2023年8月28日(月)
せっかくの中国時代劇が後半とみに停滞、戦国末期(中国の)歴史事情を追う以外に興趣がなくなり、最後は録画倍速で筋だけたどるという愚かしさ。その筋立ても史実(=司馬遷等の歴史書が史実と認定したところ)からはかけ離れ、大河ドラマとどっこいの勝手気ままな迷走の末、気の抜けたビールのようにだらしなく終わった。しかし当初はなかなか面白かったのである。
たとえば、はるか昔の5月30日に見たこんな場面:
「蝉を狙うかまきりは、背後の雀に気づかない」、そのまた雀が背後のカラスに気づかないこともある次第で、ともかく気の利いた言い回しである。脚本のオリジナルか、もともと中国語にこういう表現があったのか。
いずれにせよ、実際にカマキリが蝉を仕留める様を見ていないと、この言葉の醍醐味は半減するだろう。
僕は二回見た。最初は夏の午後のにわか雨でヤマモモの木陰に退避した際、突然頭上で蝉が死に物狂いの大騒ぎを始めたのである。それはもう豚が塩辛を舐めた体のけたたましさで、びっくりして見回すと緑のカマキリが両腕で蝉をがっきり抱き留め、早くも三角形の頭を動かしつつ獲物の腹に食い入っていた。
紀元前三世紀の中国では、宮廷の最奥といえども壁一枚隔てた外の自然を強く意識し、常にこれと連動していたことだろう。東京二十三区内のベランダにも、どこから舞い来たったのか撒きもしない種が生えたりするが、カマキリのハンティングは期待すべくもない。
帰京二週間、早くも田舎が恋しくなっている。
Ω