。命名の面白さ。

正一位為朝大明神肖像(歌川国芳)東京都立図書館蔵

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