散日拾遺

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殆辱近恥 林皋幸即 ~ 『千字文』 090

2014-08-04 05:30:22 | 日記
2014年8月3日(日)
 「上様の大きなお志、この秀吉が」と力みかえって、
 「引き継がさせていただきます・・・」

 ぶち壊しだ、NHKしっかりしてくれ。

***

○ 殆辱近恥 林皋幸即
 前段・後段ともに訓読がよく分からず、解説を読んでも釈然としない。
 意味としては「恥辱を受ける危険が差し迫っている時は、人里離れた林間に難を逃れるに限る」といったことらしい。
 後段については釈義も少々あやしく、李注は下記のように『太平御覧』に依って林皋(リンコウ、皋は睾の本字)を人名とするが、「林や沢」という一般名詞と解する説もあるという。

 林皋は趙の大臣で、九人の子を儲けたが、みんな賢かった。人々は「九徳の父、十徳の門」と呼んだ。趙王はそれを聞いて嫉み、殺そうと思った。そこで「庭園を巡行し、実の多くなった木を択んで切る」との勅令を発した。
 林皋の子が父にこの意味を尋ねたところ、林皋は「王は我々父子を殺そうとしているのだ」と答え、父子ともども白雲山に入って生涯出てこなかった。
 王はそれを聞いて嘆き、「賢臣とは林皋父子のことだった」と言った。

 権力をもつ者の嫉みの恐ろしさは、サウルにせよヘロデにせよ例に事欠かない。後半生の秀吉しかりである。
 趙王は「嘆いた」とあるが、仮に前非を悔いて林皋父子を赦したとしても、日ならずして嫉みはいっそう激しく再燃したことだろう。嫉みはサウルの死に至るまで止むことなく、危うく死地を逃れたダビデが次にはウリヤの妻を貪る。白雲山に自ら逼塞した林皋は実に賢明だった。

 「隣人の家を欲するなかれ」
 第十の戒めの重さを思う。
 

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